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オリバーと街に出かけてから約一か月後、エルザは食堂のアルバイトで稼いだお金を持って、再びレストラン『物語の向こう側』にやってきた。
「『七色の勇者』ランチ、楽しみだな!」
「うん!!」
『七色の勇者』シリーズのオタクであるオリバーとエルザは、興奮した様子で店の前に出されたランチの看板の前に立つ。
『今月のランチ 七色の勇者』その文言だけでご飯三杯はいけそうだ。
「今日のために最新作まで読破してきましたわ~」
「私は公務が忙しくて、昨日やっと読み終えた」
「……二巡目」
侯爵令嬢ジョルジェット、第三王子ハインリヒ、一流商家の息子ロビンも二人の後ろに並ぶ。
「さ、店に入ろう?」
エルザの前に右手を差し出し、エスコートするのはジル・クリスター公爵令息。彼女を自分の唯一と公言するだけあり、エルザを見る目は愛情に溢れている。
エルザとオリバーはオタク二人でランチを食べに来るつもりであったが、『七色の勇者』好きを隠さなくなったオリバーの布教活動もあり、結局、生徒会全員で休日のランチに来ることになった。
と、エルザは思っているが、実際は二人きりで外出させたくないジルが自分を含めた三人でレストランに予約を入れようとしていたところを他の生徒会メンバーに見つかり、面白そうだから一緒に行く、ということで全員でのランチとなった。
それぞれ忙しいだろうに、好奇心には忠実なのである。
今回は王族であるハインリヒ第三王子もいたため、事前に個室を予約していた。
個室に通された瞬間、エルザの目は潤み、オリバーは床に膝をつく。
さざ波のような水色のカーテン、甲板を思わせる焦茶色の絨毯。壁には船上を思い起こさせる装飾が施され、部屋の隅にはワイン樽が積まれている。かすかに潮の香りが漂う気さえする。
「悲哀の船、ルテラウィース号」
エルザの頬を涙が一滴つたう。
「悲しみを乗せて、俺は今日も海に出る。お前は幸せだけを持って、船を下りろ」
男くさくってダンディでやんちゃなルテラウィース号船長のセリフを、オリバーは諳んじる。
「……五巻」
エルザとオリバーの様子から、通された個室が『七色の勇者』五巻に登場する『悲哀の船、ルテラウィース号』の船上を模していることに気が付いたロビンが呟いた。
二人の興奮が冷めやらぬまま、ランチが運ばれてきた。
「水の勇者と土の勇者が船で再開した時の……」
エルザとオリバーの二人はえぐえぐと泣きながら魚介がふんだんに使われたリゾットをすする。
穏やかな水の勇者と無口な土の勇者が無言で食べた、あの料理。泣ける。七人で旅をしていたのに、全員がバラバラになってそれぞれが試練を乗り越えて、やっと出会った二人が久しぶりに共にとる食事、泣ける。
「あんまり泣くと涙でせっかくの料理の塩分濃度が変わってしまうんじゃないか?」
ハインリヒの冷静なつっこみで、二人はなんとか涙を引っ込め、最後まで食べきることができた。
ジルがクリスター公爵家の名前で予約をしていたため、食事代はそのまま家に請求される。けれど、エルザはお店の人に頼んでこっそり自分の分を支払わせてもらった。エルザが望んだらそうするように、事前にジルから話を通してくれていたのだろうことに、エルザは気が付いている。
お会計をして席に戻るエルザに、戸口に立っていたハインリヒが声をかける。
「ジルはお前の望みなら、なんでも叶えてやりたがるだろう。昼飯くらい奢られてやったらいいのに」
「わたしが自分の分は自分で払いたいんです。自分で働いたお金でご飯が食べられて嬉しいんです」
エルザが幼い頃は、母と二人だった。母がいなくなってからは再婚相手の義父が養ってくれたが、血の繋がらない家族にお金を出してもらって、なんだか申し訳ないと思っていた。
アルバイトとはいえ、自分でお金を稼いで、好きな物を食べに来られる。
なんて幸せなことだろう。
「それにジル先輩は、わたしがやりたいことをわかってくれていると思います」
生粋の貴族であるジルが市井で育ったエルザのことを理解するのは難しいだろう。けれど、彼はそれを諦めることはないように思う。わからなくてもお互いが歩み寄れるように、少なくとも、ジルはエルザに歩み寄ろうとしてくれていると感じている。
顔がいいだけではなく、心も寛大だなんて、どこまで完璧な男だろうとエルザは感心する。
「あいつは、自分は自分。他人は他人。お互いに好きなようにすればいいと思ってるタイプだと思ってたんだけどな。許容量が大きいから、たいての相手は受け入れてきただろうけど」
ジルと幼馴染であるハインリヒは、彼の性格をよく知っているつもりだ。公爵家の長男として生まれたジル・クリスターは、その高貴なる身分で得られる利得も多いが、その反面でしがらみや妬みも多い。彼はそれらを反発することなく、うまく受け入れていた。多くを求めず、与えられたものを享受する。
恋愛面に関しては、美しい容貌に加え、天性の色気、知性のある会話、分け隔てのない態度、溢れる魅力のおかげで人並み以上に供給されているが、どれも厭うことなく受け入れたり上手に躱していた。
求められていない相手に自分から過多な愛情を注ぎ続けるなど、これまでのジル・クリスターからは考えられない。
ハインリヒはにやりと笑う。実に面白い。
「なぁ、エルザ・スカルチア。私のヒロインにもなるか?」
いやいやいやと、エルザは千切れんばかりに首を横に振る。
「ハインリヒ先輩はジョルジェット先輩の担当でしょう!!」
現在、生徒会メンバーの男性は四人。
三年生のヒロイン、ジョルジェット先輩に二年生のハインリヒとロビンは入学当初から惹かれている、という設定だ。二人とも彼女に夢中というよりは、他の女性陣から誘われて困ったときなどに「好きな人が……」とジョルジェットの存在をにおわせて、ヒロインを上手に活用している。
三年生のジルは半端なくモテていたが、本人はそれを楽しんでいたので、ヒロインを必要としていなかった。それが、エルザの入学を機に、ヒロインを彼女に定めたのだ。
一年生のオリバーはヒロインを明言しているわけではないが、自分から話しかける女子がエルザのみなので、周囲からは完全にオリバーの片思いと認識されている。
「年頃の男女の心変わりなんてよくあることだろう。どうだ、今度私の私室でお茶でも……」
「お茶なら俺が付き合うけど?」
エルザがなかなか戻らないため心配したジルが部屋から出て来て、エルザを自分の後ろにかばう。
ハインリヒがエルザに本気でないのはわかっているが、相手は第三王子、出て来られてはさすがに分が悪い。
というか、単純に自分以外の男と二人で親しげに喋るのを見ただけで、面白くない。
ジルの登場にエルザはほっとした。王子の気まぐれにも困ったものだが、おかげで助かった。できれば王家の人とは関わりたくない。
エルザはしかし、ハインリヒ・ユーレリアというこの男が存外しつこいことを知らなかった。
数ある作品の中から見つけてくださり、読んでくださり、ありがとうございます。
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