051.巨大種をあなたへ
「なんか雲行きが怪しくなってきたな」
進行方向を見ると、西の方にどんよりとした雨雲が見て取れた。このまま直進を続けるとぶつかってしまう可能性がある。
「でも、雨が降ってもクライの魔法で傘が出せるもんね」
「でも海は荒れるじゃないか」
「船ごと浮かせることもできるんでしょ?」
ルシュはすっかり俺の始原魔法を便利グッズ扱いだ。
まあ、その認識で間違ってはいないんだが。
「しかしあの雲はまずいですね。サンダーアルバトロスの群れがいるかもしれません」
「サンダーアルバトロス?」
ルシュの問いにブリックが頷いて答える。
「雷雲とともに現れる魔物です。雷を纏って突っ込んでくるので、水魔法との相性が良くないこともあってなかなか厄介な魔物なんです」
サンダーアルバトロス――雷アホウドリか。
確かに水魔法との相性は悪そうだ。
「十羽程度の小さな群れなら護衛の冒険者二、三人で対応可能なんですが、大きな群れになると大型商船を沈めることもあるそうです」
「あんまり遭遇したくはないなあ」
戦えるのは俺一人で、ルシュとブリックは戦力外だ。
かく言う俺も始原魔法が使えるだけであって、本質は商人、いや、ただの大学生。魔物の討伐や戦闘に通じているわけではない。
「ちょっと時間のロスだけど、船をとめてやり過ごすか?」
「僕もそれがいいと思います」
「また巨大種が出たら困るしね」
二人の同意も得られたことだし、しばらく様子見だ。
それにしてもルシュよ、そういうのはフラグっていうだから、軽々に口にするもんじゃねえぞ。
それから二刻ほど経った頃――ルシュがフラグを立てたせいか、俺の普段の行いが悪いのか、あるいはその両方か、俺たちは暴風雨に晒されていた。
「おいおい、雲って西から東に流れるもんじゃねえのか?」
「そうなんですか? 初めて聞きましたけど」
チッ! あっちの世界の常識はこっちの世界の非常識ってわけか。
始原魔法光盾で船ごと覆い、なんとか風雨と荒波の影響は受けずにいられているが、雨が叩きつける音のせいで声を張り上げないと会話もままならない。
「ねえ、クライ! あれ!」
ルシュが震える指でひと際黒い雨雲を指す。いや、雨雲ではない――魔物だ。
ざっと見ただけでも三十羽は超える巨大な鳥がこちらへと向けて飛んできていた。
「多い! ってかでかい! 巨大種か?」
「いえ、あれで通常サイズのはずです」
まじか……翼を広げたサイズが優に俺二人分はあるというのにあれで普通なのか。
そりゃあ、巨大商船が沈むのも無理はねえな。
俺が他人事のように考えていると、目の前で閃光が走る。落雷だ。
それと同時に群れの先頭を飛んでいた一羽が俺たちに向かって突っ込んできた。
「きゃあ!」
落雷の轟音と同時に響く衝突音にルシュが悲鳴を上げて目を瞑る。
「大丈夫だ」
猛スピードで突っ込んできたサンダーアルバトロスは、原形を留めないほどぐちゃぐちゃに潰れて海面に浮かんでいた。
正直グロ過ぎて目を逸らしたいところだが、俺が目を背けるわけにはいかない。とりあえず今のところ光の壁は無事だ。しかし、それがいつまでもつかは俺次第。目を逸らさず極限まで集中力を高め、光魔法光盾を維持しなければならない。
「ほ、ほ、本当に大丈夫なんですよね?」
「ああ、大丈夫だ」
ブリックは知らないだろうが、俺の光盾は巨大種となったアーマーボアの山のような質量にも耐えるのだ。
二匹、三匹、四匹――雷鳴が轟くのと同時に次から次へと突撃してくるサンダーアルバトロス。馬鹿の一つ覚えのように愚直に特攻を繰り返している。
「名前のとおりアホウなんだな……」
周囲の海が血と肉でどす黒く染まった頃、上空を飛んでいるサンダーアルバトロスは最後の一羽になっていた。
そして轟く雷鳴。
それと同時に最後の突撃が終われば俺たちの勝利だ。
「ふう、なんとか切り抜けられたな」
そう思ったのがいけなかった。たぶんこれこそがフラグというヤツなんだろう。
最後の一羽は落雷とともに特攻を仕掛けることなく、俺たちの船のすぐ隣に着水した。
コツン、コツン。
嘴で光盾をつつき、何やら首を傾げたりしている。
仲間たちの多大なる犠牲のおかげで少し学習したのだろう。アホウドリなどと不名誉な名称で呼ばれているわりに、この個体はそこそこの知性があるようだ。
「い、生きた心地がしませんね……」
光盾を突きながら船の周りをぐるぐると回るサンダーアルバトロスを警戒しながら、ブリックが冷や汗を垂らす。ブリックとルシュには光盾が見えないので不安になるのは仕方がない。
「気持ちはわかるけど、大丈夫。もうこいつにできることは何も――」
「待って。何か様子がおかしいよ」
俺の言葉を遮って、ルシュがサンダーアルバトロスを指差す。
「何かを食べてるのかな……?」
見ると、サンダーアルバトロスは嘴をパクパクと動かしていて、確かにルシュの言うとおり何かを啄んでいるように見える。
不審に思った俺が意識を集中すると、サンダーアルバトロスの嘴から黒い靄が漏れ出ていた。
いや、漏れているんじゃない。
「喰ってるんだ……」
サンダーアルバトロスの口元には黒い靄が集まっている。それを啄み、自らの体内に取り込んでいるように見えた。
プリウマと違ってミアズマは、通常ほとんど視認することはできない。
それは、大気中に存在する濃度の問題なのか、あるいは、単に俺がミアズマを視ることを得意としていないのかはわからないが、そんなミアズマがこれほどはっきりと見て取れるのは明らかに異常だ。
「もしかして……」
俺がその可能性に思い至ったちょうどそのとき、サンダーアルバトロスの体に異変が現れた。
嘴の先から尾羽の端まで波が走ったのだ。
嘴から生じた波は魔物の体表をうねらせて尾羽に至り、その先端までたどり着いたところで折り返し、再び嘴の先へと向かう。
「ア、アニキ、なんかでかくなってませんか……?」
そうして何度も何度も波が走るたびにサンダーアルバトロスの体が巨大化していく。
「巨大種って、こうやって生まれてたんだな……」
どこか他人事のような感想をいただきつつも、次の対策へと頭をめぐらせる。
もとからでかかったサンダーアルバトロスだが、今目の前にいる個体はルーベニマ商会の大商船並みの大きさだ。
普通に考えてこんなものが空を飛べるとは思えないが、そこは魔法のある世界、物理法則なんて無視して飛ぶのだろう。そして、今度こそ雷を纏って突っ込んでくる。
耐えられるだろうか……俺は生唾を飲み込んだ。
アーマーボアの巨大種の推定百トン以上の巨大質量の衝突を耐えただけあって、光盾の強度には自信を持っている。
しかし、あのときは、質量こそあったものの、速度は大したことはなかった。
一方今回は、質量に加え、落雷の如き速度、そして嘴からの一点集中突破だ。
もし光盾が耐え切れなければ、肉体強度的にただの人である俺たち三人に助かる見込みは全くない。
考えられる対応策は二つ。積層型に光盾を展開して防御を高めるか、防御を諦めこちらから打って出るか、だ。
二つを同時にできればいいのだが、残念ながら今の俺の力では難しいだろう。やってやれないことはないかもしれないが、二兎を追う者一兎をも得ずという結果になると目も当てられない。
「さて、どうしたものか……」
俺は後ろの二人を見る。ブリックは青い顔をして腰を抜かしている。
ルシュは気丈にも立ち上がって、俺の背を支えてくれている。しかし、怯えているのは明らかだ。
二人に何かあるのが一番まずい。それ自体がまずいということは言うまでもないが、そうなってしまうと俺の集中力を保つことも難しなくる。
だったら、専守防衛が正解か。
「キエェェェエ!」
俺がそう結論を出すのと、サンダーアルバトロスが奇声を上げながら水面から飛び立つのがほぼ同時だった。
「始原魔法光盾!」
極限まで集中した俺の叫びは雷鳴に掻き消され、次の瞬間には俺の鼻先まで巨鳥の嘴が迫っていた。
俺の額に冷や汗が走る。
俺が展開した積層型光盾は七枚。巨大アホウドリはその六枚を突き破り、最後の一枚に嘴を突っ込んだところでようやく止まっていた。
「まじか……」
いくらなんでもこれはやられ過ぎだ。光盾があと一枚少なかったら、あるいは、あと少し強度が低かったら俺は死んでいた。
絶対的強度を誇ってきた光盾がこうも簡単に破られる、その原因は――
「あの靄か……」
アーマーボア巨大種の討伐の際、ルーアの剣魔法の威力が魔物の体表で蠢く黒い靄で減衰していた。
プネウマとミアズマは互いに互いを消滅あるいは排斥する関係にある。そういうことなのだろう。
相手は今ので手応えを掴んだことだろう。次は今以上の力で突撃してくる可能性が高い。それに対抗するためには、俺も今以上の数、強度で光盾を展開する必要がある。
しかし、そうと分かっていても簡単に実行できるかはまた別の話だ。
「まずいな……」
「ね、ねえ、クライ。飛ばないようにすることってできないかな?」
「なん…だと…」
俺の袖を引いたルシュの言葉は、俺に忘れていた何かを思い出させた。
それは確か、丸いゴリラが赤い坊主を倒すために編み出した作戦だった。
飛ばせないことが第一で、殺るのはそれからでいい――
それはまさに天啓のような言葉だった。
「助かったよ、ルシュ!」
俺は即座にサンダーアルバトロスの真上に光盾を展開する。
今度の光盾には強度は必要なない。代わりに、巨大種が放つミアズマに押し負けないだけの濃度が求められるが、プネウマを強固に固定する作業がない分、超強度の積層型光盾を展開するよりはるかに楽だ。
サンダーアルバトロスは飛翔しようとするも、すぐに光盾に衝突し、飛び立つことができない。
どうやら上手くいったようだ。
突撃の脅威させなくなれば、最早図体がでかいだけのただの鳥だ。後は始末するだけの簡単なお仕事、せっかくだから新開発の物理攻撃魔法の実験台となってもらうことにしよう。
俺は懐からルシュに渡したのとは別の、もう一枚の青貨を取り出す。そしてそれを人差し指と中指で挟み、手銃のように巨大なアホウドリへと向けた。
「始原魔法青光弾!」
合図とともに青貨が俺の手から勢いよく射出される。
その速度は音速をはるかに超え、当然ながら常人たる俺にそれを視認することはできない。
青貨が光の尾を引きながら空の彼方へ消えたとき、海面には頭部が弾けた巨大なサンダーアルバトロスの死骸が浮かんでいた。
「ふう……」
俺は大きく息をついてその場に座り込む。
今回は、いや今回も危なかったぜ。
「お、終わったの?」
「ああ、終わったよ。もう大丈夫だ」
「ありがとう、クライ!」
ルシュが背中に抱きついてきて歓喜の声を上げた。
ふむ、最高のご褒美だ。背中が幸せである。
「礼を言うのはこっちだよ。一番の功労者はルシュ、お前なんだからさ」
ルシュの助言は、冷静に考えればすぐにわかるようなことだったが、いざ魔物を、それも巨大種を前にして、その『冷静に考えれば』が一番難しかったりするのだ。
これは今後の課題として、精進しなければならない。
「あ、あの、アニキ……もしかして、今飛んで行ったのって、青貨じゃないですか……?」
「ああ、そうだけど?」
「アンター! 一体何ってことやってるんですかー!」
先ほどまでの青い顔から一転、ブリッツは顔を赤くしてプンスカと怒っている。
まったく、魔物の脅威が去ったらすぐに金のこととは、本当に現金なヤツだ。
「俺たち三人の命の値段だと考えれば安いもんだろ?」
「そ、それはそう……ですけど」
「それにほら」
俺は右手に握っていた青貨をブリックに見せる。
音速を超える速度で魔物の頭部を貫通したにもかかわらず、変形もしていないし、傷一つ付いていない。さすがは不思議金属だ。
「遠くに飛ばしても引き戻せるって言っただろ。聞いてなかったのか?」
「は……はは……」
乾いた笑いとともにブリックは心底疲れたといった感じでその場にへたり込んだ。
一番疲れているやつが一番何もしていない気もするが、それはまあいい。
魔物の脅威は去った。気付けば雷雲も遠く南の空だ。これで憂いなくワシャへと出発できる。
てことで、改めて――俺たちの旅はこれからだ!




