078.司令書をあなたへ①
シーラン連邦商業組合本部。
俺のような行商人からルーベニマ商会のような巨大商会まで、この国の商人すべての大元締めだ。
その業務は多岐にわたるが、本部が所掌するのは、州政府が関与するような大型案件や大商会間の利害調整などであり、少なくとも俺のような一介の行商人にいちいち構っているようなところではない。
そんな俺が呼び出される理由には心当たりはないが、もしかしたらと思い当たる節もある。
俺はこの世界で行商を始めてからというもの、自由気儘に商売をしてきた。
世に出す商品は、この世界の文化レベルを逸脱し過ぎないように細心の注意を払ってきたつもりだが、それでも既存商品との競合による摩擦や既得権益の破壊を起こした可能性は否定できず、もしかしたらその辺りについてお叱りを受けるのでは、というのが俺の懸念であった。
「よく来てくれた。急に呼び出してしまって悪かったのう」
通された部屋で俺を待ち構えていたのは、青く長い顎鬚が特徴的ないかにも好々爺然とした老人だった。
「クライと申します。お初にお目にかかります、ゴールドマン組合長」
そう。目の前にいる人物は、『血雨のゴールドマン』こと、シーラン連邦国商業組合の組合長その人だ。商業組合の組合長なのに二つ名がなぜそんなにも物騒なのかはわからない。知りたいとも思わない。
いきなり組合本部に呼び出されたうえ、出てきたのが組合のトップなのだから、これはもうただごとではない。
内心の焦りをひた隠し、ただ一言挨拶を述べるのが俺には精一杯だった。
「そう警戒せんでもよい。噂は耳が遠くなった儂にもよく聞こえてきておるよ。君が扱う商品はどれも斬新で、既存の市場を刷新するものばかりという話ではないか」
「恐縮です」
これを単なる賞賛だと受け取るのはあまりにも愚かだろう。
やはり、市場を荒らしてしまったのが問題だったのか。
「心配せずとも君の商売にとやかく言うつもりはない。市場の活性化は組合にとっても喜ばしいことだしのう。まあ、まずは座らんかね?」
ほっほっほっと髭を撫でながら笑うゴールドマン組合長に促されるまま、応接用のソファに腰を掛ける。
体を包み込むような柔らかな座り心地。ルーベニマ商会本店の物にも勝るとも劣らない高級品だ。
目の前には大樹から切り出された一枚板のテーブルがあり、甘い花のような香りのする紅茶と茶菓子が並べられている。
そのテーブルの脇には、小太りの青いちょび髭をしたおっさんが正座をしていた。
ん? おっさん?
「イヴァン会頭!」
「や、やあ、クライ殿。奇遇だね?」
そう言えばこのおっさん、ヴィクトルの指示で組合長に謝罪に行かされていたんだったな。
素直に謝罪に訪れていたのには驚いたが、大商会の会頭ともあろう者が正座をさせられているとはさらに驚きだ。
「さて、早速じゃが話をさせてもらうとしようかのう」
「は、はい……」
ゴールドマン組合長が話を切り出そうとするが、足をピクピクと痙攣させながら正座を続けるイヴァン会頭が気になって集中できない。
俺が高級ソファにゆったりと座り、大商会の会頭が床で正座をしているとシチュエーションは違和感が半端ないのだ。
「大事な話のようなので、儂はこれで」
この状況をチャンスと見たイヴァン会頭が立ち上がろうとするが、その企みはゴールドマン組合長のにこにことした笑顔で脆くも崩れ去った。
「よいよい。お主もそこで聞いておれ」
「しかし、儂は部外者ですので……」
「寂しいことを言うでない。儂とお主の仲ではないか。ほれ、お主の分の紅茶も用意させよう」
そうして用意された紅茶はソファの前ではなく、テーブルの端、イヴァン会頭のすぐ目の前へと置かれた。
つまりは、まだまだそこで正座をしていろ、というわけだ。
「チッ!」
イヴァン会頭は、ゴールドマン組合長に聞こえるか聞こえないかのギリギリの大きさで舌打ちをしている。反省している様子は全く感じられない。
同情して損した気分だ。
「それで話というのはなじゃな――」
早速話を切り出そうと口を開くゴールドマン組合長。しかし、その出鼻を挫くように、イヴァン会頭が横やりを入れる。
「その話は長くなりますかな? 年寄りの話は長くて敵いませんからな。ここは若人を慮って努めて短く、三行で説明されるのがよろしかろう――」
「儂は『聞いておれ』と言ったはずじゃが? 聞こえんかったのかのう?」
その表情は笑みの形こそしているが、目の奥には強烈な怒気を孕んでいる。
まさに蛇に睨まれた蛙。もしかしたら血の雨が降るのかもしれない。
イヴァン会頭は冷や汗を垂らしながら「さ、さすがは組合本部、よい香りのお茶ですなあ」などと紅茶を使ってお茶を濁している。
早く解放されたいなら黙っているのが一番だと思いますよ、イヴァン会頭……ってか、俺も早く解放されたいので本当に黙っていてほしい。
「では、今度こそ話すとしようかの」
ゴールドマン会長が目線でイヴァン会頭を牽制しながら口を開いた。
「クライ君、今日来てもらったのは君に仕事の依頼があったからなんじゃ。州政府絡みなんじゃが、ちと複雑な事情があってのう……」
「州政府からの依頼ですか。それはどのようなものなのでしょう?」
「ふむ。順に説明しようかの」
パシオーシャ州の州都アクエリアから馬車にて北東へ二日ほど。そこには『ダンジョン』がある。
ダンジョンというのは、天然の洞窟などに魔物が棲みついた場所で、新たな魔物の発生場所とも言われている。
今、そのダンジョンが現在活性化しているらしい。
「このままではスタンピードが発生するかもしれん、というのが州政府と冒険者組合の見解での、軍と冒険者組合の共同で調査と魔物の間引きを行っておるところなんじゃよ」
「あの、不勉強な質問で申し訳ないのですが、『スタンピード』とは何なのでしょうか?」
「確かに商人にとっては耳慣れない言葉じゃな。スタンピードというのは増えすぎた魔物が氾濫することじゃ。記録によれば、前回、パシオーシャ一号ダンジョンでスタンピードが起こったのはおよそ二百年前。そのときは、数多の魔物と巨大種が群れをなし、アクエリアの街も大きな被害を被ったそうじゃ」
なるほど。それは確かにヤバそうだ。軍と冒険者組合が共同戦線を張っているのも頷ける。
「商業組合は、その前線基地への物資補給を請け負っておるわけじゃ。しかしの、いつもは輸送隊には軍の護衛がついておったんじゃが、今回は護衛をつけることはできんと政府が言ってきおったんじゃよ」
その理由は、州知事選挙だ。
選挙期間中は市警だけではなく、軍からも相当数の人員が警備に充てられている。
「それでも、前線の維持に必要な物資の補給は最重要事項でしょう? いくら選挙期間中と言っても、数名の護衛兵も出せないというのはおかしいような気もしますが?」
「もちろん儂もそう言ったんじゃ。じゃが、防衛局長のアック殿が頑なでの。危険が伴うのなら『商業組合の狼』を連れて行けばよいと仰ったのじゃよ。そうして渡されたのがこれじゃ」
そこまで言って、ゴールドマン組合長はテーブルの上に一つの書状を置いた。
その書状には『指令書』と記されていた。
クライ編は火曜連載です。
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