045.試作をあなたへ①
「おかえりなさい」
宿に帰ると、先に仕事を終えていたルシュとブリックが出迎えてくれた。
「ただいま」
「どうしたの、浮かない顔して? 上手くいかなかった?」
どことなく沈んだ声を心配してルシュが俺の顔を覗き込む。
「いいや、ちゃんと上手くいったよ。ただ、格の違いを思い知っていただけさ」
すべては俺の思惑どおり。そしてそれすなわちエリス支店長の思惑どおりだった。
取り立てて重要な交渉をしたわけでも、こちらが損をさせられたわけでもないが、先を見通す力、人を見る目、話術、交渉力、決断力――その全てにおいて相手が一枚も二枚も上回っていることを、ほんの短いやりとりの中で実感させられた。
もっとも、相手は海千山千の猛者で、こちらは駆け出しのペーペーなので対等に渡り合えると思っていたのがそもそもの思い上がりなのだが、今回はそれをまざまざと見せつけられる形となった。
「そういえば、お土産があるんだった」
しかしいつまでも気落ちしていられないと思い直した俺は、帰り際にエリス支店長から渡された包みをテーブルの上に置いた。
「開けていいの?」
「ああ。ルシュと一緒に食べてくれって言ってたから、たぶん食べ物だと思うぞ」
俺がそう説明すると、ルシュは「わーい!」と子どものように喜んで包みを開ける。
そうして出てきたのはクッキーだった。
「水の神に」
いただきますの代わりの感謝を簡単に済ませたルシュが、早速クッキーに齧りつく。
「これ――」
「どうした?」
「すごく、美味しい……」
一口齧るなり固まってしまったルシュに尋ねると、そんな答えが返ってきた。
「これ、すっごく美味しいから食べてみて」
「ではお一つ失礼して」
ルシュに促されてクッキーに手を伸ばしたブリックも一口齧るなり固まった。彼の目には薄っすらと涙さえ浮かんでいる。
「おいおい、いくら大商会の手土産が一流品だからって、それはさすがに大袈裟だろ」
そう言いつつクッキーを口に放り込んだ俺は驚愕の余り言葉を失った。
俺はこの味を知っている……これは――クッキーの味だ。
何を馬鹿なことを思われるかもしれないが、これは確かにクッキーの味だ。香ばしく少し硬い蜂蜜クッキーではなく、さくさくと軽い食感で溶けるような甘さ――それはミルククッキーの味だった。
「そうか、砂糖を使ったのか……」
ルーベニマ商会が砂糖を手にしたのはつい先日の話だ。それをこの短期間でここまで使いこなすとは……
おそらくこれは俺が訪ねてきたときのためにわざわざ準備していた物だろう。その目的は商会の力を誇示すること――いや、違うな。砂糖をすぐさま応用してみせることで、今後の展望を明らかにしてみせること。つまりは、砂糖を流通させるにあたっての俺の当初の目的を、ルーベニマ商会はきっちりと把握している、というメッセージだ。
いやあ、商人って本当に恐ろしいですね。友達になれって本当に良かった。
そんなことに考えをめぐらされているうちに、テーブルの上のクッキーは全て無くなっていた。
「イテッ!」
中指で弾いた小さなプネウマの塊が、両頬を膨らませてモグモグとやっているブリックの額を打つ。天誅だ。
だいたいお前は砂糖の件には全然関係ないんだから少しは遠慮しろってんだ。
「それで、そっちの首尾はどうなんだ?」
額を押さえながら涙目でキョロキョロと周囲を見回すブリックに報告を促すと、ブリックはモグモグしていた口いっぱいのクッキーを飲み込んで「上々です」と答えた。
「蜜蝋についてはアニキの見込みどおり余剰在庫を持て余していた商店が三店ほどあったので、仕入れ値の七掛けで話をつけてきました」
「へえ、仕入れ値の七掛けとはがんばったな」
「まあ、アニキに買ってもらう僕の在庫が八掛けですから、それより高いのは悔しいですからね」
俺が褒めるとブリックは嬉しそうに頭を掻いた。
商店側からしても来年の灯篭祭りの時期まで動く見込みのない在庫をいつまでも抱えるよりは、多少の損を出しても流動性を確保したいところだろうし、そういう意味ではもう少し買い叩くこともできたかもしれないが、互いの利益を尊重するのであればちょうどいい落としどころかもしれない。
「量は?」
「大袋で千袋弱といったところです。全部買い取るって話してきましたけどよかったんですよね?」
「ああ。問題ないよ」
千袋だとかなり余りが出るかもしれないな。まあ、それも織り込み済みで、全量買い上げてくるように指示していたんだけどね。
「顔料の方はどうだい?」
「知り合いの陶芸店に頼んで、顔料を扱う商店に顔をつないでもらいました。灯篭祭りが終わったら商談に伺いたいと伝えて、了承をもらってます。それから――」
そう言いながらブリックは、さっきまでクッキーが載っていたテーブルに小瓶をいくつか置いた。
「サンプルをいくつかもらってきました。商談前にアニキにも見ておいてもらおうと思って」
「おお! ありがとう。気が利くじゃないか」
結論。ブリックはちゃんと優秀だ。
今日一日だけでこれだけの数の交渉をこなし、そのすべてで話を上手くまとめている。何なら俺よりもはるかにデキる奴だと言ってもいい。
ここに知識と経験が備われば、彼の親父さんが期待する以上の大商人に成長するかもしれないな。
「完璧だよ、ブリック。ルシュも。ありがとう」
俺の労いに照れたように頭を掻く二人。
これだけ働いてくれたなら、クッキーを食い尽くしたことは水に流そうじゃないか。
「ねえ、クライ。これだけ色々集めて何をするの?」
「当然気になるよな。材料も揃ったことだし、種明かしをしようか」
大量生産に向けてレシピを確立しておく必要もあし、せっかくなら実験を兼ねたサンプル作りを二人にも見ておいてもらおう。
「あ、あの、アニキ。それは僕も見せてもらっていいものなんですか?」
「もちろんさ。今はチームでやってるんだからな」
元の世界の知識やアイデアをこちらに持ち込んで商売する上で、その利益を独占しないというのは自分自身に科したルールだ。
最初の利益は頂くが、その後は、誰かが真似をして、ブラッシュアップをして、この世界に馴染むものにしていってくれたらいい。
おっと、そうだった。その前に言っておかなければならないことがる。
「ただし、一つだけ約束してほしい」
「な、何でしょう……?」
いつにない俺の真剣な眼差しに、ブリックは息を飲む。
「これからの商品作りの過程で、俺は魔法を使う」
「ア、アニキが魔法ですか?」
ブリックの視線が俺の髪へと移る。黒髪は魔法が使えないというのが常識だからそれも仕方のないことだろう。
「俺が魔法を使えること、これからここで目にする魔法のことを絶対に口外しないでほしい。いいかな?」
「わかりました。約束します」
真面目な顔で頷いたブリックに俺も頷き返す。
口約束も立派な契約だ。商人が契約を違えることはないと信じよう。まあ、相手がブリックだし、あんまり心配はしてないんだけどね。
「よし。それじゃあ早速始めようか」
金属製のボウルをいくつかと大きめのタライ二つを部屋に持ち込むと、試作品の作成を開始することにした。
「ブリック、このタライに水を頼む。半分ぐらいでいいから」
「了解です」
ブリックは答えると同時にタライに向けて手をかざす。
人が魔法を使うところをゆっくりと見る機会はなかなかないので、俺はここぞとばかりにその様子をつぶさに観察する。
キラキラとしたプネウマが集まってきて一つの塊となり、即座にそれは水へと姿を変えてタライの中へと落ちていく。
こうしてよくよく観察してみると、水魔法によってプネウマが水という物質に変換されていることがよくわかる。
俺の始原魔法は、無から水を生むことはできない。プネウマを操ることはできても、プネウマを別の物質や現象に変換することができないからだ。
空中に漂う水分子を、プネウマを使って掻き集めることはできるかもしれないが、やってみようとはとても思わない。すごく疲れることは目に見えている上に、集められる水はせいぜい小さじ一杯分が関の山だろう。
正直、『加護』の力が羨ましい。
しかし、工夫次第で始原魔法にもできることはいくらでもあるのだ。
クライ編は火・金曜連載です。
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