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二人が探しているバスケットは、小説の中では『バスケットから二段重ねの弁当を取り出した』という記述があるだけだった。
その文章だけだが、なぜかエルザとオリバーの中では大きさや形のイメージが一致していて、迷うことはない。
何件も店をはしごして、これは素材が、これは持ち手が、と言い合いながら、ついに理想のバスケットを見つけた。
「これに弁当を入れて、湖にピクニックに……」
次の約束を口にしようとしたオリバーがはっと気が付く。
バスケットに入れる弁当箱も、今日購入したばかりで、それはオリバーが持っていたはずだった。
オリバーは自分の両手を見てみる。持っているのは、今買ったばかりのバスケットのみ。
「エルザ、弁当箱、持ってるか?」
「……ありません」
二人は顔を合わせ、青ざめた。
来た道を戻りながら、一軒一軒忘れ物はないか聞いて歩く。
一日中歩き回った足はだるく、傾きかけた太陽に焦りも生まれる。
「あんた、なんでそんなに歩くの遅いんだ?日が暮れちゃうんだけど」
「ルブラン様が歩くの速いんです。どこかに落としたかもしれないんだから、もっとゆっくり見て回ったほうがいいじゃないですか」
「俺が落としたと思ってるんだ?」
イライラとした表情のオリバーに睨みつけられて、エルザはむぅっと頬を膨らませる。
「そんなこと言ってないですよ……あれ、これって、ふふふ」
「なに笑ってるんだよ!?」
突然笑い出したエルザに、オリバーは語気を強める。
「主人公の火の勇者が雷の勇者と買い物に出かけたシーンにそっくりじゃないですか?」
エルザは大発見を教えてあげるように楽しそうに話す。
七色の勇者シリーズの第一巻、まだ出会ったばかりの勇者たちは不協和音だった。その時に買い出しに出かけた二人が、今のエルザとオリバーのように買った物をなくして喧嘩になったのだ。
「確かに……!あの時は火の勇者が喉が渇いたからと立ち寄った果実水の屋台に置き忘れていて……」
「『物語の向こう側』行ってみましょう!」
二人は顔を合わせ走り出す。夕暮れ時の人ごみをかき分けながら、物語と同じような展開に胸がときめく。
息を切らしながら『物語の向こう側』にたどり着いた。
まだ夕食には早い時間、空いている店内でみつけた店員に声をかけて、ランチの後に忘れ物をしたかもしれないことを話す。
「確認してまいりますので、少々お待ちください」
柔和そうな女性店員が、二人を待たせたまま中に戻っていく。
エルザとオリバーは店内の受付横に立ち、緊張した顔を見合わせる。
オリバーは横に並ぶ、自分より少し背の低いエルザの額に前髪が張り付いていることに気が付いた。走ったせいで二人とも汗をかいてしまった。
オリバーはそっと彼女の額の汗を手で拭ってやる。
「あ、ありがとうございます!ルブラン様も」
言いながらエルザはポケットからハンカチを取り出し、同じように彼の顔の汗を拭いた。
自分たちの距離の近さを突然意識したオリバーは顔を真っ赤にして、焦ったように早口で喋る。
「あんた、そのルブラン様ってやめろよ!生徒会では俺以外みんな名前で呼んでるだろ」
エルザは小首を傾げて考える。
親しくない関係の場合は家名で呼び合うのが貴族流だし、オリバーは平民であるエルザを快く思っていないように感じていたため家名のルブランで呼んでいた。
しかし、『七色の勇者』オタクと判明してからは楽しく会話をして、今日は一緒に外出までした。
名前で呼んでもよい、ということだろうか。
「では、オリバー様?」
「同じ年なんだから『様』とかいらない。敬語も」
「じゃあ、オリバー?」
突然の親しげな口調にオリバーは両手で顔を覆ってしばらく余韻を噛み締めた。
なんだろう。嬉しくって恥ずかしくって、嬉しい。
「お客様、こちらでしょうか?」
店員が店から一つの荷物を抱えて戻ってきた。
それは、今日購入した弁当箱の入った袋だった。
「それです!」
「ありがとうございます!!」
弁当箱の袋を受け取り、仲良く顔を見合わせる二人に店員の女性は微笑ましいものをみるように和やかな気持ちになる。
「月替わりのランチメニュー、来月は『七色の勇者』だから、よろしければまたおいでください」
ランチの給仕を担当していた彼女は、二人が『赤い実はじけるジェラート』を注文していたことを覚えていたのだ。
「はい!絶対食べに来ます!な?」
「もちろん!!」
顔を合わせて二人は頷き合う。思わぬ嬉しい情報に大喜びだ。
オリバーがバスケットを持っていたため、エルザが弁当箱の包みを受け取り、二人は店を出る。
「来月、絶対に来よう!!」
「もちろん!!楽しみすぎるっ」
「今日は『幻夜の嵐』のキノコ狩りの夜のディナーメニューだったから、『七色』だったらメニューはなんだろう」
『七色の勇者』シリーズは現在11巻まで刊行している。その中で食事シーンは何度も出て来ていて、エルザもオリバーも頭の中に数々のそのシーンを思い起こす。
「火の勇者が村を出て始めての食事、だと質素すぎるよね。メインが道端で採れた雑草スープだから中身なにかわからないしね」
「ランチメニューだとしたら、王城に招かれたときのご馳走、だと豪華すぎるか。鴨スモーク、ヒナから育て上げた猟師の苦渋の愛を添えて。実物を見てみたいんだけど」
二人で頭を悩ませながら大通りに出ると、背の高い、引き締まった体躯の美しい男が立っていた。
「やぁ、エルザ偶然だね」
百万本の薔薇よりも美しい笑顔をエルザにむけるのは、彼女を唯一と公言するジル・クリスター公爵令息だった。
『幻夜の嵐』を読んだ人は、キノコ愛に目覚めるか、もう二度とその姿を見たくないと思い詰めるか……
そのどちらかになるらしい、です。




