069.失敗をあなたへ②
「なるほど。そりゃあ、ありがてえ話だな」
ここまで話を聞いたケルトーが腕を組みながら頷いた。しかしその顔に笑みはない。
「子どもたちにタダで勉強を教えて、タダで飯を食わせて、その上、俺たちに仕事まで回すって話だろ? ありがたくて涙がちょちょぎれそうだぜ。だがな、それは話があまりにもうますぎる。まるで信用できねえ」
「それはこの話がですか? それとも俺がですか?」
「どっちもだよ」
ケルトーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「お前は一体何を企んでるんだ?」
それは想定外の問いだった。
何かを企む——俺にそんなつもりは全くないのだが、ケルトーから見た俺はそうではないらしい。
ケルトーはまずモロトフ支店長に目をやった。
「あんたんところは今回の件で儲かるんだろうな。だからあんたはここにいる。それは納得できる」
次にケルトーが顔を向けたのはスミヨン司祭。
「教会はこういうのも本来の仕事のうちなんだろう。中央教会やら神殿から支援金も出るんだろうし、教会がこの話に乗るのもわかる」
その次はリーゼロッテ女史だ。
「もうすぐ州知事選だ。票稼ぎっていうわかりやすい目的がリーゼにはある」
そうしてケルトーが最後に顔を向けたのは俺だった。
ケルトーは睨むような目つきで俺を見る。
「だが、お前には何の目的がある? 何の利があるっていうんだ? 俺たちスラムのモンはな、お前たちのように金と力を持った奴らが考えた筋書きどおりに踊ってやってんだ。言葉どおりに命を賭けてな。それが弱者の生きる術なんだよ。だから俺は見極めなきゃならねえんだ。これが気まぐれの思いつきなんじゃねえのか、後から梯子を外すんじゃねえのかって、疑ってかからなきゃならねえ。お前達に確かな目的がある。確実な利がある。だから途中で裏切ったりしねえ。そう確信できて初めて俺は俺たちの命を賭けることができるんだよ」
ケルトーは捲し立てるようにそう言った。
俺はケルトーの言葉に何も言い返せないでいた。
確かに今回の提案で俺が得る利益は何もない。
言い出しっぺである俺が最後まで責任を持ってやるわけでもない。
偽善的で自己満足だと言われてしまえば、それに対して返す言葉もない。
場に重たい沈黙が垂れ込める中、俺は自らの考えを省みる。
学校建設と義務教育。それはスラムの人たちにとっては利益しかない。そう思っていた。しかし、それは思い違いだったのかもしれない。
この話に乗りさえすれば全てが上手くいく。命を賭けるなんて大袈裟だ。そう主張したかった。しかし、それは思い上がりなのかもしれない。
例えば、途中でこの事業を中止してしまったとしたら、仕事を辞めた子どもたちがどうなるか。仕事を切り替えた大人たちがどうなるか。
そのとき、中途半端な知識を得ただけの子どもたちが生きていけるのか。彼らが一度手放した仕事がそのときにもまだ残っている保証はあるのか。
俺はケルトーの抱える懸念を甘く見ていたのだ。
あるいは俺がこの場にいなければ、あるいはこの話を切り出したのがリーゼロッテ女史であったら、この話はあっさりとまとまっていたのかもしれない。
全ては俺のせいだった。
これは、表面だけを見て知った気になり実情を深く理解していなかった俺の、元の世界で上手くいっていたシステムをただ当てはめればいいだけだと軽く考えていた俺の責任だ。
「黒髪のにいちゃんよ、お前が思っているほど、俺たちは自分の命が軽いとは思ってねえんだよ」
ケルトーは席を立ち、最後に吐き捨てるようにそう言った。
押し黙ったままだった俺は、しかし、その言葉に顔を上げた。
「命が軽いなんて思ってませんよ」
歩み去ろうとするケルトーに向けて、俺は絞り出すように言った。
それはひどく静かな本心からの叫びだった。
俺の甘さは認めてもいい。思い上がっていたことも認める。しかし、その言葉だけは認めるわけにはいかない。
この世界の命は軽い。
それは認識の話ではなく、事実としての話だ。この世界ではいとも容易く命が失われてしまうのだ。
しかし、いや、だからこそ、この世界の人たちは命を、人を、日々を大切にして生きている。これまで俺が出会ってきた人たちは皆そうだった。
「俺は人の命が軽いだなんて思っていない」
背を向けたままのケルトーに今度ははっきりと言い放った。
命の重さ——それこそが、ファンタジー世界に放り込まれた俺が一番強く実感したものなのだから。
「口では何とでも言えるがな——」
「もうそれぐらいにしておけ、ケルトー」
なおも俺を突き放そうとするケルトーを制したのはリーゼロッテ女史だった。
リーゼロッテ女史はケルトーに歩み寄ると、その肩に優しく手を置いた。
「お前の懸念はわかる。疑うことで仲間を守っていることもわかっている。ただ、お前は人に裏切られることに慣れすぎている。しかし、確かに信じられる者がお前にもいるだろう? 私たちはその数のうちに入ってはいないのか?」
「左様ですよ、ケルトー殿。力が及ばなかったことは数あれど、かつて教会があなた方を裏切ったことがありましたかな?」
スミヨン司祭がリーゼロッテ女史に続く。
しかし、それでもケルトーは頑なだ。
「別にお前らのことを疑うつもりはさらさらねえよ。ただ俺は商人ってやつが気に入らねえだけだ。奴らはいつだって嘘をつく。搾りかすの俺らかさらに絞ろうとしやがるんだ」
「それは耳が痛い話ですな。確かに我々商人は利にならないことはしませんしな。金の切れ目が縁の切れ目と言うように、途中で手のひらを返す者が多いことも否定はできませんしな。」
モロトフ支店長は敢えて偽悪的な笑みを作ってみせた。
「しかしですよ、損をして得を取るのもまた商人なのですよ、ケルトーさん」
「モロトフ支店長の言うとおりだ。これは種蒔きなのだよ」
「種蒔きだと?」
「ああ、そうだ。お前が守ってきたものが大地。肥料や水が我々だ。クライがそこに種を持ってきてくれた。後は担い手さえいれば、その種はいつか多くの実をつけることになるだろう。その最初の実を取るのがお前たちというだけで、最終的にはその実は多くの者の腹を満たすことになるはずだ」
富の一極集中は経済を停滞させることにつながってしまう。
貧困をなくし、多くの者が富を得ることで、経済は回り、その結果とし経済規模はさらに大きくなる。
これは未来への投資なのだと、リーゼロッテ女史は説いた。
たぶん俺が言いたかったこともこういうことなのだろうな、と俺は思った。
ただ俺の場合はもっと感情的で、言うなれば『情けは人の為ならず』というようなニュアンスを含んでいたのだと思う。『情け』と言うと、憐れみだとか、上から目線だとか、そういうイメージがあるが、俺の気持ちはそうではない。
スラムに初めて立ち入ったときに最初に俺が抱いた感情は恐怖だった。一歩間違えば俺もこうなっていたんだという恐怖。そして次に浮かび上がってきたのは感謝だ。俺を助け、支え、ここまで導いてくれた人たちへの感謝。
彼らはなぜ俺を助けたのだろうか。何か打算があったのだろうか。何らかの見返りを求めていたのだろうか。それは否だ。だからこそ俺はこの世界で生きてくることができたし、この世界で生きようと思うことができたのだ。
『感謝してくれるなら、それをそのままお前の後輩に返してくれたらいいよ』
ここでふと、大学に入ってすぐのころに親しくしていた先輩の言葉を思い出した。
バイト代もまだ入っていない底なしの貧乏だった俺に飯を奢ってくれたときの台詞だ。
恩は返すものではなく繋ぐものだということを俺に教えてくれた。
要するに俺はただ——
「受けた恩を繋ぎたいだけなんです」
そうして俺はぽつぽつと身の上話を始めた。
もちろん異世界転移のことは語れないが、それを除いたとしても十分波瀾万丈だったと思う。
ケルトーは俺の隣に腰掛け、黙ってその話を聞いていた。
「おい、スミヨン。酒をもらえねえか?」
「お酒ですか。ワインでよければありますが?」
「ワインは酒じゃねえよ」
舌打ちしながらそう言ったケルトーは、使い古した鞄からスキットルを取り出した。
ケルトーは自分のグラスにウイスキーを注ぐとそれを一息に飲み干す。
「俺はそんなお涙頂戴の苦労話に絆されるほと温くはねえんだ」
ぼやくようにそう言って、ケルトーが二杯目を注ぐ。
そして、ウイスキーを注いだそのグラスを俺の前に置いた。
「ただな、受けた恩を次に繋げたい——それだけは俺も同感だ」
「ケルトーさん……」
顔を上げた俺にケルトーは何も語らない。
代わりに、笑みを浮かべたリーゼロッテ女史が頷いてくれていた。
この日、俺は一つの失敗をした。
それは、元の世界の方が優れていると疑わず、この世界でも同じように上手くいくに違いないという思い上がりが招いたものだった。
そしてその失敗は俺に大きな教訓をもたらしてくれた。
この世界にもっと目を向けなければいけない。
この世界をもっと知らなければならない。
いや、そんな義務感はちょっと違う。
この世界にもっと目を向けよう。
この世界をもっと知りたい。
この世界を、そしてこの世界に住む人たちを好きになったのだから。
俺は目の前に置かれた酒をぐいと飲み干した。
その酒は、少しだけしょっぱい味がした。
クライ編は火曜連載です。
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