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058.畏怖をあなたへ

「今日は私の話ばかりですまなかった」


 寺――ではなくて教会の正門まで見送りに出てくれたリーゼロッテ女史が右手を差し出してきた。


「次はクライ殿の商人としてのサクセスストーリーを聞かせてほしい」


「ご期待にそうような話はできませんよ」


 俺は苦笑いでリーゼロッテ女史の手を握り返す。すると彼女が俺の耳元に口を寄せた。


「ルシュ殿との馴れ初めでも構わない。私としてはそちらの方に興味がある」


 男装で口調も堅いが、見目麗しい女性にそんなことされたらドキドキしちゃう。

 ついつい鼻の下が伸びてしまった俺の足をルシュが思いきり踏みつけ、俺は叫びを飲み込んでその場で悶絶した。


「おい、何するんだ……よ?」


 涙目でルシュを睨みつけようとした俺だったが、顔を上げたときには辺りの状況が一変していた。

 先ほどまでのコミカルな場面から急転直下、現場が俄に緊張感に包まれていた。


「理事長、我々の後ろに」


 いつの間にか姿を現した護衛の三人組がリーゼロッテ女史の周りを固めている。


「逃げろ! 貴殿らを巻き込むわけにはいかん!」


 え? 何? どういうこと?

 状況把握にもたついたのがいけなかった。


 キンッ!


 甲高い金属音が響き、護衛が構えた剣が弾かれた。

 それを合図に、闇に紛れていた黒ずくめの集団がぞろぞろと姿を現した。

 少なく見積もっても十人は下らない。


「誰の差し金だ?」


 リーゼロッテ女史は動揺した素振りもなく凛とした声で問う。

 しかし黒ずくめの集団は黙して語らず、代わりに剣を彼女へと向けた。

 そこまで見届けて、ようやく状況が飲み込めた。

 これは暗殺ってやつだ。

 黒ずくめの集団はリーゼロッテ女史と護衛三人を取り囲むように陣取り、合図もないのに一斉に飛び掛かった。


「教会の前で狼藉を働くとは、この罰当たり共め!」


 奥に控えいていた司祭が長杖を振りかざすと、水刃が黒ずくめの集団を迎え撃つ。

 しかし暗殺者はそれでも止まらない。

 先頭の者を盾にして水刃を潜り抜け、ターゲットへと迫る。

 すかさず護衛の剣士が応戦しているが、多勢に無勢だ。このままでは長くはもたない。


「ブリック、ルシュを頼む」


 長杖を構えた俺はルシュたちの周囲に光魔法光盾を展開し安全を確保した上で、リーゼロッテ女史の下へと駆け出した。


「クライ!」


 ルシュは心配そうに俺を呼ぶが、ここで逃げ出すのは悪手だ。

 リーゼロッテ女史を死なせたくないという気持ちももちろんあるが、これは俺たちのためでもある。

 この現場を見てしまった以上、暗殺者集団が俺たちを見逃すことはないのだから。


「助太刀します」


「感謝する。しかし……」


 俺の参戦を一度は歓迎した護衛だったが、すぐに戸惑い、あるいは失望をその顔に浮かべた。

 黒髪が杖を持って来たんだからそれは当然か。

 しかし、護衛ですらそう思うのだから、敵も当然そうだろう。叩くなら油断がある今のうちだ。


 「始原魔法光矢アロー


 杖から十本の光の矢――と言ってもそう見えているのは俺だけだが――が放たれ、そのそれぞれが暗殺者の腕や脚を貫き無力化していく。

 上出来だ。

 ルシュ達を守る光盾を維持しながらの光矢の精密操作。始原魔法の腕もなかなか上達してきたようだ。


 何が起こったのか理解できない黒ずくめの集団は一旦俺たちから距離をとる。

 闇雲に飛び込んでこないのは流石だ。というかそれをやられていたらこっちが危なかった。光盾は防御手段としてはとても優秀だが、こちらからの攻撃も通らないというのが欠点だ。

 サンダーアルバトロス戦でもそうしたように、守りに徹するのであればそれでもいい。しかし、今回はそういうわけにはいかない。ここで脅威を排除しておかなければ、この後も狙われ続けることになってしまう。

 敵を制圧しようとするなら攻撃をする際は光盾を解除する必要がある。

 しかし、戦闘の素人である俺には暗殺者たちの剣筋は見えないし、見えたとしても対応できない。接近戦でこられるとこちらとしてはかなりのピンチなのだ。だから今みたいにちょっと距離があるぐらいがちょうどいい。


 しばらく警戒したように俺たちの周囲を取り囲んでいた黒ずくめの集団だったが、やがて意を決し、全員が飛び掛かってきた。その動きに合わせるように――


水魔法水矢アロー


 どこからか声が響き、次の瞬間には無数の水の矢が俺たちに迫ってきていた。


 うん、わかってたさ、遠距離攻撃部隊がいることぐらい。

 俺は一瞬のプネウマの輝きを頼りに魔法の出処を割り出す。

 一人は俺の前方の樹上に、もう一人は後方の木陰に、最後の一人は囮として飛び掛かってくる黒ずくめたちに紛れている。

 俺はその一人ひとりに始原魔法光弾ショットをぶつけ、意識を刈り取る。


始原魔法光錠ロック!」


 そしてすかさず突撃してくる集団に対して、光の錠をかけた。

 座標を固定したプネウマの枷が黒ずくめたちの腕や脚が囚える。見えない錠に手足を捉えられた賊たちはその場で身動きが取れなくなってしまう。

 それどころか、脚を捕らえられた者の中には、突撃の勢いそのままに、向う脛からボッキリと骨が折れてしまった者も多数……

 ご、ごめん。そんなことになってしまうとは思わなかったんだ……

 それはさておき、突如として現れた黒ずくめの暗殺集団の無力化には何とか成功したようだった。

 しばらく目を凝らして見てみたが、周囲に異常なプネウマの動きは見られなかった。


「クライ!」


 ルシュ達の周囲の光盾を解除すると、ルシュがこちらへ駆け寄って来た。


「怪我はないか?」


「それはこっちの台詞だよ」


「心配かけたな。でも、俺もなかなか上達したもんだろ?」


「もう! 知らない!」


 頬を膨らませてそっぽを向くルシュに俺は苦笑いを浮かべることしかできない。

 これまでと違って今回は対人戦、それも複数の暗殺集団。ルシュが心配するのも当然だった。

 特訓の成果をいきなり披露してサプライズを演出しようとしたわけではないが、結果的にそうなってしまったのは完全に俺が悪い。あとでもう一度しっかり謝っておかないとな。

 でも、今はその前に――

 俺はリーゼロッテ女史とその護衛冒険者たちへと向き直る。


「お怪我はありませんでしたか?」


「あ、ああ……」


 しかし、俺の問いに対するリーゼロッテ女史の歯切れは悪い。

 それどころか、三人の冒険者たちがリーゼロット女史を守るように、俺と彼女の間に割って入ってきた。

 その目はどこか怯えているように見える。


「え……と、これはいったい?」


 戸惑う俺に答えを与えたのは司祭の呟きだった。


「お、狼……」


 狼?

 その意味はわからなかったが、言わんとしていることはなんとなく伝わってきた。要は、俺を恐れている、といことだ。

 ロッサが始原魔法を秘匿すべきだと言ったのは、たぶんこういうことが容易に想像できたからだろう。

 未知なる力は時として人を恐怖させ、その恐怖は否定あるいは拒絶という形で発露されるのだ。

 ルシュもブリックもあっさり受け入れてくれたので、俺自身に油断があった感も否めない。


「怪我がないようでしたらよかったです」


 そう伝えたのは間違いなく本心だが、それ以上でもそれ以下でもない。

 彼女の崇高な志に感銘を受けたのは確かだし、そんな人から拒絶を示されるのは多少悲しくもあるが、だからと言ってどうということはない。

 俺は俺たちのために戦っただけであって、別に感謝してほしくてそうしたわけではない。ルシュと、ついでにブリックが無事ならそれで充分だ。


「ルシュ、行こうぜ。ブリックも」


「は、はい!」


 俺が声をかけると、あわあわと動揺していたブリックは、我に返って背筋を伸ばす。

 そして、ルシュは――その大きな瞳いっぱいに涙を浮かべ、口をきつく結んで俺を見た。それはさっきまでの怒ったポーズとはまるで別物の、初めて見るようなルシュの怒りの表情だった。


 お、怒ってる? なんで?

 ルシュは俺から目を切ると、俺の疑問などそっちのけで、真っ直ぐとリーゼロッテ女史の前まで歩を進めた。

 護衛の冒険者たちもルシュの気迫に気圧されたのか、その歩みを遮ることはなかった。

 護衛たちだけではない。リーゼロッテ、その人もルシュの冷たい怒りに気圧されていた。


「それが真の心なのですか? 無知による偏見――あなたはそういうものを最も嫌っているのだと思っていました」


 ひどく静かで、それでいて、ひどく激しくもあるような問い。

 ルシュはそれだけ言ってリーゼロッテ女史に背を向けると俺の手を引いて歩き始めた。

 俺の手を握るひんやりとした手は小さく震えていた。


 そうか。ごめんな。俺のために怒ってくれてるんだな。ありがとう。

 でも、俺は本当に気にしていないんだ。ルシュが無事なら、ルシュが笑顔でいてくれるなら、それだけで十分なんだよ。他のことは全てが些細なことなんだ。

 だから、もう怒らなくていい。その代わりにさ――


 俺はルシュの手を取り直し、しっかりと握る。

 俯いたルシュの前に出て、今度は俺が手を引いて歩く。


「笑ってくれよ。それが一番嬉しいからさ」


 星一つない真っ黒な夜空に向けた俺の言葉。

 隣からは黙って頷く気配がした。


クライ編は火曜連載です。


【以下テンプレ】

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同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。

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