085.死地作戦をあなたへ
司令部テントの前には兵士たちが続々と集まってきていた。
そして半刻もしないうちに、装備を整えた六人小隊が十五隊、司令部を除き九十名の兵士が参集した。
その中には負傷をしたままの姿の兵士も多いが、一方で、合同調査に当たっていた冒険者たちの姿は見当たらない。
整列する兵士たちの耳にもスタンピードの情報は入っているはずだが、彼らは不安や動揺などは微塵も見せず、直立不動で上官の言葉を待っていた。
そんな彼らの前に一歩踏み出したマイルズ大佐は、毅然とした態度で重々しく口を開いた。
「諸君、知ってのとおりスタンピードが発生した。これより我らは、合同調査を終了し、都市防衛作戦を展開する」
マイルズ大佐は整列する隊員たちをぐるりと見回した後に、彼から見て左端にいる隊列に視線を定めた。
「第一から第五小隊はダンジョンに突入」
その命令を受けた隊員たちは一斉に右足を上げて、強く地面を踏み鳴らした。
三十人の足音が一つの音の塊となり、聞く者の魂を揺さぶる。
「第六から第十小隊は、ダンジョン周辺の魔物の掃討。第十一から第十五小隊は本部待機。三刻ごとに順次持ち場を変更する。作戦目標は、魔物の完全掃討、スタンピードの鎮圧だ」
次に命令を受けた隊員たちも同様に足を踏み鳴らす。その様に嫌が応にも士気が高まっていく。
「いいか、諸君」
マニアス大佐は兵一人ひとりの顔を見るように、しっかりとした口調で語りかける。
「これは故郷を守るための闘いだ。愛する家族を守るための戦いだ。我らの故郷と家族を守るために、我らは最初にして最大の壁とならなければならない」
兵士たちは小隊長から三頭兵に至るまで全員が真剣にマニアス大佐の話に聞き入っていた。
そんな彼らに、マニアス大佐は毅然として号令を発した。
「諸君、これは死地作戦である! 以上、展開!」
兵士たちは一糸乱れず敬礼をした。そして、命令に従いそれぞれの持ち場へと展開していく。
死地作戦――その命令を受けたにもかかわらず、彼らの顔には一切の悲壮感は見られず、その瞳には強い使命感を燃やしていた。たった一人、その命令を下したその人を除いては――
「マニアス大佐……?」
悲しみ、あるいは懺悔。そういったものを瞳に宿らせて、マニアス大佐は隊員たちを送り出していた。
「ああ、すまない。彼らにこの命令を下さなければならなくってしまったことが、心苦しくてな……」
兵士の中には結婚したばかりの者もいれば、子どもが生まれたばかりの者もいる。そういった者たちを含め全員に、マニアス大佐は「戦って死ね」と命じたのだ。
部隊を預かる隊長の、都市の安全を守る軍人の宿命だとは言え、その苦しみは俺などには想像すらできないほど深いものだろう。
しかし、そんな悲哀を見せたのはほんの一瞬で、マニアス大佐はすぐに軍人然とした態度に戻り、俺とイーズにも指示を出した。
「冒険者と行商人はすぐにこの場から退避だ。ここもそう間を置かずに戦場になる。我々には民間人を守りながら戦う余裕はすぐになくなるだろうからな」
その言葉に俺はすぐさま頷いた。言われずとも元よりそうするつもりだった。
薄情なようだが、これは職業軍人たる彼らの仕事だ。民間人である俺たちは彼らの邪魔になることはあっても、助けになることはないのだから。
「わかりました。大至急、帰還の準備を始めます」
「ああ、助かるよ。それから――」
何かを言いかけたマニアス大佐は少しだけ逡巡した後、テントへと入って行った。
後を追って俺もテントに入るべきなのだろうか、とも思ったが、そうする間もなくマニアス大佐はその手に木箱を抱えてすぐに戻って来た。
その箱の中は封書の束だった。
「街に戻ったらこれを軍本部に――いや、冒険者組合に渡してほしい」
「これは?」
俺の問いにマニアス大佐は答えなかった。
いや、答えなど聞かなくても、それが何かはわかっていた。それをわざわざ訊いた俺が悪い。
それは、遺書だった。
「必ず彼らの家族に渡るよう手配してほしい。依頼料はこれで頼む。残りは君の取り分だ」
「……わかりました」
渡された大金貨二枚を握り締め、俺はそう答えることしかできなかった。
スタンピードが起こればこうなることを最初からわかっていて、彼らはこの任務についていたのだ。すでに覚悟を決めている人たちを前に、覚悟なき者たちができることはただ立ち去ることのみだ。
「イーズ、帰り支度を始めよう。冒険者の連中にはお前から指示を頼むよ」
ここまで何も話さず沈黙を続けていたイーズに、俺はそう声をかけた。
しかし、俺の声が届いていないのか、イーズはなおも黙したまま思いつめたような顔をしている。
「お、おい、イーズ?」
俺がもう一度声をかけると、ようやくイーズは我に返り、いつものようにボサボサの頭を掻いて苦笑いを浮かべた。
「悪い、クライ。護衛の仕事なんだけど、俺、ここで降りるわ」
「な、何を言って――」
「幸い、帰りは合同調査を終えた冒険者の連中が同行するんだ。俺なんかがいなくても大丈夫だろ。ってか、クライがいればそれで充分な気もするけどな」
いつもの軽口のような口調だったが、イーズの顔を真剣そのものだった。
そして、その顔のまま、イーズはマニアス大佐へと向き直った。
「俺はここに残る。いいだろ、旦那?」
「ダメだ」
しかし、マニアス大佐はにべもなくそれを却下した。だが、それはイーズも想定内だったようだ。
「ま、旦那の立場ならそう言わざるを得ないよな。でも、俺は民間人だし、旦那の指揮下にあるわけじゃねえ。俺の好きにさせてもらうさ」
しかし、その言葉もマニアス大佐は一刀の下に断じる。
「それもダメだ。現在、ダンジョン及びその周辺一帯は、作戦地として軍の管理下にある。民間人の立ち入りは一切認められれない」
「なんでだよ!」
その言葉を聞いたイーズは、反射的にマニアス大佐に掴みかかった。
イーズは激昂していた。
「ダンジョンにはメリナがいるんだぞ!」
ああ、そうか、そうだったな。ダンジョンにはイーズの婚約者が残されたままになっていたんだった。そのことに思い至り、イーズの態度に得心がいった。
最愛の人が最も危険な場所に取り残されている。それを助けに行きたいと思うのは道理だ。
しかし、マニアス大佐が毅然とした態度を崩すことはなかった。
「そんなことはわかっているさ。メリナをはじめ、ダンジョン内の調査に当たっていた冒険者は我が部隊が全力をもって保護する。民間人の出る幕などない」
「それはこっちの台詞だ! これは俺の個人的な問題なんだ。軍はすっこんでろ!」
イーズはマニアス大佐の襟首を掴み、射殺さんばかりに彼を睨みつける。しかし、一方のマニアス大佐も負けてはいない。
このままでは平行線だ。平時であれば放っておいてもいいのだが、今は緊急事態。今こうしている間にもダンジョンからは次々と魔物が溢れてきているのだ。
「まあまあ、イーズ。これはもう軍の領分だ。民間人の保護も、都市の防衛も、軍に任せるしかないだろ? マニアス大佐の邪魔にならないように、俺たちは撤退しよう。な?」
やむを得ず仲裁に入った俺を、しかし、イーズは冷たい視線で一瞥した。
「お前ならそうするのか、クライ?」
それは思わぬ反撃だった。
イーズの言葉に射貫かれた俺の心臓は、ドクリと大きく脈を打った。
一番大切なものを他人任せにできるのか――イーズは俺にそう問うていた。
「お、俺は……」
俺はその問いに答えることができなかった。
大切なものは自分で守る。そんなことは当然だ。そう答えたかったが、できなかった。
ルシュを傷つけ、置き去りにしたまま今この場にいる俺が言っても説得力が皆無なような気がした。
イーズの最愛の人が取り残されていることを知りながら、それを軍に任せろと言った俺に、そう答える資格などないように感じてしまった。
イーズのどこか冷めたその視線は、「俺は優先順位を間違えない」と、そう明確に告げていた。
「これ以上は無駄みたいだな」
何も答えない俺に見切りをつけるように視線を切ったイーズは、マニアス大佐の襟首を掴む手を解き、俺たちに背を向けた。
「俺は俺の好きにさせてもらう」
そして、それだけ言い残したイーズは、静かにこの場から去って行った。
その場に残ったものは、俺の心に刺さった棘と、マニアス大佐の小さな溜め息だけだった。
クライ編は火曜連載です。
同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。
https://ncode.syosetu.com/n1886ja/
よろしければそちらもお楽しみください。




