049.打ち上げをあなたへ
「蜜蝋がベースでしたのね」
大量に運び込んだ蜜蝋を見て、エリス支店長が少し驚いたようにそう言った。
ここはルーベニマ商会が契約する鋳金工房の一画。
これから契約どおり口紅の製造方法を説明するところだ。
それにしても、エリス支店長が直々にやってくるとは少々意外だった。ルーベニマ商会にとって重要な内容だからというのはもちろんあるだろうが、作業に身を包み色々と見て回っている彼女を見ると、純粋に興味が勝ったというのもあるかもしれない。
「それじゃあ、始めますね」
俺が合図をすると、ブリックが鍋に蜜蝋と植物油を投入する。
俺は説明担当、実際に作って見せるのはブリックだ。見学者はエリス支店長と製造部門と販売部門の責任者、それから製造の現場担当者三名だ。
ちなみにルシュは、今日はお休みだ。たぶん今頃、ウォルタンの街を散策しているんだと思う。
「蜜蝋と油がよく馴染んだら着色料を入れます。分量はお渡ししているメモのとおりです」
俺の説明に合わせてブリックが赤色色素を投入する。
「この赤い色料はコマチバナですか?」
「ええ。仰るとおりです」
コマチバナは元の世界でいうところの紅花だ。
紅花から得られる赤色色素は古くから口紅の材料として使用されている。この世界でもコマチバナから口紅を作るのは変わらないようで、製造責任者もすぐに得心がいったようだ。
大量の蜜蝋が売れ残ることを知ったとき、最初に思いついたのは先日作ったクレヨンだったが、クレヨンでは商品として少し弱いかと思っていたところで、商店に陳列されていた小皿の口紅を見て、スティック状の口紅に思い至ったのだった。
この地方では蜜蝋も蜂蜜も多く出回っていたことから養蜂が盛んだというのはすぐにわかった。養蜂が盛んということは蜜源が豊富にあるということであり、口紅が流通していることからも、蜜源にもなり、色素もとれる紅花を栽培しているところがどこかにあるのでは、と思ったのがきっかけだ。
紅花から赤色色素を抽出するには、乾燥させたり、発酵させたり、水洗いをして黄色色素を抜いたりと色々と大変な工程があること程度は、スタジオラブリーの名作映画『おもひでころころ』から得た知識として知ってはいたが、詳しいことはわからないし、それをやる技術もない。個人が大量に処理することも不可能だ。
だが、それを可能にするのが俺の始原魔法だ。プネウマを操作するだけで簡単にコマチバナから赤色色素のカルタミンを抽出することができた。俺はカルタミンの構造式を知らないが、色素の抽出にあたってそのあたりの知識は必要ないようだった。さらに言うと、カルタミンという物質名を知っておく必要すらない。コマチバナの中にある赤色の色素だけを分離したい――始原魔法はたぶんその程度で簡単に発動することができるかなりチートな魔法だ。
「ただ私が準備した色素はかなり純度が高いので、一般的なコマチバナの色料を使う場合は配合を変えた方がいいかもしれません」
そういうわけで、念のために製造責任者に注意事項として伝えておく。まあ、みなまで俺が言わずとも、彼らはプロなのできっと上手くやるだろう。
「最後に香料を加えます。ちなみに、香料は口紅の製造に必須ではありません」
「香料入りのものとそうでないものとで商品の差別化ができそうですわね」
エリス支店長が商人の顔をしてそう言った。きっとここから色々な商品が開発されていくのだろう。
「最後に金型に流しいれて、水で冷やして固めれば完成です」
先日俺が作ったときは冷却に氷を使ったのだが、ここでそれを披露するつもりはない。蜜蝋の融点は確か六十度ちょっとぐらいだったと思うので、流水でも十分固めることはできる。
「ずいぶんと簡単にできるのですね」
感心したように声を上げ、出来上がったスティック状の口紅を手に取った。
「この程度の工程であれば、すぐに量産に入れそうです」
「できれば専用の工房を準備した方がよさそうですね」
「わかったわ。後で企画書を持ってきてちょうだい」
ルーベニマ商会の面々は今後の量産体制の確立について早くも意見を交わし始めている。
彼女の仕事の速さを考えると、この大陸にいる間に商店で並んでいるのを見ることも十分ありえるかもしれないな。
その後、支店の応接室に戻り、製造方法についての質疑応答や今後の展望についての意見交換を行った。
その際に、ついでにクレヨンの製造方法も伝えておいた。追加の契約を申し出てくれたが、これはあくまでおまけなので、丁重に固辞することにした。代わりに、いつの日か子どもがお絵描きにつかえるように広く普及させてほしいと要望し、エリス支店長も快く承諾してくれた。
「クライさん、この度は誠にありがとうございました。私共ルーベニマ商会はクライさんを最も親しい友人の一人だと思っておりますので、何かお困りごとがございましたら、いつでもお声掛けください。全力を挙げて支援させていただきますので」
エントランスまで見送りに出てくれたエリス支所長がそう言って右手を差し伸べてくる。
儲け話があるときではなく、困ったときに声をかけてくれ、という言葉は素直に嬉しい。
「こちらこそ、今後ともよろしくお願いします」
俺も礼を言って差し出された手を握り返す。
すると、不意にエリス支店長が俺の耳元に口を寄せた。一瞬ドキリとしたが、決して色っぽい話ではない。
「先ほどご相談させていただいた件、ぜひともご検討をお願いいたしますね」
俺は彼女の言葉に小さな頷きで答える。
隣では、昨日の緊張が嘘のように、ブリックが販売部門の責任者たちと談笑していた。
⚫︎
「水の神に!」
一度宿に戻ってルシュと合流した後、俺たちは宿の向かいにある酒場に向かい、祝杯を挙げていた。
今回の仕事も上手くいった。怖いぐらいの利益も出した。正直、稼ぎ過ぎだ。
元の世界の知識を用いて商売を行う以上、あまりにも大きな利益を得るのは信義に反すると思っていたし、それは今も変わらないのだが、加減が難しいのだ。
ちょっとした物でもついつい稼ぎ過ぎてしまう。しばらく行商はお休みした方がよさそうだな。働く必要もないぐらい金はあるわけだし。
まあ、難しいことは今はいい。今は成功を祝してエールを飲もう。
そうして宴もたけなわとなってきた頃、突然ブリックが立ち上がって俺に向かって頭を下げてきた。
「アニキ! 今回は本当に勉強になりました。ありがとうございました!」
「おいおい、礼なんかいいから座れよ。別に俺は大したことはしてないんだしさ」
「そんなことはありませんよ。いち行商人が大商会を向こうに回して、あんなに堂々と交渉できるなんて。それに商品自体も本当に素晴らしいし、商品を準備してから交渉に向かうまでの段取り、手際、どれをとっても勉強させられることばかりでした」
ブリックはあれが素晴らしかった、これが勉強になったと褒めたたえてくれるが、正直、褒められるたびに胸が痛む。
大商会を相手にしても俺が強気でいられるのは商品が強いからであって、その商品は元の世界にもともとあったものであり、もっと言えば誰かのパクリだ。決して俺が何かに優れていたわけではない。
それに――
「ブリックにだって十分できることだろ?」
「い、いや、僕なんか……」
「ブリック、君は優秀だよ。あんなヘタクソな仕入れなんてするはずないことぐらい、一緒に働けばすぐにわかるさ。あれはわざとやったんだろ?」
「い、いえ、そんなわけじゃ……」
「何か理由があるんでしょ?」
ルシュが優しく微笑みながらそう言った。
「この前一緒に仕入れにいったときもさ、すごいなーって思ってたんだよ。わたしよりも年下なのにわたしよりもずっとずっとしっかりしてるしさ」
「いや、ルシュよりしっかりしてなかったらかなりヤバいだろ……」
俺が横やりを入れると、ルシュは笑顔のまま俺の脇腹にグーパンを入れて、それをなかったことのように話を続ける。
「素人のわたしでもあの時期に蜜蝋を仕入れるなんておかしいってわかるよ。そんなことをブリックがやるなんて不思議だなってずっと思ってたんだよね。何か理由があったんだよね?」
ルシュの優しい語り口に絆されたのか、あるいは、自らの行動に如何に無理があったのかを改めて思い直したのか、ブリックがその重たい口を開いた。
「……家を出たかったんです。家を出て自分の力でやってみたいとずっと思っていたんです」
やっぱりな。安住から飛び出して冒険したいと思う気持ちはよくわかる。実際にそうすることで成長するもんだしな。
「お二人には大変申し訳ないことをしたと思っていました。こんなことに巻き込んでしまって。でも正直言うと、クライさんが売れもしない蜜蝋を買い取ると言ったとき、ワクワクしました。この人は一体何をするつもりなんだろうって。この人のやろうとしていることを見てみたいって」
「実際見てみてどうだった?」
「楽しかった――いや、羨ましかったです。アニキが、僕がずっとやりたいと思っていたことをやっていたから」
それはよかった。俺の働き方を見て羨ましいと思ってもらえたのだったら、一緒に働いた甲斐があるってもんだ。
まずは仕事があって、それを楽しめるのだとしたら人生最高である。就活に失敗した俺が言うのだから間違いない。
「さて、これでここの仕事は一段落したわけだけど、ブリックはこの後どうするのか決めてるのか?」
その問いに最初に反応したはルシュだった。
ルシュは一瞬驚いたような顔して、次に状況を理解して寂しそうに目を伏せた。
ほんの数日だったが、確かに一緒に働いた仲間だ。もしかしたらルシュは、この状況がもうしばらく続くと思っていたかもしれないが、この仕事が終わってしまえば、ブリックの親父さんからの頼みには応えたことになる。
この先どうするか――それを決めるのは、俺たちでも、親父さんでもなく、ブリック自身だ。
しかし、ブリックは答えない。何かを決めかねているようだ。
「もしまだ決まってないなら、ルーベニマ商会で働いてみるってのはどうだ?」
「え!?」
結んだ拳を見つめていたブリックが顔を上げた。
「エリス支店長は、これから立ち上げる口紅工房の責任者をブリックに任せたいんだとさ」
「ルーベニマ商会が僕を……?」
「ああ。工房の方が一段落したら、別の部門でも色々な経験を積ませてくれるとも言ってた。商人として成長するにはまたとないチャンスだと思うんだけど、どうだ?」
「……少し考えさせてもらってもいいですか?」
そう言ったブリックは武者震いをしているように見えた。
それもそうだろう。一介の行商人、それも見習いのような立場から、超巨大商会の工房責任者だ。商人としてのサクセスストーリーとしては申し分ない。
「例え断ったとしてもブリックの不利になるようなことはしないってことだけは約束してもらってるから、自分の気持ちに正直に考えればいい。将来に関わることだしな」
俺はグラスに残ったエールを飲み干すと、金貨を百枚入れた麻袋をテーブルに置いた。
「これは積み荷の蜜蝋の代金と今回の報酬だ」
そして、呆然としているブリックに笑顔を向けた。
「一緒に働けて楽しかったよ。元気でな、ブリック」
クライ編は火・金曜連載です。
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