079.司令書をあなたへ②
「気を悪くせず聞いてほしいのじゃがね、『商業組合の狼』と聞いて、すぐに君のことだろうと思ったよ」
「クライ殿のことは儂からそこの爺さ――組合長に話を伝えておったんだ」
いつの間にかイヴァン会頭が俺の隣に座っていた。
長時間正座をしていただろうに足が痺れた素振りを見せないのは、正座をし慣れているからだろうか。
「モロトフからの報告で、クライ殿が不可視の魔法を使うことを儂は知っとる。そこの爺さ――組合長も」
「陰で調べるようなことをしてすまんの。ただ、儂らは君がそのことをあまり知られたくないということも知っておるので、誓って他言はしとらんよ」
「ええ。そこは信頼しております」
イヴァン会頭が俺の始原魔法のことを把握していることは予想できていた。
ワシャでのリーゼロッテ女史暗殺未遂のときにはモロトフ支店長も現場にいたわけで、上層部に事の経緯を説明する上で俺の始原魔法に触れないわけにはいかないだろうことは容易に想像がつく。
イヴァン会頭とゴールドマン組合長の関係性を見るに、そのことがゴールドマン組合長の耳に入るのも不思議ではない。
そして彼らがその情報を無暗に触れ回ることもないだろう。そうすることによる利がないからだ。
では、なぜアック防衛局長なる人物が俺の始原魔法のことを知っているのか、という問題だが、これはおそらくアックトック商会によって齎された情報だろう。
俺が不可視の魔法を使うことを知る人物は限られている。
ルシュとブリック。アーリムの冒険者パーティ・アークとアイリス。彼らは真っ先に除外していい。
ゴクッチ河の船頭ブランクの前でも始原魔法を使ったが、軍部が平時からそこまで情報収集の手を伸ばしているとは思えない。
やはり最も疑わしいのはリーゼロッテ女史暗殺未遂事件の現場にいた面子だ。それは『狼』という表現をアック防衛局長が使ったことからも明らかだ。
リーゼロッテ女史、護衛の冒険者、教会の面々、そして暗殺者集団。この中で誰が一番怪しいかと言えば、それはやはり暗殺者集団だ。
彼らは全員自害したとの話だったが、直接暗殺に加わっていない諜報員が現場に潜んでいたと考えるのが妥当だろう。
「アック防衛局長とアックトック商会のトック会長は兄弟ですからなあ」
もとからアックトック商会が犯人だろうと疑っていたが、イヴァン会頭のその言葉でほぼ答えは出たようなものだった。
俺はテーブルに置かれた指令書を広げ、その内容に目を通す。
そこには、パシオーシャ第一号ダンジョンへの物資補給作戦への従事命令のほか、命令に従わない場合はワシャにおける民間人殺害の容疑で拘留する、と書かれていた。
「民間人殺害容疑とはあの暗殺者どものことか! まったくふざけておる! クライ殿、こんな指令に従うことはありませんぞ」
俺以上に憤慨したイヴァン会頭がテーブルに拳を叩きつける。
「イヴァンの言うとおりじゃ。そもそも指令書は軍部の中でしか通用せん。民間人が軍の指令書に従う謂れはないのじゃ」
「お二人とも、ありがとうございます。しかし、物資補給部隊に護衛が必要なのは確かでしょう? それに、ここで私が断るとゴールドマン組合長のお立場も難しいものになるのではないですか?」
「クライ君が組合のことを心配する必要はないんじゃ。むしろその逆じゃよ。この話を断った場合にクライ君が不利益を被るようなことがあれば、儂らが総力を挙げて君を守ろう。組合は組合員のためにあるものじゃからな」
「本当にありがとうございます」
俺は二人に深々と頭を下げた。商業組合のトップと国を代表する大商会のトップがともに人格者であることは俺たち商人にとっては救いだし、そんな二人が味方でいてくれるのは心強い。
「しかし、わざわざ私にこのようなことを言ってくる意図は何なのでしょうか?」
「十中八九、選挙絡みでしょうな」
そう言ったイヴァン会頭が、現在の選挙戦の状況を説明してくれた。
「リーゼロッテ殿の暗殺――敵方にはもうその方法ぐらいしか残っておらんのですよ」
このまま順当にいけば今回の選挙はリーゼロッテ女史の圧勝で終わる。それが大方の予想だ。もはや対立候補側が何をしたところで覆しようのないほどの圧倒的な差がついている。
彼女の掲げる社会システムの変革には増税なども含まれているというのに、それでも支持者は後を絶たない。リーゼロッテ女史はそれほどまでに大人気なのだ。
しかし、その『圧倒的な差』というのが、相手を追い詰めてしまった。いくら頑張っても追いつけない。ちょっとやそっとの妨害工作も意味をなさない。そうして勝利のために取り得る選択肢が徐々に削ぎ落とされていった中で最後に残ったのが、最も短絡的かつ最も最悪の手段――暗殺だ。
「ワシャでリーゼロッテさんが狙われたときに私も現場にいましたから、相手が手段を選ばないことはわかりますが、それと私にどのような関係があるのでしょう?」
「お主のことを恐れておるんじゃよ」
ゴールドマン組合長が豊かな髭を撫でつけながら、溜め息混じりに言う。
「お主はリーゼロッテ殿の暗殺を防いでみせた。それも『狼』を思わせるような奇怪な力での。アックトック商会とアック局長はその力を恐れておるんじゃろう。リーゼロッテ殿の命が狙われていると知ったら、お主ならどうするかの?」
「彼女を守ると思います」
州知事候補だからとか、財団のトップだからとか、そういうことは関係なく、リーゼロッテ女史と俺は友人となった。友人を守りたいと思うのは当たり前だろう。
「だからこそお主を排除したいのじゃろうな。ダンジョンまでの物質輸送を命じることで、お主とリーゼロッテ殿を引き離したいと考えておるんじゃろう」
確かにそれはそのとおりかもしれない。俺がリーゼロッテ女史の護衛につけば、彼女を守りとおすだけの自信が今の俺にはある。
しかし、これは難問だな。リーゼロッテ女史が狙われているとわかっていて、この街を離れるわけにはいかないが、この命令に反せば殺人容疑で拘束されてしまう。もちろん完全な冤罪なのだが、今この国で生きている以上、この国の法に従う必要があり、法の手続きに則って俺は自身の無実を証明しなければならなくなる。
いずれにしてもリーゼロッテ女史をそばで守ることは叶わない。まさに八方塞がりだ。権力というのは、いや、権力を持った悪人というのは本当に厄介だ。
「私はどうするべきでしょうか?」
事は人命とこの国の未来に関わる。俺一人で判断することはできない。
俺が意見を求めると、ゴールドマン組合長が渋面を作りながら答えた。
「心苦しいのじゃが、アック局長の言うとおりお主には輸送隊を率いて前線基地に向かってもらいたいと思うておる。もちろんお主の安全面については十分配慮するつもりじゃ。冒険者組合から護衛を出してもらうよう儂から依頼しておくでな」
「あやつの思惑どおりになるのは癪ですが、それが無難でしょうな。そちらの方が儂らも助かりますしな」
命令に従わなかった場合、俺は身に覚えのない殺人容疑で拘束されることになる。問題となるのは、それが無実の罪かどうかではなく、殺人という罪状そのものだ。
殺人の罪を着せられるような輩と付き合いがある――そういうダーティなイメージはリーゼロッテ女史の足を引っ張ることになる。対立候補との間にある決定的な差を覆すようなものではなくとも、高潔な人柄で人気を集めている彼女にとって痛手となることは間違いがない。
イヴァン会頭はそう説明しながらも、忿懣やる方なしといった感じだ。
「そういうことであればもちろん従いますが、リーゼロッテさんの方は大丈夫でしょうか?」
「腕利きの冒険者を揃えて護衛に当たらせよう。両陣営に護衛をつけることにすれば、公平性を疑われることもなかろうて。その件も含めて、冒険者組合とは早急に話をせんといかんのう」
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
「いやいや、礼には及ばんよ。むしろこちらがお主に謝罪をせねばならん。お主も被害者なんじゃからの」
確かにゴールドマン組合長の言うとおりではある。俺は巻き込まれただけのただの被害者だ。
しかしこれは俺の友人の話でもあるのだ。俺は無関係の第三者ではない。友人のために力を尽くしてくれる人たちにせめて感謝の気持ちぐらいは伝えたい。
「さて、まずはこの件をリーゼロッテ殿に伝えておかねばならんの」
「では儂が鳥を飛ばしておきましょう。組合が表立って動くのは都合がよくありませんしな」
リーゼロッテ女史に知らせないまま、この件を秘密裏に処理することもできるのだろうが、やはり当事者である彼女もこの話は知っておいた方がいい。
それが二人の判断だった。俺もそう思う。そう思ったからこそ、俺は二人の話に口を挟んだ。
「私が説明に上がってもよろしいでしょうか?」
リーゼロッテ女史のことだ。手紙一枚で知らされたところで到底納得することはないだろう。それにこの件は命に関わる重要案件だ。第一報は手紙で知らせたとしても、必ず誰かが説明に赴かねばならない。
だったら、もう一人の当事者である俺が説明をするのが一番手っ取り早い。
「それは願ったりじゃが、よいのか?」
「はい。お任せください」
こうして俺はリーゼロッテ女史の下を訪れることを決めた。
しかし、このことが俺たちに大きな混乱をもたらすことになることを、このときの俺に知る由はなかった。
クライ編は火曜連載です。
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