070.抱擁をあなたへ
アズドール財団ワシャ治療院で最後の仕事を終え、俺は一人スタッフルームで荷物をまとめていた。
乗りかかった船だと、治療院での手伝いを始めてかなりの日にちが経った。この間、ここでの仕事だけでなく、学校運営開始に向けて走り回ったりと、日々が慌ただしく過ぎていったように感じる。
元の世界に戻ってても、ここでの時間と同じように充実した仕事を得たいものだ。
そんな感慨に耽っていたところへコンコンとノックが鳴り、リーゼロッテ女史が入って来た。
「リーゼロッテさん、お世話になりました」
「いや、それはこちらの台詞だ、クライ。本当に世話になった。感謝している」
頭を下げる俺の肩に手を置いて、リーゼロッテ女史がどこか寂し気な笑顔を見せた。
「どうしても旅に出ないといけないのか?」
ありがたいことに、リーゼロッテ女史からは「この治療院に残ってほしい」とオファーをいただいていた。
彼女からだけではない。ここで働く間、色々なスタッフの人たちも「一緒に働きたい」と口々に声をかけてくれた。
俺自身、こんな素晴らしい職場で働けたらどんなに幸せだろうと思う。それでも――
「はい。旅こそが目的ですので」
日々旅にして旅をすみかとす、とまでは言わないが、旅こそが俺の目的なのだ。
「自分のルーツを探すために、か?」
「ええ。それと四大神殿を巡ろうと思っています。ルシュとの約束なので」
「なんと! 世界を一周回るというのか!」
リーゼロッテさんが驚きに目を見開き、俺はそれに苦笑いを浮かべる。
無謀なことに挑戦しようとしていることは自分でもわかっているからね。
「ということは、全てを終えたらこの国に戻ってくるのか?」
「この先どうなるのかはわかりませんが、いずれはまた戻って来たいと思っています。いい思い出もたくさんありますし、再会したい人たちもたくさんいますので」
アイリス、ワーキン、メルラ。
ラッツ、ロッサ、ミット、ドット。
それに、ルーベニマ商会の面々。
他にも様々な人たちにお世話になった。
しかし、その誰とも再開の約束はしていない。
この世界での旅は過酷なものだ。街道が整備されている街から街への移動でさえ死人が出ることもある。世界を回る過酷さなど言うまでもない。
だから、俺はいつもこれが最後という気持ちで彼らと別れてきたし、それまでの間は誠心誠意真心をもって接してきたつもりだ。そして彼らもそうしてくれたと思っている。
一期一会――ともすれば元の世界では失われようとしているその精神が、この世界にはしっかりと根付いている。
「再会したい人たち――その中に、私も、いや、この財団の者たちも含まれているのだろうか?」
「もちろんです!」
「ふふ、それを聞いて安心したよ」
互いに笑い合う二人。
思えばリーゼロッテ女史の雰囲気もずいぶん柔らかくなったものだ。
デレの部分を見せてくれることこそないが、こうして二人で雑談を交わし笑い合う程度にはお近づきになれたということだろう。相変わらず口調が堅いのはご愛敬というやつだ。
「あの、リーゼロッテさん、一つお聞きしてもいいですか?」
折角なので気になっていたことを聞いてみることにした。
「リーゼロッテさんはどうして政治家になろうと思ったのですか?」
それは俺がこの治療院で手伝いをするようになってから感じた疑問だ。
「ん? それは以前話したはずだが?」
「そうでしたね。でも、何と言うか――」
リーゼロッテ女史は、この国の経済の在り方が限界に達していて、そのシステムを見直すために州知事になるのだと言っていた。貧困者支援を行う姿を見ても、その言葉に偽りはないのは明らかだ。しかし――
俺はここ数日の様子を思い返す。
医療スタッフたちは相当な激務にもかかわらず、皆笑顔だ。アズドール財団の理事長という自ら所属する組織のトップを相手にしても、気兼ねなく雑談なんかをしていたりもする。
リーゼロッテ女史自身も、理事長室があるにもかかわらず、そこにいることはほとんどなく、空いた時間にはスタッフルームに顔を出して、スタッフと時間を共有していたりする。
要は、好きなんだろうな、と思ったわけだ。
治療に当たっていたり、医学研究の話をしているときの彼女は活き活きとしていた。たぶん、政治なんかよりもこっちの方がよほど好きなのだろう。
「私の一族は代々医療に携わってきた。こうして治療院で過ごす時間こそが私の本質なのだということは否定できない」
俺の意図を察したのか、リーゼロッテ女史は笑顔で口を開いた。
「クライは、この治療院で呪病の治療を受けるために必要な費用がいくらかわかるか?」
俺は首を横に振る。
「入院費用が一日に金貨一枚と銀貨三枚、魔力回復薬が銀貨三枚と銅貨五枚だ。朝晩に魔力回復薬の投与を受ければ、一日で金貨二枚が必要になる」
呪病患者の平均入院期間はおよそ二十日、長ければひと月以上に上ることもある。そうなれば金貨数十枚の費用が必要となるわけか。とても庶民に払える額ではない。
「この治療院で入院治療を受けられるのは一握りの富裕層だけなのだ。今も私たちの手の届かないどこかで、治療を受ければ助かるはずだった命が失われているのだよ」
リーゼロッテ女史はそう言って唇を噛む。忸怩たる思いがあるのだろう。
無償で医療サービスを提供すればいいのではないか――しかし、事はそんなに単純な問題ではない。
医療にも医学研究にも莫大な予算が必要だ。一流の治癒術師をはじめとした医療スタッフの確保、設備の維持管理、資材の調達などなど、医療サービスを維持するためにはこれらを賄うだけの金が必要で、それは患者から支払われる医療費で支えるしかないのだ。
一日に金貨二枚。それは確かに高い。だが、それもギリギリの価格設定なのだろう。
「私はな、クライ。医療を全ての者に開放したいのだよ」
そう言ってリーゼロッテ女史は、彼女の構想の一部を披露してくれた。
医療税を創設し、全ての者から徴収する。
それを資金としてアズドール財団の治療院をはじめとした医療機関を支援し、その分患者の自己負担額を低く抑える。
それは日本で見られる健康保険制度によく似た仕組みだった。
「貧困対策も医療の解放も幼いころからの私の夢だ。それが私が州知事を志す理由だ」
幼い頃からって、どれだけ意識が高い子どもだったんだよ……
頭脳明晰で高潔な志を持つ見目麗しい財団のトップ。うん、勝てる要素が一つもないな。
でも、こんな人が政治のトップに立ってくれれば、きっと世界は変わるんだろう。
「私に投票権があれば、微力ながら支援できたのですが」
一応俺もこの国の選挙制度について勉強をした。
投票権は年齢、性別にかかわらず、納税者――つまり、何らかの組合に所属して税を納めている者が持っている。
しかし、その投票権は登録地の属する州でのみ有効だ。俺が商業組合に登録したのはレガーナ州のアーリムなので、残念ながらパシオーシャ州での投票権はない。
「クライにはもう充分支援をしてもらったさ」
そう言ってリーゼロッテ女史が右手を差し出してくる。
「よい旅を」
「ありがとうございます」
俺たちは互いに笑顔で握手を交わす。
それと同時に俺は少しだけ警戒をする。
彼女と握手を交わすのはこれで都合三回目だ。過去二回は、握手の後にリーゼロッテ女史から何らかのアクションがあった。
一回目は耳元で囁かれ、二回目はまさかの友達申請だった。そして今回も――
リーゼロッテ女史が握ったままの俺の手をぐいと引いた。
不意を突かれた俺はバランスを崩し、そのままリーゼロッテ女史に抱きつくように身を預ける。
リーゼロッテ女史はそんな俺の背中に腕を回した。
花のようないい香りが鼻腔をくすぐり、俺は自分の頬が紅潮していくのを自覚する。
「クライ、この次は州都に向かうのだったな?」
「は、はい……」
ドキドキと心臓の音が聞こえてくる。俺と、そして彼女の鼓動が大きく高鳴っていた。
「アクエリアには私の私邸がある。招待状を出すから、是非立ち寄ってくれないだろうか?」
「は、はい……」
突然の状況に機能不全に陥った俺の脳みそに正常な思考を期待するべくもなく、俺はただ、リーゼロッテ女史に言われるがまま頷くことしかできなかった。
ここにルシュがいなくて本当によかった……
残された思考力で最後に思ったのは、そんなしょうもないことだった。
クライ編は火曜連載です。
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