2話 二人の決意
手紙を持って部屋に来たのは昨日までの執事ではなく、軍服を纏った栗毛の女性だった。
「初めまして、ルカ。ディフェリア嬢の側仕えをしているダイアナだ。まずはこの手紙を読まれたい」
ダイアナは雑にソファに腰を下ろすと、手紙を机に置いた。内容を要約するとこうだ。
『ルカの身柄について、私がお父様と(勝手に)交渉しました。内容はこの短い拘束期間でルカの危険性が低いことを納得してもらい、信頼関係を築いていくことで敵対する恐れを無くそうといったものです。ということで、明日から私の側仕えとして働いてもらいます。正直、私がルカに引けを取るなどあり得ないので。それとルカの分もアナトリア学園への同伴手続きは済ませてありますよ。詳細はまた後日、では良い一日を』
「あの……勝手に話をすすめられているんですけど?」
「ん? よかったじゃないか、ディフェリア嬢は一見冷たいが、仲良くなると面白い方だぞ」
どうやら自由はないらしい。俺には特に身寄りがなく、街中で点々と仕事をしているだけなのは把握済みということか。
一週間前なら素直に喜べることだったのだが、ディフェリア様には振り回されそうな上に、ちょっと悪い噂も聞いてしまった。さすがにそれをフェルランド家の関係者に聞くわけにもいかない。
社交パーティーの時、あの人が入れ変わったようなぐらいに豹変したディフェリア様は、俺が名前を教えるより先に正気に戻った。ひどく顔を赤らめ、颯爽とその場を去っていった。だから、一言も言葉を交わしていない。まあ噂は噂なのだから、本人と実際に話してみて探ろうと思う。
「ところで、さっきダイアナさんが側仕えをしていると言ってましたよね? わたしは主に何をするんですか?」
「ああ、そのことだけど、私はしばらく不在の身になるため、ディフェリア嬢の身の回りの世話はルカがすることになる。不在の理由は秘密だ」
これまで下働きをしてきたことなんてないぞ? いいのか、素人で。
「あまり気負うことはないさ。出来ることといっても話し相手になったり、訓練のサポートをしたり、資料を運んできたりとか。ああそうか……ルカはお嬢に触れられるんだったな。案外着替えを手伝わされたりしてな!」
「いやー、喜んで手伝いますけどね」
真顔で脛を蹴られた。靴先が堅いから物凄く痛い。
でも社交パーティーでの経験を元にすれば、ディフェリア様はやりかねないな。靴下を脱がすのを手伝ったり、髪を乾かすことだって俺は出来てしまう。素晴らしいじゃないか。
もし彼女のお父様に知れ渡ったら、間違いなく殺されるだろうなとか考えつつ、それ以上に思うことがある。
「冗談じゃないですよ……ずっと一緒に過ごしてきた娘が目の前にいるのに触れられなくて、ぽっと出の見知らぬ男だけが抱きしめてやれる。そんなの……悔しくて苦しくて仕方ないでしょう」
ディフェリア様の家族だけじゃない、ダイアナにもきっと当てはまるだろう。
「ほう……そこまで理解していたのか、感心だな。誰も口に出すことはないだろうが、内心思うことがあるのは否定しない。ただ一つ付け足すとすれば――」
ダイアナは言葉を切って目線を逸らした。言うかどうか迷っているように見えた。しばらくの沈黙が流れた後、彼女は言った。
「――ディフェリア嬢がどれほど強かろうと、心は年相応の乙女さ。人肌が恋しくて仕方ないことも、考慮してやってくれ」
「考え込むほどに、ディフェリア様は茨の道を歩いてきたのかもしれない。
「まあルカも年頃の男だからな、思うところはあれど興奮するだろう?」
ダイアナは高らかに笑っているけれど、中々の問題発言では? まあ……否定はしないさ。
♢♢♢
ドアのノックに応えると、ディフェリア様が緊張した面持ちで入ってきた。暖色の灯りに照らされ輝く金髪を大きな赤いリボンで一つ括りにしている。派手にドレスアップした姿も美しいけれど、落ち着いた柄の機能服という姿も魅力的だった。
「久しぶりね、ルカ。本来あなたの立場を考えると、許可を取る必要なんて全くないとは思うんだけど――」
ディフェリア様が言い切るより先に俺に向かって飛び込んできた。
「許可はいるでしょうよ!」と叫びながら躱す。それにフェルランド家の別荘であっても、絶対にイチャイチャするのはまずい。この空間にどんな仕掛けが施されていてもおかしくはないだろうし。
「あーん、逃げないでよ」と呟くディフェリア様にこう言わずにはいられなかった。
「……ずいぶんとキャラが違いますね」
「……別に普通よ? ルカの勝手な先入観でしょう。社交パーティーの時は大勢の前で取り乱したことが恥ずかしかっただけで、素を曝け出したことを恥じたわけではなくってよ?」
自慢げに胸を張って、顔に垂れた髪を後ろに追いやるディフェリア様。冷血の姫だとか死神だとか、物騒なあだ名の噂があるけれど、目の前に立つ彼女は変人の雰囲気を漂わせていた。
「ディフェリア様が普通と仰るなら……わたしが慣れますよ」
そう言うと、ディフェリア様はきょとんとした表情になった。
「何よルカ~。そんな堅苦しい喋り方じゃなくて、気楽に話なさいよ」
それなら、ダイアナみたいな感じでいいのか。前例があるとすごくやりやすい。
「じゃあ、お嬢――」と言うと、少し嬉しそうにしてくれた。ダイアナとは仲が良さそうだったから気に入っているのだろう。
「――本題に入ろう」
「ええ、そうね。何をするかはダイアナから聞いたでしょう。それに加えてルカにはしてもらいたいことがあるわ」
「着替えでも手伝えばいいのか?」
「バカ、そんな訳がないでしょう」と真顔で足を蹴られる。ダイアナと違って容赦ない一撃に足を抱え込むも、彼女は気にせず話し続ける。
「ルカには私と同じぐらい強くなって貰いたいの」
「……なぜ?」
俺は生まれてから一度も強さを求めたことなどなかった。だから、体の使い方も分からなければ、魔法の才能があるのかさえもよく分からない。
「だってその……もしも私の身に危険が迫った時……頼りたいじゃない?」ともじもじするディフェリア。
「でもお嬢って触れられないから、襲われようがないだろう」
「ゔうん、鳥のさえずりが心地いいわね。あらルカ、何か言ったかしら?」
「いや……」
うん、こいつ、めんどくさいお嬢様だな。
「そう? それでね、私ってすごく怖がりなのよ。そんなときに身を預けられる側仕えがいたら、すごく心強いと思わない?」
「でも、お嬢……昨年辺境に現れたシャドウを単独撃退したって話じゃないか」
ディフェリアの眉がピクリと跳ねる。それから駄々をこねるみたいに足先を上下に暴れさせた。
「ねえ、ルカぁ! 現実を突きつけないでくれる!?」
「痛てえ、クッションを投げるな! 埃が舞うだろう」
「社交パーティーの時、私に触れられる運命の王子様がとうとう現れたんだとすごく舞い上がったの! それがルカのことを調べ上げて、あらビックリ! なんの能もない木偶の坊じゃない!」
「はあ~? そこまで言うかよ!? いいぜお嬢、そろそろ腹を割って話そうじゃねえか。今後、いいお付き合いをしていくためにもな」
「何でも答えてあげるわよ。ただし、ルカの置かれる状況が私の裁量で決まることは自覚されていて?」
確かにその通りだが、俺がディフェリアに唯一触れられるという事実が身の安全性を保障してくれるはずだ。お嬢の強すぎる透過魔法の解明の糸口になるかもしれないから。つまり、脅しは気にせず、ここで聞きたいこと全部聞いてやる。
「もちろん、じゃあさっそく質問だ。スメラギ・レイジに婚約破棄されてましたけど、今の心境はどうですかぁ?」
そう告げた瞬間、ディフェリアの姿が視界から消えた。フッと背後に気配を感じると、容赦なく羽交い締めをされた。
「最ッ高の気分よ。あんな奴こっちから願い下げ! 女が原因で身を滅ぼすのが堕ちね」
しばらくの間、ディフェリアと格闘をした末に、彼女の手が緩められた。
「ハァ、ハァ……お嬢、体術も出来るのか……」
ソファに腰かけ息を上げているところで、さりげなくディフェリアが膝上に座ってくる。華やかで柑橘の爽やかな香りを直に感じられるのは嬉しい。だけど、機能服の腰ポケットに詰め込まれた小物が腹に刺さってすごく痛い。ディフェリアは全く気付いてくれない。ふとダイアナに言われた言葉を思い出し、とりあえず振り落とすのは止めておくことにした。
「……レイジは私の幼馴染なの。お互いをライバル視して、日々魔法や剣術の研鑽を積んできたわ。11歳の時、原因は分からなかったけど、代々継がれてきた透過魔法が私の中で変化を起こした。拮抗していた力が私に大きく傾いたことで、レイジとは疎遠になっていった気がするの」
ディフェリアが冷めているであろう紅茶を一口啜る。お嬢は続きを話す前に、後頭部を胸に預けてきた。
「14歳の時……彼の家に大きな借りが出来た。婚姻の話が進んだのはその時じゃないかしら。親が勝手に進めたから、詳しいことは知らないわ」
借りが何なのかは言ってくれない。とりあえず、スメラギの話はこれぐらいでいいだろう。そろそろディフェリア自身のことを知りたい。
「お嬢がさっき言った通り、俺には何の力もありません。ずっと余裕のない生活を送ってきたから、側仕えの件も断る理由がありません」
「そういえばルカの口から聞いてなかったわね。受けて当然かと思っていたもの」
うーん、ほんとにそこまでの根拠が出るほど根掘り葉掘り調べ上げたのか? どこからその自信が湧いてくるんだ。「やっぱ辞めます」の一言なんか簡単に言えるんだぞ、こら。
「……だけど、仕える主人のことを知る権利くらいあるだろう? ディフェリア・フェルランド、あなたはこの世界で何を成し遂げるつもりなんだ?」
膝に座っていたディフェリアが立ち上がり、まじまじと俺を見据える。その翡翠の瞳には強い意思が宿っていて、一切の陰りがない。きっとこの瞳が、夜明けの訪れない世界に差し込む一筋の光となっていて、人々の心に希望を与えるのだろう。なぜかそう確信した。
それからディフェリアは自信に満ちた声で言った。
「私の瞳に何がみえたかしら? ルカならもう分かるでしょう……私はもっと世界を広げたい! そこに私のすべてを掛けるわ」
「……この都市に帰って来れないとしても?」
しばしの沈黙。でも、ディフェリアは力強く頷いた。
「……そうか」
それなら俺がするべきことは明確だ。フェルランド家の者達にとって、ディフェリアは半分存在しないようなもの。だから本当の意味で家族の元に帰すために、俺は強くなろう。ディフェリアを守る強さを手に入れる。そう決めた。