082.朝帰りをあなたへ
「ごめんなさい。クライを巻き込んでしまって……」
事実と今後のこと、その全てを話し終えると、リーゼは苦渋の表情で頭を下げた。
「リーゼが悪いわけじゃないさ。悪いのは全てアックトック商会だ」
決定的な証拠があるわけではないが、俺の中では黒幕として確定している。
そもそも、名前からして完全に悪だ。
「それに俺のことなんかいいから、リーゼには自分の身の安全を最優先に考えてほしい。明日からは護衛の冒険者も増員される手はずになっているけど、それでも心配なんだ」
「クライがそばにいて守ってくれたらいいんですけど」
リーゼはそう言って力なく笑った。
アックトック商会の狙いはリーゼの暗殺だ。リーゼがいなくなったりでもしない限り対立候補の逆転はあり得ないのだから間違いないだろう。
リーゼの言うとおり、俺がそばにいて彼女を守るというのも一つの手としてはありなのかもしれない。他の全てのリスクに目を瞑ってそうすれば、俺自身も安心できる。
アックトック商会も、そしてアック防衛局長も、俺が使う得体のしれない魔法を恐れている。だからこそ俺を排除すべく無理筋の指令を出してきたのだ。
しかし、それは敵方の過大評価であり、俺自身の自信過剰でもあると俺は思う。
確かに始原魔法は強力だ。俺一人で巨大種を相手にすることだってできる。
しかし、それでも俺は素人だ。殺しには殺しのプロが、護衛には護衛のプロがいる。そこに素人の俺がしゃしゃり出ると邪魔になる可能性だってある。護衛はプロに任せた方が絶対にいい。
俺だってリーゼのことを守りたい。だが、俺は自分の力を過信して思い上がってはいけない。だから護衛はプロに任せよう。それがここに至るまでに出した俺の結論だった。
「ねえ、クライ。私が『怖い』って言ったら、笑う?」
リーゼの口調が一層くだけたものになった。これが彼女の本当の姿なのだろう。
そして、初めて見せた『本当の彼女』は――震えていた。
「誰かに言われて州知事になろうとしているわけじゃないの。ただ自分の夢を叶えたいって、そのために州知事になろうって思っただけ」
リーゼは震える肩を自ら抱いて、ポツポツと言葉を溢す。
「私と考え方が違う人たちがいるってことも知ってる。そういう人たちから敵意を向けられることも覚悟はしてた。でも――」
そこで言葉を区切ったリーゼの頬には、涙が伝っていた。
「でも、やっぱり怖い……」
気づけば俺は、リーゼの肩を抱いていた。
細く、小さな肩だ。
俺はそこで初めて、リーゼが一人のか弱い女なのだと気付いてしまった。
男装をして、堅い言葉を使い、泰然とした態度をとる。
リーゼが表で見せるそんな姿は虚勢だった。
そして、そんな虚勢は、他人に自分を大きく見せるためのものではなく、自分自身を鼓舞するためのものだった。
隣で涙を落としているのは、次期州知事たる大物でも、高潔な志を持つ偉人でもなく、ただ人が好きで、ただ人を救いたいという夢を持っただけの、ただの女性だったのだ。
怖くないわけがない。命を狙われれば、怖いのは当たり前だ。
そんな当たり前のことに、俺は今更ながらに気付いたのだった。
「ごめん、リーゼ……」
「クライが謝ることじゃないでしょ?」
「いや、ちゃんと謝りたいんだ。だって、リーゼは俺に謝ってくれただろ?」
あの日、リーゼは俺のことを『狼』と呼んだ。それは、恐怖による偏見からだった。
そして俺は、リーゼのことを、偉大だとも高潔だとも思っていた。しかしそれは、尊敬による偏見だった。
悪意だろうと善意だろうと、恐怖だろうと尊敬だろうと、相手の本質を見ていなかったことに変わりはなかった。
「だから、ごめん」
「やっぱり優しい人だね、クライは。でも、気にしないで。私が自分でそう見せてたんだから」
涙を拭いたリーゼの震えは止まっていた。
それに気付いた俺は、彼女の肩に回していた左腕を慌てて引いた。
「ご、ごめん」
今度は勝手に肩に手を回したことを詫びた。
流れに身を任せてとんでもないことを仕出かしてしまった左腕には、後できつくお灸を据えておくので、それでなんとか許してほしい。
「ダメだよ」
照れ笑いを浮かべたリーゼが俺の左腕を引いて、自らの首へと巻いた。
「リ、リーゼ……?」
「今夜だけでいいから、こうしていてほしいの。だめ、かな?」
「だ、だめじゃ、ないけど……」
こ、今夜って、いつまで? まさか朝までずっと? 俺の理性はそこまで長く保ちそうにないんだけど――って、そんなことより、俺はルシュを待たせてるんだった。これ以上待たせると、後が怖い……
「やっぱりルシュのことが気になる?」
「い、いや、そんなこと、ないけど……」
図星を突かれてギクリとする俺。
しかし、そんな俺を見逃してくれるほど今日のリーゼは甘くなかった。
「ルシュのことが好きなの?」
「ま、まあ、好きか嫌いかで言えば、好きだよ。仲間だからさ……」
「ふふ、嘘つきね。ルシュがかわいそう。でも、いくらクライがルシュを好きでも、ルシュは神の巫女でしょう?」
「いや、別にそういう好きじゃないって! ってか、神の巫女っていうのも自称だよ。設定か何かだから」
俺がそう弁明すると、リーゼは意外そうな顔をして首を傾げた。
「自称? でも、『契りの鎖』を着けてるでしょう?」
「契りの鎖?」
「そう。左の手首に」
そう言われてみれば、ルシュはいつも左手首に白いブレスレットのような物を身に付けていたような気がする。
「神に純潔を誓うための物なの。この大陸では普通は青色なんだけど、ルシュのは白だったからちょっと不思議だなって」
「そう、なんだな……」
まさか本当に巫女だったとは……
まあ、だからと言って、何か問題があるかと言えばそうでもないのだが。
「そう。ルシュは巫女だよ。でも、私は……ううん、何でもない」
リーゼは言いかけた言葉を飲み込んで、俺の胸に頭を預けた。
「今夜だけ。今日だけでいいから、お願い。そうしてくれたら、また明日から頑張れるから」
わかった――そう答える代わりに、俺はリーゼの肩を引き寄せた。
その肩が、大きすぎる期待で潰されないように、死への恐怖で震えないように、その小さな肩を抱き寄せた。
ルシュには後で謝ろう。
許してもらえるかはわからないが、今は目の前の、偉大でか弱い一人の女性を放っておくことはできなかった。
かくして俺は、長い長い試練の夜を迎えたのだった。
⚫︎
迎えて翌朝。
自分を律してお勤めを果たした俺はリーゼロッテ邸を後にした。
別れ際には、すでにいつものキリッとしたリーゼロッテ女史だったが、それでもその顔にはどこか照れが浮かんでいた。
そんな彼女に後髪を引かれる思いもあったが、俺にも彼女にもやるべきことがある。リーゼロッテ女史は選挙戦もいよいよ最終盤だし、俺は俺でルシュと話をしないといけない。
遅きに失した感もあるが、それででもこのまま放置をしていていい問題ではない。
早朝のまだ人通りの少ない街路には冷たい朝靄が立ち込めている。
その中を歩く俺の足取りは重い。いや、重いのは足取りではなく、気だ。
「はあ……怒ってるだろうな……」
まあ、昨日の時点で怒っていたのだから、怒っているのは確定だ。問題はその程度。
俺から「待っててくれ」なんて言っておいて、その約束を破って朝帰りをしているのだから、それなり覚悟をしておく必要があるだろう。一時間ぐらいの正座で済めば御の字だ。
本当はご機嫌をとれるような手土産を買って帰れればよかったんだが、今のこの時間ではそれも叶わない。
ま、この時間だし、ルシュは自室で休んでいるだろう。謝るのはルシュが起きてきてからだな。
それまでにしっかりと反省の弁でも考えておくことにしよう。
そんなことを考えながら、宿の扉を開く。
「ただいま」
誰に言うともなくそう言った俺を待ち受けていたかのように、フロントロビーの待合ソファから声がかかった。
「お早いお帰りで」
批判の色を強く帯びたその声の主は、ブリックだった。
「リーゼロッテさんのところに泊まったんですか?」
「あ、ああ。すまん……」
「すまん、じゃないでしょう!」
俺の肯定に、ブリックは弾けるように飛び掛かってきた。
俺の胸ぐらを掴み、鋭く睨みつけてくる。
「ルシュさんが泣いていたのを、アニキも見ていたでしょう!」
「お、おい、ブリック。朝っぱらから、こんなとこで大声出しちゃ――」
「この後に及んで、気にするのはルシュさんのことより、他人の目ですか?」
投げやりに俺を突き飛ばすと、ブリックは俺に背を向けた。
「アニキには失望しました」
吐き捨てるようにそう言って、ブリックは宿を飛び出して行った。
俺はその姿を茫然と見送ることしかできなかった。
ただ立ち尽くすだけの俺。
ずいぶん長いことそうしていると、次第にふつふつと怒りが沸いてきた。
「クソッ!」
俺は怒りをそのままテーブルに叩きつける。
ブリックに対してでも、もちろんルシュに対してでもない。全てを軽く、甘く考えていた自分への怒りだった。
街では光の一刻を告げる鐘が鳴り響いていた。
その音をどこか遠くに聞きながら、俺はここに来てようやく、事の重大さを思い知ったのだった。
クライ編は火曜連載です。
同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。
https://ncode.syosetu.com/n1886ja/
よろしければそちらもお楽しみください。




