046.試作をあなたへ②
「アニキ、何をやってるんですか?」
俺がタライに溜まった水に意識を集中しているところで、ブリックが不思議そうに声をかけてきた。
「ふっふっふ、触ってみろよ」
顎をしゃくって俺が促すと、ブリックは恐る恐るタライの水に手を入れる。
「熱ッ! こ、これお湯じゃないですか!? 僕が出したのは水のはずですけど」
「俺が魔法でお湯にしたんだよ」
水分子をプネウマで振動させて発熱させることで水温を上げたのだ。
行商人は世を忍ぶ仮の姿、その真の姿は最強の魔術師――というわけではないが、俺の始原魔法はそれなりに上達していた。
魔法の練度が身の安全と旅の利便性に直結するため、日々欠かさず訓練をしているからだ。とは言っても、スマホでゲームをするような感覚でちょっとした空き時間にプネウマを集めたり飛ばしたりして遊んでいるだけなのだが、どうやらそれが功を奏したらしい。
その成果の一つが『始原魔法湯沸かし(ボイル)』だ。
「これがアニキの魔法……? 魔法を使ってたようには見えなかったんですけど……」
「ま、俺の魔法はちょっと特殊なんだよ。でも水を湯に変えるぐらいだったら水魔法でもできるだろ?」
「いえ、僕にはできません……というか、水魔法で水をお湯に変えられるなんて聞いたこともないですよ」
「へえ、そうなんだな」
原理的には水を操る水魔法で出来てもおかしくないはずなんだけど、もしかしたら効果を発現させるためには、『水分子を振動させて発熱させる』という概念が必要なのかもしれないな。
科学に関する知識が魔法の発現を助けるとう考え方が正しいのであれば、俺の始原魔法がいろいろと応用がきくものであることにも頷ける。
もっとも、科学的知識がなくても世の中にはいろいろな魔法が溢れかえっているわけなので、知識だけではなく、イメージ力や魔力多寡、得手不得手など、様々な要因が関わっているのだろう。
まあ、それはいいとして今は試作品作りだ。
ボウルをお湯に浮かべ、そこに蜜蝋と植物油を投入する。マドラーでかき混ぜながらしばらく湯煎し、蜜蝋が溶けて油と馴染んだところで、ブリックが持ち帰ってくれた青い顔料を加え、そこからさらにかき混ぜながら湯煎する。
正しい配合割合が分からないので全て目分量だ。商品として売りに出すには、ここから試行錯誤を重ねていくしかない。
「悪いけど、こっちのタライにも水を頼めるか?」
それに応えたブリックがタライに水を張り、再び俺はタライの水に意識を集中する。
今度の変化は見た目にも分かりやすく、ブリックだけでなくルシュも驚きに目を見張った。
「こ、氷じゃないですか、これ!?」
水をお湯にできるのであれば、水を氷にできるのも道理だ。さっきとは逆に、プネウマを使って水分子の運動を抑制してやればいいだけだ。
名付けて始原魔法『始原魔法凍結』
しかし、ブリックとルシュの驚きようを見ると、たぶんこれも水魔法ではできないのだろう。確かにここまでの旅で氷を目にしたことは一度もなかった。
ゆっくりと原理を解説してやりたいところだが、次の作業を急がなければならない。
青色のトロリとした液体を今日仕入れてきた金型へと流し込み、それを氷で冷やして固める。そして最後に金型から取り出せば――
「クレヨン~!」
未来からやってきた狸型ロボットの声真似をしてみたが、ブリックはぽかんと口を開けて、ルシュは冷ややかな目で俺を見るばかりだ。
ちょっと恥ずかしい……
俺は咳払いを一つ入れ、気を取り直して出来上がった試作品を二人に見せる。
「くれよん?」
青色をした短い棒切れをつまみ上げ、ルシュが首を傾げる。ブリックも興味津々といった感じで、色々な角度からクレヨンを見回している。
「そう、クレヨン。画材だよ」
俺はルシュからクレヨンを受け取ると、用意しておいた紙にさらさらと狸型ロボットの絵を描く。
「おお!」
「可愛い!」
ブリックとルシュが感嘆の声を上げる。ルシュの評価はちょっとずれているような気がするが……
「画材として使ってもいいし、文字を書くのに使ってもいい」
この世界の画材といえば木炭や油絵用の絵の具、筆記具といえば羽ペンだ。庶民、特に子どもが気楽に手にできるような画材や筆記具がないのだ。
その割に庶民の識字率が高いことには素直に感心するのだが、もっとも便利な筆記具があればいいのに、と常々思っていたのだった。本当は鉛筆を作りたいと思っていたのだが、今の俺の始原魔法では製造するのは困難だった。
そんなときに、ブリックと親父さんが言い争いをしているところにたまたま居合わせ、その中で蜜蝋のことを知ることで、クレヨン作りを思い立ったというわけだ。
「便利だし、使いやすいね! 子どもたちのお絵描きに使ったりもできそうだね!」
「ああ、メインターゲットは子どもだからな」
ルシュの弾む声に俺が相槌を打つ。
しかし、そこへ水を差すようにブリックが申し訳なさそうに口を挟んできた。
「確かに画期的な商品ですけど、これで儲けを出すのは難しいかもしれません……」
「えー、なんで? すごくいい物なのに?」
「良い物だからです」
「説明してもらえるかい?」
俺が促すと、ブリックは少しの逡巡を見せた後、自らの考えを述べ始めた。
「珍しい物を好む富裕層には確実に売れると思います。画家の中にも表現の幅を広げるために買い求める人たちがいるかもしれません。ただ、一般庶民が、それも、子どもが気楽に使える物かというと、それは少し違うような気がします。確かに蜜蝋も顔料も原材料としてはそう高い物ではりませんけど、新規性や希少性を考慮すれば、売り出しはかなりの価格になるでしょう。それだけこの商品が素晴らしいんですよ。しかし、そうなると庶民には手が出せません。そして、これが一番の問題なのですが……庶民の僕からすると、高い金を払ってまで欲しい物だとは思えないんです」
説明を終えたブリックは「すみません」と小さく言って肩を落とした。
せっかくの盛り上がりに冷や水を浴びせるようなことを言ったのを残念に思ったのだろう。しかし俺の感想はそうでない。
彼の言葉に小さな驚きを覚え、俺は笑顔でブリックの背中を叩いた。
「感心したよ、ブリック」
商品の本質と市場の評価も正確に捉えることができている。
これは本心からの賞賛だ。ちゃんとこういう考えが持てるというのに、なぜ的外れな仕入れをして親父さんに怒られていたのか不思議に思うほどだ。
「ブリックの指摘はもっともだよ。でも、これは今すぐに売れなくても別に構わないんだよ」
「どういうことですか?」
「新しい商品っていうのはさ、何だって最初は珍しくて高価な物なんだ。でも、その商品が本当に便利で役に立つ物であれば、やがては広く普及していくんだよ」
テレビも冷蔵庫も洗濯機も。車も携帯電話もパソコンも。最初はどれも一部の者だけが所有する高級品だったが、今ではどれも当たり前のように普及している。
「今は少なくとも富裕層に買ってもらえればいい。そこをクリアできればあとは広く浸透していくのを待つだけだ。これは将来への投資なんだよ」
「将来への投資、ですか……」
ブリックは顎に手をやって考え込んでいる。
安く仕入れて高く売る、というのが商売の本質だが、それが商売の全てではない。損をして得をとることも、将来に向けて種を蒔くことも商売だ。
素人の俺が語るのも変だが、俺はそう思っているし、ブリックにも賛同してもらいたいとまでは思わないが、こういうやり方もあるということは知っておいてほしい。
「でも、だったら今回は赤字になっちゃうんじゃない? 蜜蝋もすごくたくさん仕入れちゃってるし……」
「ああ、ルシュの心配ももっともだな。だから実を言うと今回の主力商品はこのクレヨンじゃないんだ。売れる商品は別に考えてある」
庶民曰く『あったら便利だけど高いならいらない』
なるほど、なるほど。だったら――
「高くても絶対欲しい――そう思える物を売り出したらいいんだよ」
クライ編は火・金曜連載です。
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