048.提案をあなたへ
「ようこそお出でくださいました。私、ルーベニマ商会ウォルタン支部で支部長を任されております、エリスと申します。以後、お見知りおきくださいませ」
これまで何度となく口にしてきたであろう口上を述べながら、エリス支店長が俺たちを歓迎してくれた。
もちろん、俺は先日顔合わせを済ませているので、自己紹介はルシュとブリックに向けてのものだ。
ルシュはビジネスパートナーだから当然として、今回はブリックも同行させていた。大商会との商談は彼にとって得難い経験となるという判断からだ。
「ルシュと申します。本日はお時間をいただきありがとうございます」
ルシュは卒なく挨拶を返し、差し出された手を軽く握る。
「ぼ、ぼ、僕は、いえ、私は、ブリックと申します。よ、よろしくお願いします」
一方のブリックはしどろもどろで噛みまくりだ。その姿に、就活を始めたばかりの頃の自分を思い出してしまう。
ブリックの立場からすればルーベニマ商会の支店長は雲の上の存在だろうから仕方がないとも思うが、とにかく一旦落ち着いてほしい。
「話には聞いていましたけど、ルシュさんは本当にお美しい方ですね」
「ありがとうございます。しかし、私などエリス支店長の足元にも及びませんわ」
ソファに腰を掛けるなり、女性陣が互いに誉め言葉を掛けあう。
俺のプネウマ視でもって見てもバチバチと火花が散っている——というわけではないので、単純に社交辞令というか、お決まりの挨拶なのだろうが、男の俺からすると女性同士のこういうやりとりにはハラハラしてしまう。
しかし、エリス支店長がルシュを綺麗だと評したのには、多分に本音が含まれているだろう。何と言っても今日のルシュはバッチリメイクの完全余所行きモードだ。
別に素のルシュの美しさを否定するわけではないが、メイクがそれを際立たせているというのもまた事実なのだ。
「早速ですが」
俺は美しい装飾を凝らした小さな木箱をテーブルに置いた。
「先日お話した商品のサンプルです」
「まあ、こちらが! クライさんにどんな物を見せていただけるのか、とても楽しみにしていましたの。開けてみても?」
俺が頷くと、エリス支店長は丁寧に木箱を持ち上げ、ゆっくりと蓋を開いた。
「これは……」
エリス支店長が手にしているのは、艶のある赤色をしたクレヨンのようなスティックだ。
「口紅ですよ」
「口紅? これが?」
俺が答えを告げると、エリス支店長は驚き半分、戸惑い半分といった複雑な表情を浮かべた。
実はこの世界にも口紅はある。
現に目の前にいるエリス支店長も口紅をしているし、街を歩けば数は少ないものの口紅をしている人を見かけることもある。
もうずいぶん昔のことのように感じるが、アーリムの街で一緒にピクニックに行ったときに、確かアイリスも口紅を付けていたと思う。
普段から化粧をするわけではないようだが、公式の場や、大事な場面、慶事や弔事などなど、理由は人それぞれだとしても、化粧をするという文化はこの世界に確かにあるのだ。
エリス支店長が驚いたのは、口紅そのものというよりも、その形状に対してだろう。
この世界の口紅は、江戸時代の小町紅のように、紅色の色料を小皿に塗り付けた物だ。それを小筆などで唇に塗って使うのだ。
街の商店にも並べられているとおり、小皿一つ分で金貨一枚とそれなりに高価な物ではあるが、富裕層だけではなく庶民にまで流通しているようだった。
「このようにして使うのですよ」
ルシュは懐から小箱を取り出すと、スティック状の口紅を手に取って、自らの唇に上塗りをした。
人前での化粧直しは褒められた行為ではないが、これは敢えて俺がルシュにお願いをしていたことだ。今日のルシュにはモデルと実演の役割を担ってもらうことにしていたのだ。
「そちらの口紅はエリス支店長への贈答の品です。よろしければお試しください」
「え、ええ……では、失礼して……」
俺に促されるまま、銀製の手鏡を手にしたエリス支店長は、見よう見まねで唇に口紅を当てた。
「とても滑らか……それに良い香りもしますわね……」
艶と潤いのある綺麗な赤に染まった自らの唇を、エリス支店長は手鏡で何度も何度も確認する。
「いかがでしょうか?」
「期待以上でしたわ……とても驚かされました」
口紅を試していたときは女性の顔だったが、俺に向き直ったエリス支店長はすっかりと商人の顔に戻っていた。
「こちらの商品の製造と販売を私どもにお任せいただけると?」
「はい」
「条件はどのようなものでしょう?」
「私たちはこれと同じ物をおよそ一万本作れるだけの材料を有しています。それを用いて製造から販売までを委託したいと考えています」
本当はもっと作れるだけの材料はあると思うが、きり良く一万本でいいだろう。余った材料は買い取ってもらえばいい。
「この一万本については、製造と販売にかかる費用についてはすべてルーベニマ商会様にご負担いただき、その上で、売上は全て私たちに帰属するものとさせていただきたいのです」
「え……!」
俺の突き付けた条件に思わず驚きの声を漏らしたのはブリックだった。
市井で流通している小皿の口紅ですら末端価格で金貨一枚もするのだ。スティック状の口紅はもう少し高い価格で売り出すことができるだろう。そうなると卸元であるルーベニマ商会の売上げは金貨一万を超えてくるかもしれない。
通常はここから経費を差し引いた額が利益となるのだが、俺の要求は『売上げだけを全て寄越せ』と言っているのである。無茶苦茶だ。ブリックが驚くのも無理からぬことだろう。
「それだけでよろしいのですの?」
ただ、先日の商談ですでに下話をしていただけあって、エリス支店長はその程度の条件はすでに織り込み済みだったようだ。
「はい。先日お話したとおり、代わりとして、口紅の製造方法を開示します。もちろん製造にあたっては技術指導もさせていただきます。そして、当初の一万本以降の口紅の製造と販売については、私は一切関知しないとお約束します」
「え……!」
再びブリックが驚きの声を漏らす。ブリックもこの商品が将来に亘って利益が見込めるだろうと判断していた。その利益の一切を放棄すると言ったのだから当然だ。
「いかがでしょう? 双方に利のある条件かと思いますが」
「ふふ、ご冗談を。その条件では私たちの利が大き過ぎるように思われますわ。本当にその条件でよろしいのですか?」
「ええ。エリス支店長がご納得いただけるのであれば」
「まあ、意地悪なことを仰るのね」
エリス支店長は脚を組みかえて、微笑みを浮かべた。
「大きな利を得るのは私共の方ですので、こちらから異を唱えるのは筋違いかもしれませんけど、これではあまりにもアンフェアな取引ですわ。そうなると、あまり外聞が良いものでもありませんの」
大商会と大商会の取引きであればそう問題となることではないが、これはいち行商人と大商会との間の取引きだ。立場の違いを利用して一方的に不利な条件で契約させたのではないか――ともすれば、そういうあらぬ疑いを生みかねないということか。
他所の商会が直接口を出してくる可能性は少ないだろうが、少なくとも商業組合からは説明を求められたりするかもしれないな。
エリス支店長に指摘されて初めてこのことに思い至ったわけだが、先ほどのエリス支店長の口ぶりでは、俺が当然そんなことぐらい把握していると思っているふしがある。買い被りってやつだ。
別に駆け引きをしようなどと思っていたわけではないし、できれば面倒ごとになるのは避けたいし――
「クライさん。私共の、いえ、私個人としての考えをお話させていただいてもよろしいですか?」
どうしたものかと俺が思い悩んでいると、それをもったいぶっていると捉えたのか、エリス支店長が機先を制するように口を開いた。
「私の試算では、生産体制を確立し、大陸全土に流通させれば、向こう十年での純利益は少なくとも金貨十万枚は見込めますわ。現在取り扱っている口紅の売上高から見てもそれは確実でしょう。もちろん十年目以降も年間利益が大きく下がることは想定されませんわ。それを考慮した上で、こちらからは三つの案をご提案させていただきますわ」
一つは、口紅の製造販売部門を設立し、ルーベニマ商会と俺で共同運営をすること。利益の配分は俺が二割五分、残りが商会だ。長期的に安定収入を得られるため、利益はこれが一番大きい。一見俺の取り分が小さいように見えるが、こちらは個人、相手は商会なので、俺の方が圧倒的に取り分は大きい。
二つ目は、向こう十年の口紅に関する営業利益の三割を俺の取り分とすること。十年と有限だが、売上額があがればその分利益は大きくなるし、何もせずとも金が得られるのが大きなメリットだと言える。
そして三つ目が、向こう十年で見込まれる純利益の四割、金貨四万枚で製造方法を含めたすべての情報と一切の権利をルーベニマ商会に譲渡すること。
当初俺が想定していたよりもはるかに破格の提案に、さすがの俺も唖然とするしかなかった。ブリックも口をあんぐりと開けて呆然としている。
ルシュだけは澄ました顔で紅茶を啜っているが、本当に金に興味がないのか、それとも単に肝が据わっているのか、本当に大した女だ。
「俺が決めてもいいか?」
俺は隣に座るルシュに小さく声をかける。ルシュはそれに小さく頷きを返した。
どの提案も魅力的ではあったが、結局のところ悩むまでもなく選択肢は一つしかないのだ。
「では三つ目の案でお願いいたします」
そもそも論だが、俺は元の世界に帰るつもりでいるので、長期に亘っての利益は必要ない。今、旅をするために、今、金が必要なのだ。
とは言え、金貨四万枚は多すぎるが……
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはこちらの方ですわ。クライさんとはこれからも良いお付き合いをしてまいりたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたしますわ」
礼を言って差し伸べた右手をエリス支店長がにこやかに握り返し、今回もどうにか無事に商談が成立したのだった。
クライ編は火・金曜連載です。
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