080.けんかをあなたと
「わたしも行く」
ゴールドマン組合長との話を伝えるとルシュがそんなことを言い出した。
ルシュとブリックは組合本部の待合室で俺を待ってくれていた。緊急召喚を食らった俺を心配してくれていたらしい。
組合からお叱りを受けるようなことではなかったと説明すると二人は胸を撫で下ろしたのだが、それも束の間、軍部からの指令の話をするなり、ルシュもブリックも憤慨したのだった。
「危険な任務なんだ。連れていけないよ」
「だったらクライも行かなきゃいいじゃない?」
「そうですよ。だいたい戦時でもないのに軍が民間人に指令を出すなんて馬鹿げてますよ!」
ルシュもブリックもそう言ってくれるのだが、そういうわけにはいかない。それにこのことはゴールドマン組合長と話がついてしまっているのだ。
「行くデメリットと行かないデメリットを天秤にかけると、残念ながら行かないデメリットの方がはるかに大きいんだよ。もし俺が行かなければリーゼロッテさんにも迷惑をかけるかもしれないしな」
「リーゼロッテさんに迷惑って、どういうこと?」
「俺が犯罪者になっちまったら、そんな俺と仲良くしていたリーゼロッテさんも同じような目で見られちゃうだろ。この大切な時期にリーゼロッテさんの足を引っ張るようなことはしたくないんだ」
「そんなのただの言い掛かりなのに」
「言い掛かりだとしてもだよ」
事実がどうなのかは関係なく、世間がどう思うのかが大事なのだ。釈然としないが、そこは諦めるしかない。
「それに同じことがルシュとブリックにも言える。犯罪者の仲間だと思われれば二人にも迷惑をかけるし、もし俺が長期間拘留されることになりでもしたら困るだろ? それに俺だって捕まるのは嫌だしな」
「わたしは迷惑だなんて思わないけど……でも、クライが捕まっちゃうのは嫌かな……」
ルシュも釈然としないところがあるのだろう。怒ったような、困ったような、そんな複雑な表情を浮かべている。
俺はそんなルシュの頭に手をやり、サラサラの白い髪を掻き回す。
「そんな顔するなって。さっと行って、さっと帰ってくればいいだけなんだからさ」
「だったらやっぱりわたしも行く!」
ルシュは俺の手を取ると、懇願するような顔でそう言った。
しかし今回ばかりはその望みを聞いてやるわけにはいかない。
「ダメだ」
「なんで? 私はクライのお守りなんだよ」
「今は設定の話をしてる場合じゃないだろ」
「設定なんかじゃない!」
怒気を強めてそう言ったルシュの瞳は涙で潤んでいた。
ここまで頑ななルシュは珍しいが、俺としてもここは譲れない。
俺が向かおうとしているのは魔物が溢れるダンジョン。下手をすればスタンピードが起こる可能性もあるらしい。これまでと違って、危険だとわかりきっている場所へ自ら飛び込もうとしている。
ルシュをむざむざ危険に晒すわけにはいかないんだ。
「向かう先は戦場で、道中にだって魔物が溢れているんだ。俺一人の方が安全なんだよ。わかるだろ?」
「わたしはいない方がいいってこと……?」
ルシュは急に声のトーンを落として呟いた。
次は泣き落としか。いつもの手法だが、その手には乗らない。
「そうだ。ルシュは戦えないだろ?」
いつものように軽い口調で答えたつもりだった。
しかし――
「バカ!」
いつも首に掛けていた首飾りを引きちぎり、それを俺に投げつけたルシュは、引き止める間も無く部屋を飛び出して行ってしまった。
その瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「アニキ、今のはダメですよ……」
ルシュの予想外の反応に呆然とする俺に、落ちた首飾りを拾い上げながらブリックが呆れたように溜め息をつく。
「アニキは自分が戦えるから、戦う力があるから、そうじゃない僕たちの気持ちには気付きにくいのかもしれませんね」
首飾りを俺に渡しながらブリックは諭すように言う。
ルシュがその怒りを初めて俺に向けたのと同じように、ブリックが俺に苦言を呈するのは、おそらくそれが初めてだった。
その言葉は、優しく、そして厳しい。
「いつも守られてばかりで、何もできない自分を呪いながら、ただ無事を祈るしかない――そんな自分との闘いっていうのも、なかなか辛いものです。ルシュさんは僕が知る限りいつもそうやって戦ってました。これまでもずっとそうだったんだと思います。戦っているのはアニキだけではないんですよ」
「ああ、そうだな……」
ブリックの言葉にハッとさせられた。
何もできない自分への焦燥と葛藤。それはこれまでの人生で、とりわけ就活の最中に、俺も味わったことがあるものだった。
それは勝利の見えない戦いだった。それに比べれば魔物との闘いのなんと易しいことか。
いない方がいい――
戦えない――
深く考えもせず、軽はずみで、言ってはならないことを言ってしまった。
ルシュを傷つけるつもりなんてこれっぽっちもなかったんだけどな……
「ま、アニキの言っていることも間違ってはいませんけどね。僕やルシュさんが付いて行っても足手纏いなのは確かですし。でも、足手纏いだから連れて行きたくないわけじゃないんでしょう? だったら、アニキの本当の気持ちをルシュさんに伝えてあげてくださいよ」
俺の本当の気持ち――か。
ルシュを危険な目に遭わせたくない。ただそれだけだ。
それはなぜかって?
ルシュのことが大切だからに決まっている。
でも、そんなことは言わなくたってわかるだろ?
え? わからないって?
まあ、そりゃそうか。大切なことは口に出さないと伝わらない。
一期一会の精神で、人との出会いに感謝し、素直な心を相手へと伝える――元の世界では照れ臭くてできなかったことを、この世界では誠実に実践してきたつもりだった。
それなのに、肝心のルシュを相手にそれができていなかった。
ルシュとはいつも一緒にいて、距離が近過ぎて、いつしかそうする大切さを忘れていたのかもしれない。
これは俺の怠慢だ。
今すぐ追いかけて謝りたい。俺がルシュを置いていこうとするその理由をきちんと伝えたい。
しかし、今は状況がそれを許さない。
「……ブリック、ルシュを頼む。俺は今からリーゼロッテさんのところに行かないといけない」
「本当にそれでいいんですか?」
ルシュとリーゼロッテ女史、どちらを選ぶのか。
ブリックの剣呑な目はそう問うていた。
しかし、どちらかを選ぶなどという難解な問題ではない。
ブリックが言ったように俺には戦う力がある。それをことさらにひけらかす気はないが、それでも、手の届く範囲の近しい人たちは守りたい。ただ単純にそれだけの話だ。
「しょうがないだろ。リーゼロッテさんは命を狙われている。これは命に関わることなんだ」
そう自分に言い聞かせる。
誰がどう見ても俺の判断は間違っていないはずだ。
「できるだけ早く帰るから待っててくれって、ルシュに伝えてくれ」
「はあ……」
俺の言葉にブリックはこれ見よがしに大きな溜め息をついた。
「まったく、間に挟まれる僕のことも少しは気遣ってほしいものですね」
やれやれと首を振りながらブリックはドアノブに手をかける。
「わかりました。ルシュさんのフォローは僕がしておきます。ですから、できるだけ早く帰ってきてくださいね」
そうしてブリックは、それだけ言い残すと、ルシュの後を追って駆けて行った。
一人残された俺は、薄暗い部屋の中、ルシュが残していった首飾りを握りしめ、開け放たれたままの扉を眺めていた。
ルシュとの初めてのケンカ。いや、ケンカではない。俺が一方的にルシュを傷つけただけだ。
しかしこのことさえも、大きな混乱の幕開けに過ぎなかった。
クライ編は火曜連載です。
【以下テンプレ】
是非ともブックマークをお願いします。
ベージ下部から評価もしていただけると作者が喜びます。
同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。
https://ncode.syosetu.com/n1886ja/
よろしければそちらもお楽しみください。




