071.計画をあなたへ
「水の神に!」
いつもの掛け声とともに俺たちはジョッキを打ち合わせた。
ルーベニマ財団の治療院でのお役目を終えた後、俺たちは久しぶりに三人揃って食事をすることにした。
「いやあ、こうして三人で集まるのも久々だな」
「ほんとだね。クライはずーっと治療院に入り浸りだったからね」
「入り浸りって言われるのは心外だけど、まあ、そのとおりだな」
本格的に呪病の治療を手伝い始めてから一週間、宿に戻るのはほぼ深夜になってからで、治療院のスタッフルームで寝泊まりすることもあった。
ルシュとは朝に顔を合わせることもあったが、ブリックの顔を見るのは実に一週間ぶりだ。
「大変だったみたいですね」
「充実してたけどな。ブリックの方はどうなんだ?」
何らかの肉の煮込みをモグモグとやりながらブリックにフォークを向けると、ブリックは不敵な笑みを浮かべた。
「上々ですよ」
ブリックには次の街で商売するための仕入れを支持していたのだが、その顔を見る限りは上手くやっていたようだ。
「それは楽しみだな。ちょっと説明してくれよ」
「いいんですか? 食事中ですけど」
「いいから、いいから」
俺がそう促すとブリックはルシュに目配せをして、互いに頷いた後、説明を始めた。
「この街は海に面する街です。対してこれから向かうアクエリアはここから北に一週間ほどの内陸部。ワシャからアクエリアへの流通品の主力は、海産物と塩です。この二つは多くの行商人や商会も取り扱っているので大きな利益は見込めませんが、確実に捌くことができます。そういうわけで、無難な選択ですが、魚の干物や塩漬けなどを中心に、有名加工所や知る人ぞ知る隠れた名店まで様々なところから買い付けました」
一か所から大量に購入した方が費用は抑えられるし、取り扱う商品の種類が少ない方が売り捌くには楽なのだが、敢えてそうしなかったってことは、そこに彼なりの意図があるのだろう。
「そのこころは?」
「多様な商品を詰め合わせて、贈答品として販売したいと思っています。アクエリアはパシオーシャ州の州都、政治と経済の中心地で富裕層も多いので」
なるほどね。様々な店の様々な味が楽しめる詰め合わせ、それを贈答品とすることで付加価値を付けて他の商品との差別化を図ろうというわけか。
元の世界でも有名店からのお取り寄せギフトなんかが人気を博していたことだし、気軽にお取り寄せなんてできないこの世界ではかなりのニーズが見込めそうだ。
「かなり良さそうだな。着眼点がなかなかいいと思うぞ。それで、利益はどれぐらいを見込んでるんだ?」
「最低でも金貨二十枚を目標にしています」
金貨二十枚は中小規模の商店のひと月の利益に相当する。
これまでの利益の出し方がおかしかっただけで、一度の行商でそれだけ稼げれば及第点どころか大成功と言っていいだろう。
「素晴らしいよ、ブリック。販売の方も任せて大丈夫なんだろ?」
「ありがとうございます。もちろん販売の方もお任せください」
「よかったね、ブリック」
笑顔のルシュに肩を叩かれ、ブリックは照れ笑いをしている。ルシュも嬉しそうだ。たぶん今回の戦略にはルシュも大いに貢献しているのだろう。
いい報告にエールが美味い。何らかの肉は筋張って硬いけどエールは美味い。
「もう一つあるんですが、こちらも今報告してもいいですか?」
「ああ、もちろん構わないけど?」
エールを注文しようとしていた手を止めて、俺はブリックの方へと向き直る。
隣ではルシュが代わりに三人分のエールを注文してくれている。
「一か月後にパシオーシャ州の州知事選があるのはご存知ですよね?」
「うん。もちろん知ってるよ」
今日までその候補者と一緒にいたわけだからね。
「そこで一つ、勝負をしようと思ってるんです」
「勝負?」
「はい」
ブリックは真剣な顔で頷いた。
ブリックの説明は選挙における投票の仕組みからだった。
選挙権は各組合の組合員で納税実績がある者が持っている。投票日当日、選挙人は組合へと赴き、そこで自らの名前と組合員番号が書かれた木札を受け取った後、投票所でその木札をそれぞれが信を預ける候補者の箱へと投票する、という流れになっているそうだ。
「それで、過去の選挙、五年前になるんですけど、そのときの情報を組合で集めてみたんです。そしたら――」
「木材の価格が上がってたとか?」
「そうなんです! さすがはアニキですね!」
パシオーシャ州の人口がどのくらいなのかは知らないけど、大陸五州のうち最大の州だと聞くし、これまで見てきた街の規模などから推測すると、選挙権を持つ者だけでも一千万人は超えるだろう。
その全員分の木札を作るとなるとかなりの量だ。ただでさえ建材や生活用品の多くに木材が使われているこの国では、常に木材需要が高い状態にあり、実際に木材の価格も高い。
そこに大量の追加需要があれば木材価格が一時的に高騰することも十分に考えられる。
「で、勝負っていったいどうするんだ? まさか今頃木材を買い付けて高く売り捌こうってわけじゃないだろうな?」
「やだなあ、そのことはもう忘れてくださいよ」
わざとやった節があるとはいえ、蜜蝋のときの前科があるので一応聞いてみると、ブリックは苦笑いを浮かべた。
「今度は蜜蝋のときとは逆のことをやろうと思っているんです」
安く買って高く売る――これが商売の基本中の基本だ。
ブリックは前回それに失敗したわけだが、その逆ってことは、高く買って安く売る――なんてことをするわけないから、高く売って安く買うってことか。
つまり――
「信用売りか……」
「はい」
今は選挙のひと月前。この時点で木材価格は平時の二倍近くにまで高騰している。
それでも木材は生活に不可欠な物なので、いくら高くても買う人は買う。実際、商業組合には木材の市場外取引の依頼が数多く舞い込んで来ており、それは都市の内部にとどまらず、都市を超えて依頼が来ているほどだ。
「商業組合で杉の規格品、二百本の発注を受けました。価格は今日現在の相場価格です。そして、納品日は二十日後です」
組合を介して取り引きされる木材は、その長さと太さを組合が指定している。その規格を満たす杉の価格は今日現在でおよそ金二枚。
今日以降納品日までに価格が下がったときに買い付けを行い、その現物を納品すれば、価格差の分が利益となる。
仮に平時の相場である一本あたり金貨一枚まで下がったときに買い付けることができれば、差額の金貨一枚、二百本で金貨二百枚が利益となるわけだ。
「木材価格は今がピークです。投票用木札の準備を終えてその需要がなくなるせいか、過去の実績では投票日当日の二週間前には価格は平時の水準まで戻っています。今から二週間後には必ず木材価格は暴落します。それから買い付けを行えば二十日後の納品には間に合うはずです」
ブリックはそう力説した。
よく調べていると思う。データを元にした考察をしっかりと行ったこともよくわかる。
だが、ブリックが見ているのはあくまでデータであり、ブリックが気にしているのは相場なのだ。
俺はそのことが気になった。
「現物の調達はちゃんとできるのか?」
例えば株の信用取引をやるなら、相場価格だけを気にしておけばいい。しかし、現物のある取り引きとなるとそうはいかない。
最悪、相場が下落しないとしても、現物を確保できるのであれば、損を覚悟で買い付ければいい。そうすれば、ただ金を失うだけで済む。
一番問題となるのは、納品ができなかったときだ。
杉の規格品二百本。伝票の数字だけを見れば大したことがないように思えるが、普段から木材を商品として扱っているならまだしも、門外漢にそれだけの数を揃えるのは容易ではない。
もし相手の求める数を揃えなければ、すなわち、契約を履行できなければ、失うものは金ではなく信用だ。そしてそれは商人にとっては致命的な痛手となる。
「大丈夫です。価格の下落に伴って市場には現物がだぶついてきます。それに前回の僕のようなやつもいますからね」
若干楽天的なような気もするが、ブリックがそう言うならこの件を任せよう。
成功するならそれで良し。失敗してもブリックにとってはいい経験になるだろう。失敗させるのも師匠の仕事だしな。
「わかった。この件もブリックに任せるよ。干物の件と合わせて二件任せることになるけど大丈夫なんだな?」
「はい」
「干物の方はわたしも手伝うよ」
そう申し出たルシュに俺は頷いて返す。
なんだかんだでルシュは頼りになるからな。
「じゃあ、あんまりこの街でのんびりしているわけにもいかなくなったことだし、明後日には出発しよう。明日は各自出発の準備だ」
「うん!」
「はい!」
元気よく返事を返す二人に、運ばれてきてからしばらく経ったエールのジョッキを握らせる。
「よし! 仕事の話はこれで終わり! 飲み直すぞ!」
この街でやるべきことはやった。次の街でのやるべきことも決まった。
後は久しぶりに三人揃った夜を楽しむだけだ。
俺たちの飲み会はこれからだ!
クライ編は火曜連載です。
なのですが、また寝落ちしてしまいました……
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