プロローグ 社交パーティー
「ディフェリア! 今ここで宣言させてもらおう!」
「スメラギ様、生徒が談笑する場でどのようなご用件でしょう?」
何か面白い会話が始まったな。
令嬢であるディフェリア様は至って冷静を装っているが、その婚約者のスメラギ・レイジは随分とお怒りだ。
「お前との婚約は破棄することが決定した!」
「……理由を伺っても?」
「ふん、相変わらずつまらねえ反応だな……まあいいだろう。今この城塞都市に必要なのは長きに渡って約束された平和だ。その実現に相応しいパートナーがお前ではなかっただけのこと」
「スメラギ様……あなたは馬鹿でいらっしゃいますか? シャドウが存在する限り、この城塞都市に平和が訪れることなどありえませんよ」
「ふん、都市全体を常に見てきた俺だけが理解できているのだよ。お前はこれからも辺境でシャドウ狩りをすることだな。それに……」
それに? まだあるのか。既にディフェリア様は内心ズタズタかもしれないんだぞ。これ以上は辞めてやれ、そう言うか。言うのか⁉ この城塞都市の特層部の人間に向かって。しかし、俺が声を張る前にレイジが叫んだ。
「触れられない女なんかと生涯を共に出来るかあああ!!」
もっともだああ!! そう、ディフェリア様の魔法である『透過』は代々継承されてきた力の中でも有名だ。魔法の力が彼女の代で開花したのか、ただ制御が出来ないのかは定かでないが、とにかく誰も触れられない。この都市にいる限り。
人工太陽に引けを取らない輝きを放つ金髪に青い瞳、ガーターベルトの隙間から見えるもちもちの生足をただ拝むだけ。レイジも生殺しを食らう日々に悶々としたわけだ。男児が総じて頷かざるを得ない、素晴らしい心の叫びだった。
ディフェリア様の魔法についての噂は学園でよく飛び交っている。そもそも、魔法の力はこの世界を照らす人工太陽から得られたエネルギーを元にしている。人工太陽の光がシャドウの出現を抑制し、我々人類に戦う力を与えてくれているわけだ。光は建物の暗がりにも微量に届くわけで、魔法が使えない場所は無いと言って問題ないだろう。つまり、この城塞都市でディフェリア様は無敵でありながらも、一生孤独ということになる。
どうやらディフェリア様は同情されたり、好奇の眼差しを向けられているようだ。そして、彼女も痺れを切らしてしまった。
「お好きにどうぞ! あなたと共にあるよりも、影の世界でこの身を散らす方がよっぽど誉れ高いわよ!」
レイジは何かを言い返すつもりだったようだが、ディフェリア様が聞く耳を持たない様子を見届けると、お淑やかな見た目の女性と共に部屋を出ていった。そして、ディフェリア様はこちらに向かってやって来る。後ろには学園の玄関口に繋がる扉があるからだ。
「ちょっとあなた……」
ディフェリア様が俺に言った。
「いくらぶつからないからって、道を開けないのは不敬でなくって?」
「あ……大変失礼しました! 余りの美しさに思わず、見惚れてしまって……」
「そう、ありがとう……でもご生憎様、傷心した乙女の心などありません。自分で何とかしてきましたので。これまでも、そしてこれからも」
ディフェリア様がわざわざ淑女のお辞儀をしたのも束の間、俺が相変わらず突っ立っていると払い除ける仕草をした。瞬間、弾けるような痛みが腕に走った。静電気だった。
彼女も驚いたように両手を胸に置いている。あれ、もしかしたら奇跡起きないかなあっていう意図で腑抜けた態度でいたけど……まじか、マジなのか!?
いや待て、落ち着くんだ俺。まだ確実に触れたという事実はない。静電気は起こるという新発見で事態が落ち着く可能性もある。冷静に、ディフェリア様の表情を読み解く。
ぷっくりとした柔らかそうな唇が力んでいるせいか僅かに震えている。彼女の頬も手も心なしか赤い。うん、これは占めたな。
いや待て待て取り乱すな、俺。ディフェリア様が触れられた自覚があって、内心怒りを溜めている最中かもしれない。何故か悪寒もしてきた。これはそう、影の世界の暗闇を近くで眺めていた時と同じような感覚だ。ディフェリア様は影の世界に踏み入れたことがあるお方、まさか戦闘態勢に入ったというのか? あ、俺終わったかも。
彼女は覚悟を決めたらしく、目つきが冷たいものに変わった気がした。俺は今日、死神様に殺される。まあでも、ひっそりとシャドウに食われて死ぬよりずっといいか。ぎゅっと目を瞑り、恐る恐る開くと天井が見える。何か温かいものに包まれているようで、さらに上品な花の匂いが鼻腔をくすぐる。
仰向けのまま少し頭を起こすと、ディフェリア様が抱きついているではないか。とろりとした眼差しを向けるディフェリア様は囁く。
「王子様……あなたのお名前は?」
頭を打ったせいなのか、彼女の目がハートに見えて仕方がない。肌と肌の感触を楽しむように俺の頬を手で包む。掴んだ獲物を離すまいと豊満な胸で圧迫されている。
気が狂いそうで意識を保つのがやっとだった。
これはまだ入学式が始まる前、15歳を迎える少年少女を集めた社交パーティーでの出来事だった。