073.懺悔をあなたへ
シーラン連邦国最大の州であるパシオーシャ州の州都アクエリア。
政治と経済の中心地と呼ばれるだけあって、かなりの栄華を誇っている。
アーリムもレガーナ州の州都ではあったが、アーリムが地方中核市だとするならば、ここアクエリアは東京新宿区だと言えば、どれだけ栄えているかはわかりやすいかもしれない。
この街をはじめとしたパシオーシャ州全体のボスになろうというのだから、リーゼロッテ女史は本当に剛毅な人だ。
「うぅ……寒い」
ルシュが身震いをしながら、この街に入ってすぐに買ったショールを肩にかける。
「確かに冷えるなあ」
アクエリアはワシャから北へ向かって馬車で一週間ほどの内陸部にあり、この国のすべての都市の中で唯一、海にも川にも湖にも面していない珍しい街だ。
緯度も高く、西に聳える山脈から冷風が吹き下ろしてくるため、まだ秋の中頃だというのにかなり冷え込んでいる。
「先に組合に行く予定だったけど、まずはコートを買うのが先だな」
防寒着を調達した俺たちは、商業組合アクエリア支部へと向かい、そこで商品の卸先の相談や情報収集などを行った。
ちなみに商業組合の本部はここアクエリアにある。しかし、商人が利用するのは基本的には支部の方だ。
本部では組合全体の運営や国家レベルの事業などの重要案件を処理するところであり、一介の商人には縁がない、というか縁がない方がいいところなのだ。
「アニキ、これから営業に回ってきてもいいですか?」
「ああ、いいよ。宿をとったら組合の掲示板に載せとくから後で確認してくれ」
「ありがとうございます。では、行って参ります!」
ブリックは敬礼をすると、組合事務所から飛び出していった。
今回は仕事を全部任せているからか、ブリックはやる気に燃えている。
「ブリックもだいぶ成長したよな」
「もともとできる子だよ、ブリックは」
「それもそうだな」
ブリックと一緒に旅をするようになってからまだ二か月も経っていない。
ルシュの言うとおりもともとできるヤツだったし、俺が仕事を教えたなんて大それたことを言うつもりはさらさらないが、今回ブリックが手掛けている案件を上手くこなせるようなら、俺から教えられることはいよいよ何もなくなってしまう。
それに、アクエリアの次の目的地は青の神殿。そこでルシュの用事を済ませれば、港町ネベアから大陸間渡船にて緑の大陸へと向かうつもりだ。
要は商人としての活動はここが最後ということで、俺の能力云々の問題以前に、ブリックに経験を積ませる機会自体がなくなってしまうというわけだ。
まあ、今後の予定についてはブリックにも伝えていることだし、今後の身の振り方については彼自身も考えていることだろう。ここでの仕事が終わったら一度じっくり話をしないとな。
「わたしもブリックについて行っていい?」
「もちろん。でも、ルシュがこんなに仕事熱心だったとは意外だな。『わたしは働かない』って豪語してなかったっけ?」
「そうだよ。わたしは働かないの。働くのはブリックだけ」
「はは、そうかよ」
ルシュはこう言っているが、ルシュの助言や手伝いはブリックの大きな支えになっているのは間違いない。
「ブリックのこと、頼んだぞ」
「うん、任せといて!」
ブリックに倣って敬礼をしたルシュが、ブリックの後を追って駆けていく。
俺はそれを見送りながら伸びを一つ。
「さてと、俺は俺でやることをやりますか」
それから一週間。
俺は宿の隣の酒場で一人寂しくエールを呷っていた。
ここ数日はだいたいこんな感じだ。俺自身の用事は大方済ませてしまった。仕事はブリックとルシュに任せているのでやることもなく、ぶっちゃけて言うと暇を持て余していたのだった。
「アニキ、報告に上がりました!」
そこへブリックが飛び込んできた。ルシュも一緒だ。
「おお、なんか久しぶりだな。まあ、座れよ」
一人で飲んでいたカウンター席からテーブル席に移動し、追加のエールを二杯注文する。
エールが届くなり、ゴクゴクと喉を鳴らしてジョッキを傾ける二人の飲みっぷりを見れば、仕事が上手くいっていることが容易に想像がついた。
でもまあ、まずは二人の話を聞いてみよう。
「まずは干物ギフト百箱、無事完売しました! 売り上げから経費を差し引いた利益は金貨二十枚と銀貨七枚。わずかではありますが目標を超えています!」
「おお! すごいじゃないか! がんばったな」
俺が労いの言葉をかけると、ブリックとルシュは嬉しそうにはにかみながら頭を掻いた。
なんかこの二人リアクションが似てきてるんだよな。まるで姉弟のようないいコンビだ。
「材木の方はどうだ?」
「こちらも問題ありません。僕の予想どおり、価格は今日下落に転じました。明日には一気に下がると思うので、早速明日から買い付けに回ろうと思っています」
「そっかそっか。とりあえず第一関門は突破だな」
相場の動向がどうなるかが気がかりだったが、どうやらそこはブリックの読みが的中したようだ。
「納品日はいつなんだっけ?」
「六日後の光の九刻までに、カガヤ材木店の倉庫に直接納品です」
「てことは、五日後までには現物を揃えとかないといけないな」
「はい。ただ僕たちには倉庫がないので、確保できた分からカガヤ材木店の倉庫に搬入するよう先方とは話を付けています」
なるほど。一括納品じゃなくていいということは、最悪の場合は、足りない分は納品日当日に掻き集めてなんとかするってことも可能だな。
「わかった。とりあえず少なくとも四日後までには一度状況を報告してくれ」
「わかりました」
ブリックが頷いたのを確認して、仕事の話はここでお終い。
とりあえず今は、干物の完売を祝して乾杯だ。
それからさらに四日後。
深夜の宿の部屋にノックの音が響いた。
「ブリックか?」
「…………はい」
小さく消え入るような返事を聞いて俺はドアを開いた。
ブリックはひどく憔悴しきっている。
「まあ、座れよ」
俺はブリックに椅子を勧め、テーブルを挟んだ向かい側に俺も座る。ベッドにはルシュも腰を掛けている。
別にいかがわしいことをしていたわけではない。先に戻って来たルシュから状況を聞いていたのだ。
「材木が集まってないんだな?」
「……はい」
ブリックが力なく頷く。
「今はどれぐらい集まってるんだ?」
「百本にも足りていません……」
半分以下か……
俺は二人に悟られないように小さく溜め息をついた。
「理由は?」
「……わかりません。市場に材木が出回っていないんです」
伏していた顔を上げて俺を見た目には混乱と恐怖の色が浮かんでいた。
なんとなくこうなる気はしていた。
今回の取り引きの相手は木材店だ。材木の価格動向には敏感だろう。選挙特需の後に材木価格が下落することを知らないわけがない。
それにもかかわらず値が高いときに敢えて発注をするからには何か理由があるはずだと思ったのだ。
「俺も色々調べてみたよ」
ブリックの言うとおり、今、材木市場にはほとんど現物が出回っていなかった。
今の市場で取り引きされているのは、ほとんどがひと月以上先に納品される材木、つまりは伝票上の取り引きだ。
では、選挙特需が終わって在庫がだぶつくはずの材木の現物はどこへ行ったのか?
ここ数日の聞き込みによると、そのほとんどは相対取引で売買されていたようだった。相対取引とは、俺たち行商人がよくやるように、市場を通さず売り手と買い手の直接交渉により売り買いをする取引だ。
その取引価格は、ピークの頃よりはやや落ちてはいるが、それでも平時に比べればかなり高い水準だった。
つまりは、選挙特需はまだ終わってはいなかったのだ。
投票札という超大口需要が市場に一時的な混乱を生んでいたわけだが、その混乱は原因がなくなったからといって急に収まるものではない。
材木の供給側からすれば急に値が崩れるのは困るし、需要側も必要な量を確保できないのは死活問題だ。
品質による差別化が難しく、国民生活に欠かせない材木は市場による価格形成が常となっているようだが、今はそういう両者の思惑もあって相対取引が積極的に行われているのだろう。
要は、ブリックは罠に嵌ったというわけだ。それは、誰かが張った罠ではない。業界の商習慣という罠だ。
「アニキ!」
ブリックは立ち上がると、すぐにその場で両手両膝を床について頭を下げた。
「このままではアニキの顔に泥を塗ることになってしまいます。でもまだ時間はあります。明日、明日必ず残りを全て揃えてみせます! だから、あと一日、僕にチャンスをください!」
この世界にも土下座ってあるんだな――というどうでもいい感想はさておき、今はブリックのフォローが先だ。
「できないことを約束しちゃダメだ。『必ず』と言えば『必ず』やりとげなければいけなくなる。今日までかかって半分も集められなかったのに、明日一日でそれができるのか?」
俺が立ちあがると土下座をするブリックを見下ろす形になる。
ブリックは怯えたように首をふるふる振っているが、もちろん威圧するつもりなんて微塵もない。
俺はしゃがんでブリックの肩に手を置くと、顔を上げさせる。
「俺の顔なんてどうでもいい。この取引にかかっているのは『信用』だ。だから最後まで、ギリギリまで頑張ってみろ。それでできなかったときは仕方がないさ。そのときは俺も一緒に謝りに行ってやるよ」
腕を抱えてブリックを立ち上がらせる。
「はい……すみません……ありがとうございます……」
ブリックの頬は涙で濡れていた。
この悔しさを、この怖さを忘れなければ、ブリックはさらに成長できるだろう。
「さあ、わかったら今日はもう寝ろ。明日が勝負なんだからな」
肩を抱いてブリックを部屋まで送る。
ここでしっかりと気持ちを切り替えられるかが勝負だ。でもまあ、ブリックなら明日にはしっかりと立ち直っているだろう。
そんなことを思いながら自室に戻ると、そこにはまだルシュが残っていた。
「おかえり」
「なんだ、まだいたのか? ルシュも早く部屋に戻れよ」
明日はルシュにも頼みたい仕事がある。それに夜更かしは美容の大敵だからな。
しかし、俺の言葉を無視してルシュはベッドに座ったまま、脚をぶらつかせている。
仕方がないので俺も隣に座る。
「どうした?」
「……ごめんね。私がついていたのにこんなことになっちゃって」
「なんだ、そんなこと気にしてたのか?」
俺は思わず噴き出した。
「笑うことないでしょ」
「いや、悪い悪い」
頬を膨らませるルシュの頭をぽんぽんとやって、なんとかご機嫌をとる。
「ルシュは十分ブリックを支えてくれてるよ。それにさ、いいんだよ、失敗したって」
失敗できるときに、思いっ切り失敗しておいた方がいい。
失敗できない就活で失敗した俺がいうのだから間違いない。
「さっきのクライ、お兄ちゃんみたいだったね」
「茶化すんじぇねーよ」
「茶化してなんかないよ」
そう言ってベッドから跳び下りたルシュがドアに向かって静かに駆けていく。
そうして閉じかけたドアの隙間から顔をのぞかせて、俺の不意を突くように言った。
「かっこよかったよ。おやすみ」




