053.スリをあなたへ
炊き出しは日暮前からとのことだったので、カフェで小休止をとった後、街の散策をしながらのんびりと教会へと足を向ける。
「なんというか趣のある街だな」
それがこの街を見た率直な感想だった。
これまでこの世界で訪れた街は――とは言っても数えるほどのもないのだが、いずれも中世ヨーロッパを思わせるような街並みだった。しかし古臭いかと言われると、そうでもない。特にアーリムなんかは、街並みが美しいというだけではなく、機能的にも洗練されていた。
一方でこのワシャは、街の規模のわりには前時代的だ。
「まあ、ここは旧都ですからね」
「旧都?」
「ええ。つい二十年ほど前まではここワシャがパシオーシャ州の州都だったんです。五百年以上州都として栄えていたらしいんですが、今の州知事がアクエリアに遷都したんです。でもまだまだ活気に溢れていますよね」
「なるほどねえ。州都だったのか」
古臭いというよりも、歴史があるってことだったんだな。
それにブリックの言うように、街自体は古いが活気はある。それに一役買っているのが、この街全体に張り巡らされている水路だ。
道幅が狭いこの街では大型馬車がすれ違えるような大きな通りはほとんどなく、代わりに至るところに水路が走っている。人も物も水運がこの街の基本のようだ。
「せっかくだし舟に乗ってくか?」
ちょうどバス停ならぬ船乗り場が目に入ったところでそう提案してみたのだが。
「えー、いいよ。ずっと船の上だったんだから、私は歩きたいな」
「すみません、アニキ。僕も今日は歩きたい気分です」
敢え無く二人からの反対を受けて撃沈した。
まあ、二人の言うことはもっともだし、そもそもカナヅチのせいで船を嫌っていたのは俺だからな。教会までは少し遠いが街の風情を楽しみながら歩いていくのもいいだろう。
「ね、ね。何かいい匂いがする! 串焼きかな? 食べながら行こ――きゃあ!」
「お、おい、ルシュ!」
ドンっという鈍い音とともに、匂いにつられて鼻を鳴らしていたルシュが尻餅を突いた。
「いったぁ〜」
「ご、ごめん、おねえちゃん。大丈夫?」
どうやら走ってきた男の子とぶつかったようだった。
「こちらこそごめんね。怪我はない?」
「う、うん。ぼ、僕、急いでて……ごめん、もう行くね」
「うん。もう人にぶつからないように気をつけるんだよ」
男の子の頭を撫でたルシュは立ち上がると、再び駆け出していく男の子を手を振りながら見送っている。
俺はそんなルシュの頭をポカリとやる。
「気をつけるのはお前もだぞ。美味そうな匂いにつられて前方不注意だったんだからな」
「えへへ、そうだね。気をつけます」
「ルシュさん!」
遠ざかっていく男の子にぼんやりと目を向けていたブリックが我に返ると、血相を変えてルシュに駆け寄ってくる。
「財布は?」
「財布?」
首を傾げながら懐を弄るルシュ。その表情が次第に曇っていく。
「な、ない……」
「やっぱり! あの子、スリですよ!」
「スリ!?」
そう言えばウォルタンでの灯篭祭りの際にもブリックからスリに気をつけるように注意を受けてたんだっけ。それにしてもあんな子どもが……
「で、ルシュ、財布にはどれぐらい入ってたんだ――って、そうだ! 青貨は?」
青貨を一枚ルシュに渡していたんだった。ルシュの財布の中身だけであればたかが知れているが、この大陸の最高額貨幣たる青貨となるとそうはいかない。
「青貨は絶対無くさないようにしまってあるから大丈夫だよ。財布の中身はわたしのお小遣い。金貨三枚とちょっとぐらいかな」
青貨をどこにどんな風にしまっているのかは気になるところではあるが、金貨三枚ぐらいなら、ちょっと高いが授業料だと思って諦めもつく。
俺はそう思っていたのだが、どうやらブリックはそうではなかったようだ。
「追いましょう。取り返すべきです」
「いや、ブリック。残念だけど諦めよう。俺たちの脇が甘かったのがいけなかった。ルシュにはまたお小遣いを渡すからさ」
「わたしも追いかけた方がいいと思う」
ブリックの提案に反論したのだったが、意外にもルシュがブリックを擁護した。
ルシュだったら笑って許しそうな気もしていたのだが……
「でも、相手は子どもだぜ?」
「子どもだから、だよ」
ルシュの言葉にブリックも頷いた。
「子どものスリの後ろには犯罪組織がついてることが多いの」
「それに格好からしてあの子はスラムの子でしょう。犯罪組織がバックについていないとしても、スラムに帰って金貨を持ってることが周りにバレたら争いの種にもなり得ます」
なるほどな。子どもだからこそ見過ごせないというわけか。
「でも、追いかけるったってどうする? 完全に見失っちまったぞ」
「その点についてはお任せください。すぐに見つけ出して差し上げますよ」
⚫︎
自信満々のブリックに連れられてやって来たのは、この街の裏通り。いや、裏通りと言うのは生温いほどの完全なスラム街だった。
「な、なんか、ちょっと怖いとこだね……」
「そうだな……」
ルシュもスラム街に足を踏み入れるのは初めてだったのか、俺の袖を掴みながら怯えた顔で辺りを見回している。
かく言う俺もスラム街は初めてだ。長らく拠点としてたアーリムにもスラム街はあったがわざわざ訪れることはなかった。まあ、一歩間違えば自分もそこの住人になっていた可能性もあるので意識的に遠ざけていたっていうのもあるけどな。
「それにしてもすごいところだな……」
すごいところ――つまりは劣悪な生活環境だということだが、それに加えて規模がすごい。聞くところによると全体で小さな地方都市がすっぽり入るぐらいはあるらしい。
古めかしくも活気がある都市が表の顔。一方で、これだけの貧富の差が広がっている。裏の顔であるスラム街が実はこの街の本体とまで言えるかもしれない。
「ここを放棄するために遷都したっていう噂もあるぐらいですからね」
「気持ちはわからんではないけど、ただの問題の先送りって気もするな」
自由主義経済の導入がこの国を大きく発展させたと聞く。それ自体は歓迎されるべきことだろう。
一方で自由主義経済が貧富の差を生むことは自明の理であり、それを放置すればいつかは得た利益よりもはるかに大きな損失を生むことになる。
今目の前の光景を見ていると、その足音がすぐ背後まで迫ってきているように感じられた。
「それで、こんな広いところからどうやってあの子を見つけるんだ?」
「心配無用ですよ。こう見えて僕は人探しは得意なんです――っていうのは嘘で、実はその道のプロにお願いしています」
「その道のプロ?」
ルシュがそう尋ねたところで、俺たちの背後から音もなく一人の男が姿を現した。
「待たせたな」
「いいえ、僕たちも今着いたところです」
「ブリック、その人は?」
「依頼を受けたブッフォンだ」
ブリックよりも先にそう答えた男が右手を差し出してきたので、俺もそれを握り返す。
なるほど。その道のプロ、冒険者か。確かに人探しをするのであればこれ以上の助っ人はいない。それに加えて、治安の悪いスラム街を歩く際の護衛にもなる。
スラムに向かう前に準備があると言って単独行動をとっていたブリックだったが、どうやらその間に冒険者組合に依頼をしていたらしい。この分だと、膨れたブリックのバックパックには他にも色々と準備してきたものが詰め込まれているのだろう。
「早速だがついてきてくれ」
顔をマスクで隠した暗殺者風の冒険者ブッフォンがそう言って俺たちを先導し、向かった先は、使われなくなって久しい廃れたバーのような建物だった。
「この辺りを取り仕切っているケルトーという男のアジトだ」
治外法権で治安も悪いスラム街にも一定の秩序はある。それがなければまさに世紀末の様相を呈し、もはや表裏関係なく街としての体を保つことさえできないのだから当然と言えば当然だ。
そしてその秩序を保っているのがスラム街にいくつか存在する自治団だ。自治団はその自治領域でのルールを定め、スラムの住人たちを守っている。
表向きは非合法な集団ではあるが、実際的には市政府との交渉権も持っており、表と裏の過度な衝突を避けるという点においても、街にとってはなくてはならない存在だと言えるだろう。
中でも、第二街区一帯のスラムをまとめるケルトーは、比較的穏健派ということで知られているらしい。
クライ編は火曜連載です。
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