064.治療をあなたへ
「後は我々の努力次第だな。なんとしても治療法を見つけねば」
蚊への対策の話が一段落した後、リーゼロッテ女史は決意を宣言するようにそう言った。
確かに、対策をとることで新たな感染者は減らせるかもしれない。しかし、現に呪病で苦しんでいる人たちがいるのも事実であり、いくら対策をとったとしても感染者をゼロにすることは難しいだろう。
リーゼロッテ女史が言うように、問題の根本的な解決には治療法の確立が不可欠だ。
この呪病がマラリアだとして、確か元の世界には抗マラリア薬が存在したと思う。しかし残念ながら俺にはその手の知識が皆無だ。ここはアズドール財団の頑張りに期待するしかない。
「今はどんな治療をしているのですか?」
「対症療法だよ」
ルシュの問いに、リーゼロッテ女史が難しい顔をして答えた。
「とは言っても、前も言ったと思うが治癒魔法が効かないのでね、専ら魔法回復薬の投与に頼っているのが現状だ」
「あのう、そのことなんですけど、どうして治癒魔法が効かないのですか?」
ちょうど俺が疑問に思っていたことが話題にのぼったので、ここぞとばかりに尋ねてみた。
「クライの疑問はもっともだな。我々も当初からその点については色々と考察を進めているのだが、結論を出すには至っていない。いくつか仮説は立てているのだが、それでよければ説明しよう」
そもそも治癒魔法というものは、人が本来持っている自然回復力を魔力により増強するもの、というのが現代魔法学の見解なのだそうだ。
この効果によって、損傷部位を修復することもできるし、体力を回復させることもできる。
呪病に対して治癒魔法が効かないというのは、根本的な解決をできないという意味であって、一時的な症状改善、つまりは対症療法としては一定の効果はあるらしい。しかし、対症療法として治癒魔法を使うのは効率的ではなく、対症療法ならば患者に魔力回復薬を投与して患者自らの回復力を増強した方が効果的だ、ということのようだ。
「つまり治癒魔法では、原因となっている呪素を取り去ることができないというわけですね」
治癒魔法は患者本人に作用するものである、ということを考えれば、治癒魔法が呪病に効かないという話も頷けた。
しかし、何か引っかかりのようなものを感じてしまう。
「ねえねえ、クライ」
そこでルシュが何かを閃いたらしく、キラキラした瞳を俺に向けてきた。
「だったら体の中から呪素を全部取り除いちゃったらいいんじゃないかな?」
「おいおい、ルシュ。簡単に言うけどそれが出来たら苦労はしない――」
そう言いかけた俺は開いた口に手を当てる。そうか!
「ね?」
「そ、そうだな!」
やはりルシュは聡い。いや今回に関しては俺が抜けていたのかもしれない。
「ど、どうしたというのだ?」
突然立ち上がった俺に、リーゼロッテ女史が驚いて声をかけてくる。
ちょっと無礼だったかもしれないが、できるかもと思ったらやらずにはいられない性分なのだ。
「リーゼロッテさん、第二治療科へ案内してもらえませんか?」
そうしてやって来ました、第二治療科。通称、対呪治療科。
やはりと言うか、当然と言うか、そこは死の香りが漂う暗い場所だった。別に物理的に暗いというわけではない。雰囲気が暗いのだ。
並べられたベッドに横たわる患者たち。彼らの顔は苦悶に歪み、そこかしこから呻き声や鳴き声が聞こえてくる。生きてこの部屋を出られるのは半分にも満たない。彼らの多くはここで死を待つだけなのだ。
しかし、それに対して出来ることは魔力回復薬を投与することのみ。
患者の苦痛と医療従事者の苦悩。空気が暗く、重たくなるのは仕方のないことだった。
蚊が呪素を伝播する。その前提に立った俺たちは、虫除け用の除虫菊油を塗り、病室へと入った。
そこにいるのは呪病に侵された子どもたち。
俺がこれからやろうとしていることが上手くいくという確証はない。そうであれば、これからやることはある種の人体実験だと言えるのかもしれない。
それでも子どもを相手に試そうと思ったのは、呪病による子どもの致死率が際立って高いからだ。
やるからには絶対に成功させる。俺にできるのはそう決意を固めることだけだ。
俺はベッドに横たわる一人の少年の横に立った。
彼の名はジェック。年齢は八歳。
本来であれば元気に原っぱを駆け回るのがよく似合うであろう彼の顔は頬が痩け、蒼白だ。熱にうなされ、浅く短い呼吸を繰り返している。
幾許の猶予もないのかもしれない――素人の俺でさえそう思うような重篤な状態だった。
「責任は全て財団が、いや、私が持つ。よろしく頼む」
これからやろうとしている試みについては、ここに来るまでにリーゼロッテ女史には説明済みだ。
彼女にとってはかなり突拍子もない申し出だっただろうが、それでも彼女は疑問を差し込んでくることはなかった。リーゼロッテ女史は俺に信頼を示してくれたのだ。
ならば俺はそれに応えたい。そして、目の前の小さな命を救いたい。
「それでは、いきます」
リーゼロッテ女史の言葉に頷いて、俺はジェックに意識を集中する。
「始原魔法洗濯」
そう。ルシュが言っていたのはこれだ。
治癒魔法は患者に対して働くものであって、呪素――つまりは病原体には作用しない。
だったら、コマチバナから色素を分離したように、除虫菊から有効成分を分離したように、患者の体から病原体を分離してしまえばいい。
ルシュは自分自身が始原魔法を使えるわけではないのに、あの会話だけでその応用に思い至ったのだ。まったく大したやつだと心からそう思う。
キラキラと光るプネウマたちがジェックを包み、それは次第に彼の体内へと溶け込んでいく。
俺はさらに意識を集中して、血液の循環にプネウマを乗せることをイメージする。
こうしてジェックの全身をプネウマが巡り、病原体をキャッチしていく。
この呪病の病原体がマラリア原虫のようなものであれば、赤血球の中に寄生している可能性が高い。そういったことまでしっかりとイメージすれば、成功率はより上がるはずだ。
ここにいる人たちにプネウマは見えないので、患者の前にしゃがみ込んで目を瞑る俺は、側から見ればただ単に祈祷をしているだけのように見えるかもしれない。
しかし、実際は極限の集中状態の中にいる。人の体内にプネウマを作用させるという初めての体験と子どもの命を預かっているという緊張感から、俺の頬には大量の汗が流れていく。
それをハンカチで拭ってくれているのは、おそらくルシュだろう。
さて、ここからどうしたものか。
これだけしっかりとプネウマを循環させたから、病原体はほぼ全て捕捉できているだろう。
補足した病原体は、そのままプネウマを作用させて分解することもできる。しかし、体内で病原体を分解するのは躊躇われた。壊れた病原体から放出される成分が、激しい免疫反応を引き起こす可能性があるからだ。
分解しないとなれば、体内から排出するしかない。そのためには出口が必要だ。
「どこでもいい。皮膚を切開してください」
俺は目を瞑ったまま、誰にともなく指示を出す。
「人差し指の先を切開する。それでいいだろうか?」
その指示に、リーゼロッテ女史が疑問を挟まず応じてくれた。
「これから呪素を出す。ブリック、小瓶にキャッチだ」
補足した呪素を人差し指の傷口から体外へと排出していく。
ブリックが俺の指示に従って、流れる血とともに呪素を小瓶に受け止めていく。
「よし、これで全部だ。傷口の治療を」
「水魔法治療」
間髪入れずにリーゼロッテ女史が治癒魔法を使い、ジェックの人差し指の傷があっという間に塞がった。
「ふう……」
俺は大きく息をついてその場にへたり込んだ。
「お、終わったのか……?」
「はい。できることはやりました。後は魔力回復薬を投与してしばらく様子を見てください」
それから数刻後――
応接室のソファの上で俺は一人でぐったりと寝転んでいた。
そこへ乱暴にドアが開かれる。
「奇跡だ! ジェックが目を覚ました!」
飛び込んできたのはリーゼロッテ女史だ。
俺は慌てて体を起こし姿勢を正そうとしたが、それは叶わなかった。
リーゼロッテ女史が俺の胸に飛び込んできたからだ。
「あ、あの……リーゼロッテさん?」
「ジェックが目を覚ましたんだ……あの子はもうダメかもしれないと諦めかけていたのに……ありがとう。ありがとう、クライ」
リーゼロッテ女史は潤んだ瞳で俺を見たあと、そのまま俺の胸に顔をうずめた。
「上手くいったみたいで安心しました」
子どもの命を救うことができた。
それは、俺にとってこの上ない喜びだ。
元の世界ではしがない大学生だった。こちらの世界でもいち行商人に過ぎない。そんな俺でも誰かの命を救えたということに深い感慨を覚える。
安心もしたし、嬉しいし、感慨もひとしおなのだが、どうも落ち着かない。ゆっくりと喜びを噛み締めることができない。
「あの、リーゼロッテさん? ていうか、ルシュさん?」
それは俺の胸に縋るリーゼロッテ女史のせいでもあり、部屋の外から殺気にも似た視線を飛ばすルシュのせいでもあった。
なんでこんな修羅場感が出てるんだろ?
安心も喜びも押しのけて、そんな疑問が俺の心を満たしたのだった。




