081.ギャップをあなたへ
時刻は闇の一刻を迎え、夕闇が広がっている。通りを歩く人の数もまばらだ。
政府機関の庁舎や大商会の本店などが立ち並ぶ中央街のすぐ隣、富裕層の私邸が軒を連ねる一番街の一画にリーゼロッテ女史の私邸はあった。
一般人の家と比べると確かに大きいが、近隣の豪邸と比べれば貧相だと思えるほど、こじんまりとしている。
こんなところにもリーゼロッテ女史の質実な人柄がよく表れていた。
邸宅を囲む塀の周りでは、複数の冒険者たちが警備に当たっていた。
州知事選の投票日も間近に迫り、ワシャの街では暗殺者による襲撃を受けていることもあって、彼らの警戒心も高い。
案の定、門に近づく俺は、不審者としてあっさりと拘束されてしまった。
「お通ししろ。商業組合からの使者の方だ」
有無を言わさず拘束されて困っていたところに、庭園の方から野太い声が届いた。
その声の主はどうやら警備隊のリーダーだったようだ。彼の指示により俺の拘束はすぐに解かれることになった。
「黒髪のクライ殿だな? 厳重警戒中につき失礼した」
俺の出発に合わせて、ゴールドマン組合長が先触れとしてレタコンを飛ばしてくれていた。
いきなり拘束されたのには焦ったが、無事警備隊にも話が通っていたようで助かった。
「いえ、お気になさらず。警備がしっかりとしているのを体験できて、安心したぐらいです」
「ありがとう。さあ、リーゼロッテ殿は中でお待ちだ」
警備隊のリーダーにドアを開けてもらい、邸宅の中へと入る。
するとすぐに、一人の女性が俺を出迎えてくれた。その人は、俺の見間違えでなければ、たぶんリーゼロッテ女史だ。
先触れを読んで、わざわざ玄関口まで出てきてくれたようだが、俺には正直戸惑いしかない。
「よく来てくれた、クライ。突然の来訪だったので、こんな格好で申し訳ないが、許してほしい」
「あ、あの……リーゼロッテさん……ですよね?」
俺はそう言ったっきり、阿呆のように口を開けて固まっていた。
肩口が大きく開いた黒のドレスに腰まで靡かせた青い髪がよく映える。白い頬を淡い桃色に染め、小さく形のいい唇には紅が差されている。
目の前に立っていたのは、よく知る男装の麗人ではなく、超が付くほど美しい淑女だった。
「私が『女』でいられるのはここだけなのだ。変だろうか?」
「い、いえ! とてもお綺麗だと思います!」
リーゼロッテ女史の言葉に我に返った俺が慌ててそう言うと、それを見た彼女は悪戯に成功した子どものように「ふふ」と笑った。
いつもクールな笑みとは違い、少女のような柔らかい笑顔。俺はそれをとても可愛らしいと思ったのだが、もちろん今はそんな呑気な感想を抱いている場合ではない。
「あの、リーゼロッテさん――!」
しかし、早速話を切り出そうとした俺の言葉は、俺の唇に当てたリーゼロッテ女史の人差し指に遮られた。
「リーゼ、と読んでくれないだろうか?」
上目遣いで俺を見てくるリーゼロッテ女史の顔は妙に艶めかしい。
「えっと……では、その……リーゼさん?」
どぎまぎとしながらそう口にしたが、リーゼロッテ女史はまだ許してはくれなかった。
俺の胸に手を当てると、その手の上に額を置いて呟く。
「リーゼ、と」
美しい姿と花のようないい香り。口調こそいつもとさして変わらないが、纏う雰囲気がまるで違う。
その暴力的な破壊力に俺の心臓は爆音を鳴らしていた。
これ以上は危ない。
気持ちを鎮めるために顔を逸らし、目を泳がせながら、彼女に求められるまま、その名を呼んだ。
「リーゼ……」
それを受けて頬を赤らめるリーゼ。
その笑顔に俺は天使を見た。そうか、たぶん俺は今日ここで死ぬんだな。
そんなしょうもない感想を抱いていると、リーゼが俺の手を引いた。
「さあ、こちらへ。夕食はまだだろう?」
「い、いえ、お気持ちはありがたいのですが、急ぎお伝えしなければならいないことがありまして」
「話なら食事をしながらでもできるではないか。さあ、こちらへ」
今日のリーゼはいつになく押しが強い。いや、もともと押しが強くはあったのだが、今日の感じは何と言うか、言葉は悪いがワガママだ。
そんな彼女のワガママに負け、逸る気持ちを押さえながら応接間までついていくと、そこにはすでに食事の準備がされていた。
「すまない。質素だろう? 豪華な食事というのがあまり性に合わなくてね」
「いえいえ、質素だなんてとんでもない」
とは言うものの、並べられている料理はどこにでもありふれているようなものだ。
サラダに根菜のスープ、トマトクリームのスパゲティ。メインは、俺が酒場で必ず注文する何らかの肉の煮込みだ。
庶民からすれば贅沢ではあるが、富裕層からすれば確かに豪華だとは言えない品々だ。
「いただこう」
リーゼのその言葉を俺は固辞しようとしたのだったが、それよりも先に俺の腹の虫が返事をしてしまった。
そう言えば、今日はバタバタしていて昼飯を食べ損ねてたんだった。
「ふふ。さあ、いつまでも立ってないで掛けてくれ」
その笑顔と空腹に負けた俺は、結局そのまま夕食をいただくことにした。
「う、うまい!」
思わず素が出てしまったがそれはご愛敬ということで勘弁してもらいたい。
並べられた料理はメニューこそどれも庶民的だが、その味はそこらのレストランを凌駕するほど絶品だった。
空腹は最高のスパイスなんて失礼なことを言うつもりはまったくない。そんなこととは関係なく、最高の食材と最高の技術で調理されていることが一口食べただけでわかる。
特に、この何らかの肉の煮込み。酒場で食べるものはいつも筋張っていて、店によっては文字どおり歯が立たないほど硬いのだが、この肉は口に入れるとすぐに線維がほろりとほどけ、肉の甘味を香りが舌を楽しませてくれる。
聞けば、どちらも同じナンラカーノの肉を使っているとのことなのだが、俄かには信じられないほどだった。
そんなこんなで夢中で食べているうちに楽しい晩餐の時間はあっという間に終わりを迎えてしまった。
あっという間とは言うもののそれはあくまで体感時間の話であって、実際にはすでに一刻ほどは時間が経過していた。
あれ、俺はここに何しに来たんだっけ?
食後の紅茶をいただきながら、ふとそんなことを考え、そこでようやく俺はここへ来た本来の目的を思い出したのだった。
これは言い訳に聞こえるかもしれないが、振る舞われた料理はとても美味しかったし、なにより、目の前にいるリーゼが俺の知るリーゼロッテ女史とはあまりにも違い過ぎて、どこか非現実的な、そう、まるで夢でも見ているかのような気分になってしまっていた。
うん。まあ、言い訳だな。
思い出したからには、今すぐにでも目的を果たさなければならない。
そうして俺が口を開こうとしたところで、しかし、その話を切り出したのはリーゼの方からだった。
「おおよその話は聞いている」
リーゼが紅茶のカップをコトリとソーサーの上へと置くと、にっこりと笑った。
いつもとはまるで違う少女のような笑顔だ。
「しかし、この話は家従の者には聞かせられない。部屋を移そう」
ソファとテーブル、ベッドとクローゼット、そして鏡台。
リーゼに付き従って移った先、ここはおそらく――
「私の私室だ。ここなら安心して話をできる」
「入ってもいいんですか……?」
独身女性の私室に入る。しかも二人っきりで。
さすがにこれは憚られる。
外聞がよくないだろうというのは言い訳で、正直なところ、俺の理性が最後まで頑張り切れるか自信がない。紳士を自称しているとは言え、俺だって一応、男なのだ。
だからそう訊いたのだが、俺のそんな胸の内を知ってか知らずか、リーゼは笑顔を崩さずに答えた。
「ああ、もちろんだ。父上以外の殿方を入れるのは初めてだがな」
付け加えられた一言が俺の足を踏み止まらせた。
入っていいと言っているのか、ダメだと言っているのか判断に迷うところだ。いや、それよりもこの部屋に入るのがとても重大なことのように思えたのだ。
しかし、いつまでも躊躇っているわけにはいかない。
ええい、ままよ!
俺は意を決して一歩を踏み出しリーゼの私室へと入る。
カチリ――背後で鍵が閉まる音がした。
「これで誰も入って来ませんよ?」
いや、私室なんだから、鍵なんか閉めなくても誰も入って来たりしないんじゃ……
てか、いよいよ口調まで変わってない? いつもと全然違うんだけど!
そんな俺の動揺をよそに、リーゼはどこか楽しそうだ。
今日のリーゼロッテ女史は、いや、リーゼは一体どうしたんだろう?
「お掛けになって。ワインにします? それともブランデー?」
「いや、俺は――いえ、私はお酒は――」
「あら、そのままの言葉遣いで結構ですのに。私にだけ素を晒させるおつもりですか? クライも普段どおり話してくれると嬉しいのに。それに――」
玄関口でもそうしたように、リーゼは俺の胸に手を当てた。
「一人で飲むお酒は寂しいものですよ?」
リーゼが本当に寂しそうな瞳で俺を見てくる。
それはこれまで接してきた彼女からは想像ができないような庇護欲を掻き立てられるもので、そんな彼女の希望を無碍にすることは俺にはできなかった。
意志薄弱だという誹りは甘んじて受けよう。でも、逆に問いたい。ここで拒否できる男が果たしているのだろうか?
「そういうことでしたら――いや、だったら、ブランデーを頼むよ……」
ワインもブランデーも好きだが、俺はつまみがないとワインは飲めないのだ。ワインだけで飲むとつい飲み過ぎて、あっさりと泥酔してしまう。
というわけでここはブランデー一択だ。ブランデーならちびちび舐めていればいいし、なんとか晩酌のお供としての面目は立つだろう。
宿ではルシュが待っているはずだ。ただでさえ遅くなっているのに、この上、酒に酔って帰るわけにはいかないのだ。
リーゼからグラスを受け取り、彼女が隣に座るのを待つ。
互いに軽くグラスを打ち合わせ、トロリとした琥珀色の液体を舐める。
きっと上等な酒なんだろう。しかし、緊張で味も香りもちっともわからない。
密室で二人きり、絶世の美女と隣り合って酒を飲んでいるというのに平気な顔をしてられる奴を、俺は男だとは言わない。
こんな幸せな緊張にいつまでも浸っていたい――
そんな願望がむくむくと湧き上がってきたところで、俺は慌てて頭を振った。
いかん、いかん。またまた本来の目的を忘れるところだった。さすがにそろそろしっかりしないとな……
「大事な話があるんだ。聞いてほしい、リーゼ」
そうしてようやく俺は話を切り出したのだった。
クライ編は火曜連載です。
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