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057.推しをあなたへ

「お待たせしてしまい申し訳ない」


 そう言いながら俺とルシュ、ブリックのグラスにワインを注ぎ、ようやく着席した。


「お疲れ様でした」


 リーゼロッテ女史にワインを注いで互いにグラスを合わせ、しばし歓談をする。

 彼女は下戸なのか、それとも自重しているのか、ワインには乾杯の後の最初の一口だけ口をつけ、その後は水を飲んでいた。それでも会話が進むにつれて雰囲気は和み、饒舌にもなっていた。


「クライ殿はこの街を見てどう思われたかな?」


「とても美しい街並みですね。まだこの街には着いたばかりで多くを見て回れたわけではありませんが、深い歴史が感じられます」


 古臭い。そして貧富の差が激しい。

 そんな率直な感想を馬鹿正直に伝えるほどまぬけではない。


「そうか。では、今日の炊き出しについては?」


「そうですね、大勢の方が利用されていましたし、とても意義のある――」


 そう言いかけて俺はふと先の言葉を思い出した。


 それがこの国の問題なのだよ――


 リーゼロッテ女史はこの街の、いや、この国の状況を憂いている。

 彼女は俺の問題意識を問うているのだ。


「ふむ。自己紹介も兼ねて、少しこの国の状況を説明させてもらおう」


 俺が口を噤んだのを見て頷いたリーゼロッテ女史は、この国とその問題について語ってくれた。


 ここ青の大陸にはある国家は、シーラン連邦国一つのみ。そしてそのシーラン連邦国は五つの州から成っている。

 大統領や首相のような国家元首は存在せず、各州の代表による合議により国としての方針を決める珍しい政治形態をとっているらしい。

 ちなみに赤の大陸は帝国制、緑の大陸と黄の大陸は王国制の単一国家が大陸全土を支配しているとのことだった。これは長い年月をかけて吸収、合併が繰り返されてきた結果であり、また、魔物という分かりやすい脅威があるために強力なリーダーが求められた結果でもあるそうだ。

 そういう意味でも、それぞれに自治権があり、対等な関係の州が五つもある青の大陸は確かに特異だ。

 リーゼロッテ女史は、この五つの州のうち、政治の中心と言われるここパシオーシャ州の州知事選に立候補するそうだ。


「青の大陸には、赤の大陸のような武力も、緑の大陸のような知識も、黄の大陸のような生産力もない。あるのは『自由』、それだけだ」


 この国には王がいない。貴族や平民といった身分もない。人は皆、平等であり、なろうと思えば何にでも、州知事にだってなれる。そうした自由の下、多様な人種が集まり、複雑で、かつ魅力的な文化が醸成され、そして経済が発展した。

 自由主義経済の発展により今や青の大陸は四大陸随一の経済力を誇るまでになった。


「貧富の差の拡大、ですね」


 自由主義経済。それが帰結するところは、結局世界が変わったって同じなのだ。


「そのとおりだ。この国のシステムは限界を迎えている。私はそれを変えたいのだ」


 炊き出しなどの貧民支援は対症療法でしかない。

 根本的に解決するためには、今の経済の在り方を見直し、経済発展を維持しながらも富を適切に再配分する、そんなシステムに作り変える必要がある。

 そして、そのためには力がいる。

 リーゼロッテ女史は拳を握ってそう力説した。


「素晴らしいお考えをお持ちなのですね」


 決しておべんちゃらなどではなく、俺は本心からそう賞賛した。

 この国に多くの問題があることは多くの人が気づいていて、その問題を解決するための方法を思い描いている人も少なくはないだろう。しかし、それを実現しようとする強い意志とそのための力を持っているかとなると話は変わってくる。

 あくまで一般論として言えば、貧富の差が生んだカーストの中で『貧』の側にいる者たちには現状を変えるだけの力がなく、一方の『富』の側にいる者たちは現状の変更に消極的だ。勝者が得て、敗者が失う競争なのだから、これはある意味正しいとさえ言える。

 しかしリーゼロッテ女史は、この状況に真っ向から異を唱えている。異を唱えるだけではなく、自らの手で変えるべく立ちあがろうとしている。

 それは誰にでもできるようなことではない。


「ありがとう」


 リーゼロッテ女史は謙遜することなく、俺の賞賛を正面から受け止めた。

 人によっては不遜な態度に写るのかもしれないが、彼女にはその姿勢がよく似合っていた。むしろ彼女には謙遜は似合わないとさえ思える。


 端的に言うと『推し』

 男装と美しい顔立ち。理知と慈愛に満ちた言葉。自信に溢れた態度。推せる。

 俺がすっかり虜になってしまったその横で、ルシュは少しだけ難しい顔をしていた。


「すまない。つまらない話だったかな?」


 リーゼロッテ女史もそのことに気づいたのか、ルシュを気遣うように声をかけた。


「いえ、確かに難しいお話でしたけど、ご立派なお考えだと思います。でも――」


 ルシュはそこで言い淀み、チラリと俺の方へと視線を向けてきた。

 自分の考えを述べていいものかどうか逡巡しているのだろう。だから俺は、黙ってルシュに頷いた。


「いつか貧困がなくなるとして、今困っている人たちはどうなるんだろうって思っただけなんです」


 つまらないことを言ってすみません、とルシュは恐縮している。

 しかし、ルシュの言わんとすることもわからなくはない。将来に目を向けることは大切だ。しかし、今足元にある問題をどうにかしないことにはそもそも未来などやってこないのではないか。ルシュの発言の意図はそういう類のことだ。


 貧困につける薬――

 貧困という病が一時的な発熱のようなものであれば、対症療法で凌ぐこともできるだろう。そしてその対症療法が、今日のような食事や物資の支援にあたる。

 もちろんそういう対症療法も必要であることは間違いないのだが、貧困の病巣はもっと根深い。根本的に解決しようとするならば、もっと病巣の中心に作用する薬が必要なのだ。

 俺はその薬が何なのかを知っている。元の世界でもそれが最も有効かつ重要な薬だとされていたからだ。


「わたしは孤児でした。今こうしてここにいられるのは、運良く教会に保護していただいたからです」


「耳が痛い話ですな。お恥ずかしながらこの街の教会はどこも孤児を保護することは諦めておるのです」


「もうずいぶん前から孤児の数が教会のキャパシティを超えているのだよ。だからこそ教会は炊き出しなどによる物質的な支援に切り替えざるを得なかった」


 司祭が恥じ入るように項垂れ、リーゼロッテ女史がそれをフォローしてそう言った。


「す、すみません……それは重々承知しているのですが、わたしが教会に助けられたのは間違いなくて、それは食事や生活面だけではなくて、何と言うか、もっとこう、生きていくために必要なことを教えてもらったっていうか……すみません。何を言っているかわかりませんよね」


 ルシュが上手く説明できないのも無理はない。

 それは俺が当たり前のように享受してきて、それでいてこの世界にはありそうでないもの――教育だ。


 この世界、少なくともこの国には学校というものが存在しない。

 ロッサが学校運営をしていたじゃないかって?

 確かにそのとおりだ。しかしあれは、学校とは言っても専門学校のようなものだ。もともと魔法の素養が高い人たちがその実力をさらに伸ばすためにあった。

 他にも魔法学院というものがある。緑の大陸のものが有名だが、もちろんこの大陸にだってある。しかし、やはりそれも大学のようなもので、研究機関であり高度教育機関なのだ。

 つまりこの世界には小学校や中学校のような、基礎的な学問を体系的に教える機関がないのだ。

 それでもこの世界に生きる人々の知識レベルは高い。それは偏に家庭での教育のおかげだと言えるだろう。そしてそこに格差の温床があったのかもしれない。

 家庭で適切な教育を受けられなければ、社会で必要とされる知識も技術も身につけることができなくなってしまう。そうした者が親になり、好むと好まざると負の連鎖が続いていく。本人の責によらないところでスタートラインに立つことさえできない者が多く生まれているのだ。


 ルシュはきっと幸運だったのだろう。

 ルシュは驚くほどに賢い。知識量も思考力も標準レベルをはるかに超えていると言ってもいい。本人が持つ資質もあっただろうし、並々ならぬ努力もしたのだろう。しかし、孤児だったということを考えれば、育てられた教会に恵まれたというのも間違いがないはずだ。


 つまりは、親や環境に恵まれなければスタートラインにも立てず、一度負のスパイラルに足を踏み入れてしまえば、逆転の道が残されていない。

 貧困が貧困を呼んでいる。それが問題なのだ。

 だからこそ――


「学校を作ってはどうでしょう?」


 全ての者にチャンスを。そのために全ての者に教育を。

 貧困を克服し、国力を上げるために最も重要なのが教育だ。俺が住んでいた国でもそうだった。

 ついつい忘れがちになるが大学まで学び続けることができた俺は恵まれていたのだ。


「幸福は与えられるものではなく、自ら掴み取るものということだな」


 そう。武者小路実篤も似たようなことを言っていた。知らんけど。


「はい。そしてその力を得るためのチャンスは皆に平等にあるべきです」


 経済の仕組みを変えて、仮に富の再分配ができるようになったとしても、それは実は今日行った炊き出しと本質的には変わらない。

 皆にチャンスが与えられているはずのこの国は、気づけば、チャンスを掴む力のない者たちで溢れかえってしまっていた。この国を立て直そうと思うならば、彼らに力を取り戻してもらうのが一番だ。


「大きな宿題をもらった気分だな」


 そう言って笑ったリーゼロッテ女史の目には力強い光が宿っていた。


「是非私共にも協力させてください」

「もちろん教会にも」


 モルトフ支店長と司祭も賛意を示す。

 彼らの目もリーゼロッテ女史と同様に輝いていた。


 それを見た俺は、なるほどな、と一人納得した。彼らの気持ちがよくわかったからだ。

 もしかしたら世の中を変えてくれるかもしれない――リーゼロッテ女史はそんな期待を抱かせてくれるのだ。


 歴史に名を残すことになるかもしれない傑物との出会い。それが今日の一番の収穫だった。


クライ編は火曜連載です。


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同タイトル【アキラ編】と合わせて二軸同時進行中です。

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