060.視察をあなたへ①
「よく来てくれた。時間を割いてもらってすまなかったな」
「いえ、お招きいただき光栄です。今日は勉強させていただきます」
出迎えてくれたリーゼロッテ女史に、三人を代表して挨拶を返す。
今日はアズドール財団が運営する治療院を見学させてもらうことになっていた。
リーゼロッテ女史からの謝罪を受けて和解をした際、彼女から是非視察に来てほしいと招待を受けていたのだ。
幸いにも俺はこの世界に来てから病気にかかったことはないし、アーリムにいる間は小さなものから大きなものまでたいていの怪我はロッサが水魔法で治療してくれていたので、病院のお世話になったことはない。
リーゼロッテ女史の招待に応じて今日ここに来た理由の一つは、魔法がある一方で、科学技術の発展はもとの世界に大きく及ばないこの世界の医療レベルがどれぐらいのものなのか、単純に興味があったからだ。
そしてもう一つは、もちろん商人として商機を見つけるためだ――と言いたいところだが、本当のところは、いつもはキリっとしているリーゼロッテ女史のデレを再び見ることができるかもと思ったからなのだが、そんな不純な動機は胸の内に秘めておくのが花なのだ。
「勉強させてもらうのはこちらの方かもしれないがな。さあ、ついてきてくれ」
しかし、俺のそんな期待とは裏腹にいつものようにお堅い態度を崩さず、リーゼロッテ女史は身を翻したのだった。
最初に話を聞いたときにはどこにでもあるような町の診療所を想像していたのだが、実際に訪れてみるとアズドール治療院はいわゆる総合病院の様相を呈していた。
患者は総合受付を通って外来診察科で診断を受け、病状に応じて第一治療科、第二治療科、薬局のいずれかに振る分けられるらしい。
外来診察科の責任者からそんな説明を受けながら現場の様子を視察し、次に訪れたのが第一治療科だ。
「ここが薬局と並ぶ我らが治療院の主戦場だ。この治療院の治癒術師の半数以上がここで治療にあたっている」
リーゼロッテ女史が『主戦場』と表現したとおり、現場はまさに戦場さながらだった。
胸に大きな切り傷を負った者、脚があらぬ方向に折れ曲がった者、手首から先がちぎれかけている者などなど、多数の負傷者で溢れかえっていた。
ここは魔物がいる世界であり、人々の生活は魔物の脅威と隣り合わせだ。ワシャほど大きな街であっても例外ではない。近郊の村とは違い住民の被害こそ少ないが、それは単に警備隊や冒険者が肩代わりをしているに過ぎない。
それに魔物による被害だけではない。元の世界では機械が請け負ってくれるような危険な作業でも、この世界では人力でやらなければならない。肉体労働の現場では怪我が後を絶たないのだ。
患者の多くは外科的な治療が必要な人たちだが、実際に行われているのは魔法による治療だ。
ちぎれかけた手首がキラキラと輝く水の中で繋がっていく様子には目を見張るばかりだ。
「素晴らしい技量の方たちですね」
「ああ、我らが治療院自慢の治療術師たちだ」
ルシュの賞賛にリーゼロッテ女史が目を細める。
「まあ、治療院経営において最も困難を極めるのが、治療術師の確保なのだがね」
「これぐらいのレベルの治癒魔法が使えるとなると引く手数多でしょうからね」
「それもあるが、高度の治癒魔法を扱える者を見つけることが難しい、というのが一番の理由なのだよ」
水魔法に限らず魔法というものは、修練によって威力や効果を引き上げることが可能なものらしい。
これは俺の始原魔法も同じだったので実感をもって頷くことができる。
しかし、『魔法使い』や『治療術師』と呼ばれる者のように、ある一定水準を超えた領域に達するために必要なものは、生まれ持った才能だという。
努力や訓練ではどうすることもできない壁があるというのはなんとも世知辛い話ではあるが、それは魔法に限らずどの分野でもあり得ることなので仕方がないのだろう。
さらに、才能の多寡にかかわらず、得意とする魔法の種類にも生まれながらの特性があるそうだ。攻性魔法が得意な者もいれば、防性魔法を得意とする者もいる。中にはどのような種類の魔法にも適性を示す者もいるようだが、そんな者はほんの一握りで、大陸中でも片手の指で足りるほどしかいないそうだ。
それを聞いて改めてロッサの偉大さを実感したのだが、それはさておき。
「そもそも自らの魔法の才能に気付く者の方が少ないのだ」
そう言われてみればそうかもしれない。
仮に俺にテニスの才能が眠っていたとしても、俺が選択したスポーツは野球だったので、おそらくテニスの才能に気付くことなく一生を終えることになっていただろう。
魔法にしても、今でこそ始原魔法を使いこなしてはいるが、当初は魔法を使えるとさえ思っていなかった。自らの持つ才能の種に気付くことがなければ、それは芽吹くことなく終わってしまうのである。
「財団としては治療術師の確保が最優先事項だ。というわけで、その採用と育成に力を入れているのだよ」
半年に一度採用試験を実施し、治癒魔法に適性がある者を採用する。その後の半年でさらに治癒魔法の才能を示した者を治療術師候補生としてさらに高度な訓練を課す。もちろん治療術師になれなかった者もそのまま治療院のスタッフとして雇用される。
こうして治療術師の確保と医療体制の維持を図ってきたそうだ。
どの世界も医者の確保って大変だよな、なんてことを思いながら歩いていると、一面にガラスをはめ込まれた小部屋が目に留まった。
「あの、リーゼロッテさん。ここは?」
「おお、さすがはクライ。目の付けどころが鋭利だな。ここは手術室というのだ」
「手術室?」
ルシュが首を傾げると、リーゼロッテ女史が頷いた。
「胸や腹を裂いて直接病巣に治療魔法をかけるのだ」
「は、腹を裂く……!?」
その説明にブリックが顔を青くする。
それを見たリーゼロッテ女史は、そんな反応も想定内だと言わんばかりに笑いながら説明を続けた。
「なに、心配はいらない。患者の意識がない状態で行うのだからな。父上は長年、毒の研究をしていてな、その中で一定時間人の意識を奪う薬を発見したのだよ」
「麻酔薬か」
この科学が遅れた世界で麻酔が実用化されていたことに素直に感心してそう呟いたのだが、どうやらそれがいけなかった。
「……クライ、どうしてそれを知っている?」
リーゼロッテ女史が訝し気な瞳を俺へと向けた。
「これは我がアズドール財団の秘匿技術のはずなのだが?」
「え、えっと……その……私が生まれた国にも似たような技術があったことを思い出しまして……」
「貴殿が生まれた国? それはどこだ?」
リーゼロッテ女史の切れ長の瞳が鋭さを増す。
「いや、それがその……よく覚えていなくて……」
問い詰められた俺は洗いざらいを話した。
とは言っても、記憶喪失で自分のルーツを探しているという『設定』の話を、だ。
「そうか……大変な思いをしていたのだな。疑ってすまなかった」
ルシュのフォローもあって、俺の説明でなんとか納得してくれたリーゼロッテ女史は、そう言って頭を下げてくれた。
騙しているようで、というか騙しているので申し訳ない気持ちになるが、真実は誰にも、ルシュにでさえも明かすことはできないので仕方がない。今の俺にとってはこれが真実なのだと自分を納得させるしかない。
「ところで、この手術室は個室にしてあるようですけど、これには何か意味があるのでしょうか?」
俺は話題を変えるべく、敢えてそんな質問をしてみた。
当然、俺には答えはわかっている。清浄環境を維持し、細菌感染などを防止するためだ。
敢えて聞いたのは、この世界でもトップレベルにあると思われる医療機関がどういう認識を持っているのかを確認するためでもあった。
「ふむ。これはまだ仮説の段階なのだがな――」
そう前置きをしてからリーゼロッテ女史が説明を続ける。
「人体の外には呪素が溢れている――と考えているのだ。呪素に侵された者は激しい痛みや発熱に苛まれ、場合によっては命を落とす者もいる。そして、胸や腹を開いた者はこうした呪素に侵されやすいのだ。だからこそこうして呪素の入り込まない環境を用意しているのだよ」
「なるほど。それは大変勉強になりました」
「いや、さっきも言ったがこれはまだ仮説なのだ。鵜呑みにされては困る」
リーゼロッテ女史はそう言うものの、彼女の説明は『呪素』を『細菌』に読み替えればほぼ正解となる。
細菌という存在は認識していないものの、それによって引き起こされる現象は理解し、それへの対応もとっている。
リーゼロッテ女史を筆頭とするアズドール財団があれば、この世界の医学の夜明けもそう遠くないうちに訪れるのかもしれないな。
「第二治療科にはご案内いただけないのですか?」
第一治療科の見学を終え、次は第二治療科だと思っていたのだが、第二治療科を飛ばして薬局に向かうのだと言うリーゼロッテ女史に、ルシュがそう尋ねた。
それを受けたリーゼロッテ女史は難しい表情を浮かべる。
「第二治療科は客人を連れて行くには些か問題があってな。薬局までの道すがら簡単な説明だけにさせてもらいたい」
第二治療科は別名『呪病治療科』というらしい。
治癒魔法に反応を示さない病気や呪素の影響を強く受けた症例を対象に治療を行っているようだ。所謂、感染症病棟というやつか。
「呪素は患者から別の者に感染することもある。客人に呪素の影響を出すのは我々としても拙いのだ。すまないな」
感染リスクまでしっかりと考慮しているあたり、この治療院の対応は本物だ。
世界が変われど、人類の敵はいつだって感染症というわけだ。
それにしても感染症に治癒魔法が効かないというのは少し意外だった。その理由を深掘りしてみたいような気もするが、とりあえず薬局の見学が先だ。機会があれば後で聞いてみよう。
クライ編は火曜連載です。
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