068.失敗をあなたへ①
呪病患者の治療がひと段落したある日。
この日は、リーゼロッテ女史と出会った日と同じく、スラムの住人に向けた炊き出しを行った。治療院の業務を終えてからの参加だというのに精力的に動き回るリーゼロッテ女史には敬服するばかりだ。
そしてこの日は、炊き出し会の終了後に会議が開かれることになっていた。
「皆、疲れているところにすまない」
炊き出しボランティアへのお礼の食事会が終わった後、教会に残ったのは四人。俺、リーゼロッテ女史、教会の司祭であるスミヨン氏、そしてルーベニマ商会のモルトフ支店長だ。
「いえいえ、ルーベニマ商会は好き好んでこの場におりますので、リーゼロッテ理事長の謝罪には及びませんよ」
「ええ。教会としても役目をいただけることに感謝しているところです」
リーゼロッテ女史の謝罪の言葉に、モロトフ支店長とスミヨン司祭が笑って返す。
後はここに今日の特別ゲストを加えれば、いよいよ会議の開始だ。
ちょうどそう思っていたところへ、教会本堂の扉が乱暴に開かれた。
「よう。待たせたな」
のそのそと歩いてくる男は、スキンヘッドに剣と髑髏のタトゥーを彫り、左目には厨二病的眼帯を嵌めていた。
その男の名はケルトー。二番街のスラム地区の元締め。自称穏健派だ。
「よく来てくれたな、ケルトー。まあ、座ってくれ」
リーゼロッテ女史は臆することなく、むしろ旧来からの友人に向けるような笑顔で手を差し出す。
そして意外にも——と言っていいのかはわからないが、ケルトーは不機嫌そうではあるものの、確かに笑みを浮かべてその手を取った。
「お前のところの炊き出しにはいつも助けられてるよ、リーゼ。ありがとさん」
過激派も真っ青の風貌とは裏腹に、根はいい人なのかもしれない。リーゼロッテ女史とは旧知の仲のようだし、伊達に裏街を取り仕切っているわけではないと言ったところか。
「さて、全員揃ったことだ。さっそく会議に移りたい」
円卓に全員が着席をしたところで、リーゼロッテ女史が会議の開催を宣言した。
「今日の議題は『学校』についてだ」
そう、会議のテーマは前回の炊き出し後の食事会の際に俺が口走った義務教育についてだ。
俺はあのとき、リーゼロッテ女史が州知事になった際の政策の参考の一つとなれば、という思いで発言したのだったが、その有効性を独自に検討したリーゼロッテ女史が、社会実験も兼ねて一足早くワシャで取り組みたいとの思いにいたり、こうして会議が開催される運びとなった。
ちなみに、アズドール財団の本拠地は州都であるアクエリアにあるのだが、ワシャで呪病患者が多数発生するようになったこの数年は、リーゼロッテ女史自信は活動の軸足をここワシャに置いているらしい。
リーゼロッテ女史が活動の拠点をワシャに持って以降、こうした会議は複数回開催されているらしく、主だった面子は俺を除く今日ここに集まっているメンバーで、ときには行政関係者や軍関係者、他の商会の責任者なども参加することもあるようだ。
スラムの住人に向けた炊き出し会もこの会議により実現したものとのことだった。
「学校ってのは何だ? 魔法学校とかのことか? 俺らに関係がある話とは思えねえんだけどな」
「まあまあ、ケルトーさん。私も初めて話を聞いたときは同じように思ったのですがな、クライ殿のお話では、スラムを含めたこの街の将来に影響を及ぼすものとのことでしたぞ。まずはクライ殿の話き聞いてみてはいかがですかな?」
モロトフ支店長が訝しげなこえを上げたケルトーをなだめながら、俺へと話の水を向けた。
俺はそれに頷き返すと、ケルトーの方へと向き直った。
ケルトーは睨むような目つきでこちらを見ている。ちょっと、いや、かなり怖い。ブリックのやつはよくこの人を相手に堂々と話しをできたものだと改めて感心する。
しかし、ここで日和っていては話が前に進まない。
「ケルトーさん、私たちが考えている『学校』というのは、子ども達のためのものなんです」
文字の読み書き、基本的な算術、この世界における自然科学や社会制度、そして魔法学の基礎などなど。
この国ではそれぞれの家庭であったり、富裕層が利用する私塾であったりと、原則として個人に委ねられてきた教育を公共化する。そうすることで、スタートラインにすら立つことができなかった者たちに機会を創出する。
貧困の連鎖を断ち切ること——これが一番の目的だ。
「公共教育は子どもの未来を開拓し、最終的にはさらなる経済発展、国力の増大につながるものです。だからこそ、公共教育は子どもたちに無償で提供されるべきものだと私は思っています」
ここまでの話は、リーゼロッテ女史をはじめとして、モロトフ支店長、スミヨン司祭にはすでに伝えていることだ。
初めて聞くのはケルトーのみ。しかし、そのケルトーは眉間の皺をより深くして、不機嫌ともとれる表情を作っていた。
「タダで教育を受けられるっていうなら、それはいい話なんだろうな。ただし、それは表通りの奴らにとっては、だ。黒髪の兄ちゃんよ、お前はスラムのことを何もわかっちゃいねえ」
ケルトーは俺にではなく、残る三人に対してそう言った。
わかっているはずのお前達がどうしてこんな与太話に付き合っているのだ——そう言わんばかりだ。
「俺たちにとっちゃ子どもも立派な労働力なんだ。スラムにゃ大人も子どもも関係ねえんだ。働かねえと今日の晩飯にもありつけねえ。そんな生活をしてんだよ」
ケルトーの言うことは正当だ。決して正しくはないが、生きていくために彼らがとりうる選択としては真っ当なのだ。
苦しい状況にありながらも、犯罪などに走ることなく、人としての尊厳を守り通そうとしている。ケルトーが素晴らしいリーダーであることがよくわかる。
しかし、だからこそこのままではいけないと思うのだ。
今はまだなんとかなっていても、いずれ立ち行かなくなるときが必ず訪れる。
それに加えて、ケルトーがいつまでもリーダーでいられるわけではない。次のリーダー、そしてさらにその次のリーダーと次を担うリーダーたちがケルトーと同じく『人としての最後の一線』を守り通していく保証はどこにもないのだ。
スラムに変革をもたらすのであれば、ケルトーがリーダーを務め、彼をサポートし得る者たちが揃っている今このときを除いて他にはないと俺は思う。
「子どもが働くのは自らの食い扶持のためでしょう? でも、子どもが学校に行っている間は自分たちの食事の心配をしなくていいとなればどうでしょうか?」
「どういうことだ?」
ケルトーの片眉がぴくりと上がった。ようやく話に食いついてきてくれたようだ。
「学校では子どもたちに無償で昼食を提供することを考えています。給食というものです」
栄養のある美味しい食事——それは子どもたちにとって学校へと通う大きなモチベーションとなるし、子ども達の栄養状態の改善にもつながる。たった一食分だけとは言え、それでもスラムの子どもたちが一日に口にする食事よりもはるかに栄養が優れたものになるはずだ。
そして給食の無償提供の効果はこれに留まらない。
給食を得られた子どもたちは、教会が定期的に行う炊き出しと合わせれば栄養状態がずいぶん改善されるはずだ。そうすれば、もう食い扶持のために働く必要がなくなる。全くなくなるわけではないのかもしれないが、それでもこれまでよりもはるかに少なくなることは確実だ。
そうなると、これまで子どもたちが担っていた仕事が労働市場に還っていくことになる。
もともとスラムに降りてくる仕事の量は多くないという話だった。
少ない仕事を、子どもを含めた多くのもので分け合わなければならないのがこれまでの現状だったのだ。
しかし、子どもに仕事を割り振る必要がなくなれば、大人たちはこれまでよりも多くの仕事を得ることができるようになる。それは彼らの暮らしに少しの余裕を生むはずだ。
そして、仕事と言えばもう一つ。
「学校の建築、そして運営については、裏通りの皆さんにも協力をお願いしたいと思っています。今日ここにケルトーさんにお越しいただいた一番の理由がそれなんです」
クライ編は火曜連載です。
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