055.お布施をあなたへ
それから二日後。
ルーベニマ商会の炊き出しが再び行われるのを待って、俺たちは改めて教会へ向かうことにした。
別に教会に行くだけならすぐに訪れてもよかったのだが、先日のスリの一件でこの街の裏側を見てしまったこともあって、せっかくならばスラムの住人を対象とした炊き出しがいかなるものか見てみたいと思ったのだ。
この街には教会が多い。大きな街なのだから当然なのだが、街の規模に比してもやたらと数が多いらしい。
それはすなわち、それだけ救いを求める人たちが多いということであり、この街がそれだけ荒んでいることの裏返しでもある。
俺たちが向かうのはその中でも比較的規模が大きい、今いるところの隣の区画にある教会だ。
それなりに距離があるため、水路を走るゴンドラに乗ることにして、のんびりと街の景色を眺める。
古めかしいが、綺麗な街だ。活気もある。このままゆっくりと観光に洒落込むのも楽しいかもしれないな。普段ならそう思うところなのだが、この街の裏側を見てしまった今となってはそんな気にもなれなかった。
「何とかしてやりたいんだけどな……」
「ん? 何が?」
「いや、何でもないよ」
身の丈に合わないことを考えても仕方がない。幸先のいいスタートを切れたと言っても、まだまだ俺は駆け出しの行商人なのだ。自分のことだけで精一杯。頑張って手を伸ばしても、届くのはルシュとブリックまでだ。
そもそも一個人に何とかできるような問題でもない。本来であれば行政が対応すべきことだろう。
ま、その行政がこの街を捨てて逃げ出しちゃってるんだけどね。
とにかく難しいことを考えるのは一旦止めにして、自分にできることをやるしかない。そのために教会に向かっているわけだしな。
そしてやって来ました、教会。ん、教会?
「こ、これは……何だ?」
俺はその異様な外観に絶句した。
「教会だよ」
「教会ですけど?」
二人が、何言ってんだコイツ、みたいな目で俺を見ている。
しかし、それはこっちの台詞だ。
「い、いや、これは『教会』じゃなくて『寺』じゃねえか!」
俺の目の前にある建物はどこからどう見ても『寺』だった。日本のどこにでもあるような『なんとか寺』みたいな普通の寺だ。
教会と言えば、いわゆるキリスト教会みたいな西洋風建築物を想像するのが普通だと思う。断じて俺がおかしいわけではない。しかし、元の世界とこちらの世界の常識が異なることを考えれば、どうやらそれは俺の思い込みでしかなかったようだ。
それでもいわゆる『教会』といわゆる『寺』の両方を知っている俺からすると、これを『教会』だと言い切ってしまうのにはさすがに違和感が拭えない。
しかしそんな違和感も、俺の頭をよぎった『ある可能性』に一瞬で掻き消えていった。
「もしかしたら……帰れるかも……」
俺はその可能性を自分にだけ聞こえるように小さく呟いた。
俺がここまで見てきたこの世界は異世界モノのラノベでよくあるような中世ヨーロッパ風の世界だ。街並みも、人々の服装も、食文化も、これまで『日本っぽさ』を感じさせるものはなかった。
そんな中で突如として現れた『日本っぽさ』――それは元の世界とのつながりを俺に感じさせるには十分だった。
ふ、ふ、ふ……とうとうこのときが来てしまったか。
短いようで長かった異世界生活。いろんな苦労があった。死を意識することも多々あった。しかしそれも今となってはいい思い出だ。ついに俺は元の世界に戻れるのだ!
そこまで考えて俺はルシュの顔を見る。
ルシュは不思議そうな顔をして俺を見ていた。
もし俺がここで元の世界に帰ってしまったら、ルシュはどうなるのだろうか。ルシュとの約束はどうなるのだろうか。
元の世界に帰りたい。元の世界に強烈な郷愁を感じている。元の世界に帰って、やらなければならないことがある――それが何だったか思い出せないが、俺の心が強くそう訴え続けている。
しかし、そうするためには、ルシュを置いていかなければならない。
帰りたいけど、帰れない。いや、帰れないわけじゃないけど、果たして、ここで帰ってしまうのが正解なのか……
「ねえ、どうしたの? 早くお祈りに行こうよ」
「あ、ああ……そうだな」
思考の渦に囚われていた俺をルシュの声が呼び戻す。
とりあえず考えるのは後だ。
この世界と元の世界がつながっていることさえわかれば、帰るのは今でなくてもいい。
もし元の世界に帰ってしまっても、やるべきことをやったら、またこの世界に戻ってくればいい。
果たしてそれが可能なのかどうかはわからないが、とりあえず今はその問題を先送りにすることにした。
本堂の前まで来た俺は、目を瞑って合掌をする。
ルシュやブリックは片膝を突き、両手の指を組んで祈りを捧げているが、俺にとっての正解はそうではない。そうではないのだよ。
合掌――それこそが、この世界の神ではなく御仏に通ずる様式だ。なぜならここは『寺』なのだから。
さあ、仏様。いつでもいいですよ。この哀れな俺に御仏の慈悲を。
そうして目を瞑ること数分。
「ずいぶん熱心に祈りを捧げてるんだね」
感心したようなルシュの言葉に俺は我に返った。
あれ? おかしい……
しかし、そう思ったのはほんの一瞬だけ。
目を開けた俺は目の前にある木箱を見て、すぐに自身の失態に気付いた。
そこには『御布施』と書かれた神社でいうところの賽銭箱のような木箱が置かれていたからだ。
御布施とは欲望や執着を捨てること。転じて、俗世の欲望の象徴たる金銭を御仏に捧げることをいう。
いかん、いかん。俺としたことが大事なことをすっかりと忘れていたよ。
懐から銀貨を一枚取り出して、それを御布施箱へと投げ入れる。
そして改めて合掌。
合掌――――
ん? 何も起こらないな……
もしかしたら御布施が足りなかったのかもしれない。地獄の沙汰も金次第っていうしな。銀貨一枚で世界を渡ろうなんて甘すぎたか。
そう思って、今度は金貨を一枚投げ入れる。そして再び合掌。
ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ぽく、ちーん!
教会とは名ばかりの寺から、人を小馬鹿にしたように木魚の音が響く。
ぐぬぬ! これでも駄目か。かくなる上は――
「だめ!」
「やめてください!」
悲痛な叫びと同時に、ルシュが俺の肩にしがみ付き、ブリックが俺の振り上げた右手をがっちりと掴んだ。
「お、俺は一体、なにを……」
我に返った俺は、自分の右拳を見て背筋が凍るのを実感する。その手には、青く輝く一枚の硬貨が握られていた。
あ、危ねえ……二人が止めてくれなければ、ドブに青貨を捨てるところだった……
「まったく馬鹿なマネはやめてくださいよ、アニキ!」
「そんなことするのはダメ、絶対!」
二人は呆れたように溜め息をつきながら俺を諫める。
「すまない……」
そんな二人に、俺は小さく謝ることしかできなかった。
どうやら冷静さを欠いてしまっていたようだ。
考えてもみれば、ちょっと日本っぽいからといった理由だけで元の世界との繋がりを求めることに無理があったのだ。
日本っぽさを別にすれば、この世界と元の世界の共通点は至る所に転がっているわけで、その全てに元の世界との繋がりを求めていてはキリがないことなど冷静になればすぐにわかることだった。
「もう! 二度とこんなもったいないことしちゃダメだよ!」
ルシュは腰に手を当ててぷんすか怒っている。
俺がやろうとした暴挙を考えれば当然と言えば当然なのだが、なんとなく腑に落ちない。
「なあ、ルシュ。仮にも『神の巫女』が神への御布施を『もったいない』なんて言っちまっていいのか……?」
「い、いいの、いいの。神様の歓心をお金で得ることなんてできないんだよ?」
しどろもどろだが言っていることはそれなりにもっともらしいので、そういうことにしておこう。おかげで冷静さを取り戻せたわけだしな。
俺は自分で自分に溜め息をつきながら、手に握った青貨を大切に懐にしまったのだった。
クライ編は火曜連載です。
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