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086.ダンジョンをあなたへ

「よう、色男」


 前線基地を取り囲む柵の前で、周囲を警戒しながらも今にも飛び出して行きそうな雰囲気のイーズを視界に捕らえ、俺はそう声をかけた。


「なんだ、クライか。お前と話すことはもうねえぞ」


 先ほどの件のせいで、イーズはつれない態度だが、いちいちそれに怯んでなどいられない。


「なあ、イーズ。さっきは俺が悪かった。だから、そうツンツンしないでくれ。似合わねえしさ」


 似合う、似合わないは完全に俺の主観だが、出会ってからずっと、その飄々とした態度を好ましく思っていたので、できれば彼にはそうあってほしいものだ。

 俺のそんな願いが通じたのか、俺の謝罪によりイーズの態度も軟化した。


「まあ、さっきは俺も言い過ぎたよ。悪かった」


「言い過ぎたって、イーズは何も言ってないだろ? ただまあ、言葉以上に説得力のあるものが今もズキズキ俺の胸を痛めつけてるけどな」


「だから悪かったって。で、お前は何しに来たの?」


 俺が引き留めに来たのかと、イーズは少しだけ警戒した視線を俺に向けた。


「お前の目は節穴か? さっきのこと謝ってるってのに、もう一度引き留めにくるわけないだろ?」


 そう言って俺は手に持っていた手綱を軽く引くと、荒い鼻息がそれに応えた。


「馬をかっぱらって来た。いくらイーズでも走って行くよりは馬の方が速いだろ? それに俺はそんなに速く走れないしさ」


「クライ、お前……」


 そう呟いたイーズの視線の先では、二頭の馬が不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。




「我が部隊にはもう騎馬は必要ない。退却にでも何にでも好きに使ってくれていい」


 イーズが去った後、マニアス大佐は俺にそう言った。

 それは部隊と民間人の安全を守る義務を負うマニアス大佐が口にできる最大限の譲歩だった。


「ありがとうございます。お言葉に甘えて、好きに使わせていただきます」


 そう言いながら、俺は受け取ったばかりの木箱を、大金貨二枚とあわせて、ニマルズ大佐へと突き返した。


「申し訳ありませんが、この依頼は別の方に」


「クライ、君はどうするんだね?」


 木箱を返した時点で俺の行動にも予想がついているだろうが、マニアス大佐は敢えてそう訊いた。

 しかし、俺もそれに素直に答えるほど間が抜けてはいない。


「短い間でしたけど相棒として組んでいたやつにひどく心を傷つけられたので、文句でも言いに行ってやろうかと」


「……そうか。ならば良い。クライ、武運を祈る」


「私は文句を言いに行くだけですよ。武運は必要ないかと」


「ははは。それもそうだな」


 俺がおどけて見せるとマニアス大佐は呵々と笑った。


「マニアス大佐こそ、御武運を」


「もちろんだとも」


 そうして俺は力強く胸を叩くマニアス大佐に別れを告げた。




 そうして、今ここに至るというわけである。


「さて、互いに時間は惜しい。さっさと出発しようぜ?」


 イーズにとってこの状況は悠長に構えていられないのは当然だが、それは俺にとっても同じだ。

 早く街に帰って、ルシュに謝ろう。ニーズの真っ直ぐな姿勢を見た俺は、強くそう思っていた。

 それに、スタンピードによって街が危機にさらされるなら、今度こそ俺はルシュのそばにいないといけないのだ。


「いいのか?」


「いいさ」


 早く帰りたいのは山々だが、まずは目の前にいる男への恩に報いてからだ。ニーズのおかげで俺は大切なことを学んだのだから。


「行くぞ。出発だ!」


 合図とともに馬の腹を蹴り、俺たちはダンジョンへと向けて前線基地を後にした。


                    ⚫︎


「こ、こりゃ、やばいな……」


 陣形を組む兵士たちに黒い波が雪崩れ込んでいる。

 その黒い波の正体はもちろん、魔物の群れだ。獣、虫、鳥などなど様々な形をした魔物が、数えるのが億劫になるほど大量にダンジョンから湧き出し、狂ったように暴れている。

 いや、実際に狂っているのかもしれない。魔物たちは、破壊衝動あるいは食欲に突き動かされているだけのように見えた。


「スタンピードってこんなにひでえものなのか?」


「俺が知るわけねえだろ? ただ、スタンピードで都市一つが滅ぶって話だから、これでもまだ序の口なんじゃねえか?」


 そう言って鼻を鳴らすイーズに恐れは感じられない。さすがは冒険者だと、ここは素直に賞賛しておこう。


「で、どうする?」


「決まってるだろ。押し通る!」


 イーズがそう答えるのと、目の前で爆炎が上がるのはほぼ同時だった。


「だろうな。聞いた俺が馬鹿だったよ」


 俺は苦笑いを浮かべながら、爆炎で拓けた道を進むイーズの後を追う。


「おい! 君たち。そっちは危険だ!」


 追い抜きざまに兵士がそう忠告をしてくれるが、そんなことにはお構いなしに、イーズは一直線にダンジョンの入り口へと向かって馬を駆る。

 その道すがら、俺はざっと戦況を眺めてみる。

 確かに数は多いが、幸いにも巨大種は混ざっていないようだ。魔物が狂暴化しているのは気になるところだが、それでもただ数が多いだけならこの戦線が崩壊することはないだろう。素人目から見ても、それだけ兵士たちの練度は高い。

 そのことに安心した俺は、援護射撃として始原魔法光弾ショットを放りつつ、イーズの後を追った。


「本当に入るつもりか?」


「なんだ、ビビっちまったのか?」


 ダンジョンの入り口に立った俺は固唾を飲んだ。

 ビビったのかと聞かれれば、答えは一つ。ビビっている。

 ダンジョンから禍々しいまでの瘴気が漂っているのを感じるのだ。そしておそらく、というかこれまでの経験上ほぼ間違いなく、これは俺にしかわからない感覚だ。


「だったら俺だけで行くよ。別に責めてるわけじゃねえぞ? ここまで手伝ってくれたことには感謝してる」


 手をひらひらとやりながら笑ってダンジョンに入ろうとするイーズを、俺は慌てて引き留めた。


「待て」


「いいや、待たないね。ここまで来て引き返すなんてことはできねえよ」


 イーズは俺の手を振り払い、なおも進もうとする。


「待てって。俺も行くから」


「そりゃあ、ありがてえけど、無理してまで来なくていいんだぞ?」


「無理してでも行かなきゃいけないんだよ」


 正直入りたくないし、出来ることならばイーズを思い留まらせたい。

 だが、それが不可能だということもわかっている。だったら俺が一緒に行くしかない。

 イーズを一人で行かせたらきっと後悔することになる。なぜだかはわからないが、俺はそう確信したのだった。


「だから俺から離れるんじゃねえぞ」


 そうして足を踏み入れたダンジョンは坑道あるいは鍾乳洞のような造りをしていた。

 洞窟の壁の中に発光する鉱物が混ざっているのか、内部は常夜灯のような明かりに照らされ、薄暗くはあるが、そこまで視界が悪いというわけではない。


「どこへ向かうか目星はつけてるのか?」


「最深部だ。そこが一番ヤバそうだからな」


 次から次へと襲いかかってくる魔物を適当にあしらいながら、俺たちは行く先の相談を続ける。


「扱う魔法の属性こそ違うがな、メリナの力は俺と変わらない。俺が対処できるような場所はメリナも問題なく対処できるはずだから行く意味がねえ。最初に目指すべきは一番ヤバそうな場所だ。そんで、一番ヤバそうな場所って言えば、最深部だろ?」


 一番ヤバそうな場所から探すという意見については、まあ、イーズの言うとおりだ。その場所が最深部だというのは些か安直な気もするが、大きく外れてもいないだろう。


「で、その最深部にはどうやって行くんだ?」


「さあ?」


「だったら、虱潰しに探すのと変わらねえじゃなえか」


「まあ、そうだな。だから時間が惜しい。早く行くぞ」


 イーズは先を急ごうとするのだが、俺はそれを制止した。

 マニアス大佐は、このダンジョンは浅いが広いと言っていた。このまま闇雲に探し回っても、それこそ時間の無駄にしかならない。

 急がば回れ。まずは最短ルートを調べることが先決だ。


「一番ヤバい場所とそこへのルートを俺が調べてやるよ。ちょっと集中したいから、魔物を近寄らせないようにしてくれ」


 そう言うと俺は目を瞑り、このダンジョンに集中する。正しくは、このダンジョンに漂う悍ましい瘴気に意識を向けた。

 俺にはプネウマもミアズマも視ることができる。しかし今の俺はそれだけではない。より深く集中すれば、視ずとも感じることができるのだ。

 難点と言えば、これをやっている間は、始原魔法が使えないという点だ。ミアズマに最大限の意識を向けながら、プネウマを操ることは少なくとも今の俺には不可能だった。

 まあ、これについては今後の訓練で是非とも克服したい課題だとは思っているが、とりあえず今はない物ねだりをしても仕方がないので、ミアズマに集中だ。


 漂う瘴気。その濃度の低い場所から高い場所へとゆっくりと辿っていく。

 そうして最もミアズマの濃度が高いところが見つかれば、そこがイーズの言う『一番ヤバい場所』ってやつだ。

 よし、表層のミアズマの流れはだいたい掴めた。


「こっちだ、イーズ! ついて来い!」


 不安を抱いたままの俺と焦燥に駆られるイーズ。俺たち二人はこうしてダンジョン攻略を開始した。


クライ編は火曜連載です。


同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。

https://ncode.syosetu.com/n1886ja/

よろしければそちらもお楽しみください。

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