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物語を味覚化する技術が開発されました

 「この小説、甘い。甘いわー」

 と、情報端末から伸びるプラグを脳に差し込んだままの状態で木原さんがそう言う。学校の昼休みの事だ。

 「そんな甘い小説、面白くないのじゃない?」

 半ば呆れて僕はそう言ってみる。

 彼女はそれを無視した。

 断っておくけど、彼女は小説を読んでいる訳じゃない。“味わっている”だけだ。多分、読むつもりはないと思う。

 同じじゃないか! と、これを読んでツッコミを入れている人もいるかもしれないけど、これが同じじゃないんだな。

 何故なら彼女は、物語を味覚化する技術によって、物語を知覚しているのだから。

 

 イラストや音楽、多分、漫画もある程度はそうだと思うのだけど、鑑賞するのにあまり時間はかからないし、ほぼ直感的にそれらを楽しむ事ができる。ところが、文章で書かれた物語はその限りではなく、読んで理解して考えなければ本気で楽しむ事はできない。

 これは少しばかり不便な話で、実際に読んでみないと楽しめるかどうかが分からないから、読んでみる作品を決めるのに世間の評価に依存する割合が高くなってしまう。厄介な事に、最後の最後のほんの数ページの大どんでん返しで(場合によっては数行!)評価が大きく変わる作品なんてものもあるから、試し読みでの判断も危険だし。

 ところが、そんな不便な読書事情にあえぐ僕ら人類が暮らすこの社会に、ある時、革新的な技術が誕生したのだった。

 なんと、AIが物語の内容を読み込み、その情報をプラグを通して脳に送り込む事で、味覚として知覚できるようになったのである!

 その味がどんな風に感じられるかは、個々人の脳に因り、万人で同じ味にはならないから客観性があるとは言い難いのだけど、それを言ったら元からそうだろう。物語に、否、読書体験に客観性なんてない。

 因みに、AIから物語の情報をそのまま脳に送り込むのじゃ、読書体験とは言い難かったようだ。何の感動もなく、ただただ内容を理解するっていうのは、やっぱり読書とは違うものであるらしい。味覚化以外にも視覚化や聴覚化も試みられたようだけど、どうにも具合が悪かったらしい。物語と味覚は親和性が高いという事なのかもしれない。

 

 この技術は急速に普及をし、これによってそれまでよりも適切に皆は物語を評価できるようになっていった。

 以前は、信じられないような低クオリティの作品が何故か小説投稿サイトで高い評価を受けて商業作品として売りに出されるなんて事が起こっていたのだけど、この技術が普及して以降はなくなった。

 ただ、それならばこの技術が物語のクオリティを高めるのに貢献しているのかと言えば、必ずしもそうとは言えないと僕は思っているのだけど。

 

 「ねぇ、そんな目的で小説を利用するのはやっぱり僕は間違っていると思うんだ」

 

 木原さんが「甘い、甘い」と連呼しながら小説を味わっている姿を見ながら、僕は彼女にそう言ってみた。

 その僕の忠告に彼女はやや不機嫌そうな顔を見せる。

 「何よ、わたしがどう物語を利用しようがわたしの勝手でしょう?」

 「勝手かなぁ?」と、それに僕。

 「勝手よ」と、ふてくされた顔で彼女。ただ一瞬で機嫌を直すと「それじゃ、次の作品を味わいますか! イチゴ味とかだったらいいなぁ」と他の作品を物色し始めた。

 彼女は読んでもいないのに、自分が“甘い”と感じた作品に高評価を入れているようだった。

 実は彼女は昼食を食べていない。お茶か何かは飲んでいたようだけど、それだけだ。今、彼女はダイエットをしているのだ。

 ……完全に間違ったタイプのダイエットだけど。

 そして彼女は、ほとんど食べない代わりに物語を試食して満足をしようとしているのだ。

 「おっ! “私はクレープの味を感じました”だって。今度はこれね」

 そう言って彼女はまた別の作品を味わい始めた……

 

 この技術が普及すると、当然ながら、作品の“味”にこだわって執筆をする人が増えた。

 甘いだけの恋愛もの、主人公がまったく苦労をしない“食べやすい”物語、濃厚な濡れ場のあるこってりとした作品…… でも、ただそれだけ。

 正直、僕はそういう単純な作品はあまり良いとは思えないのだけど(人生での苦悩を描いた苦みの利いた作品や、様々な価値観が味わえる複雑な作品が好きだから)、そういう作品は人気なようだった。

 そして、その理由の一つは、木原さんのように味だけを目的にして物語を評価する人がいるからだった。

 果たして、そのようなシンプルな味の作品が流行る事が、小説にとって良い事なのかどうか僕には分からなかった。

 できれば、そんな理由で作品を評価するのは止めて欲しい……

 ただ、彼女に忠告をした理由はそれだけじゃなかったのだけど。

 

 「――ねぇ、木原さん。君のやっている事は、やっぱりとんでもなく不健康だと僕は思うんだ」

 

 そう僕は彼女に忠告をした。けど、彼女は無視を決め込んでいるようだった。「ん~ 甘酸っぱくて美味しい」などと彼女は相変わらずに物語を味わっている。

 “どうなっても知らないぞ~”と、僕は思った。

 

 それから一週間ほどが過ぎた。

 昼食を食べる代わりに物語を試食する生活をし続けている木原さんの外見は明らかに不健康な様子になっていた。

 “やっぱり、問題だよね”と、それを見て僕は思った。そして、彼女も同じ様に問題を感じているようだった。

 がしかし、彼女の“問題を感じている”ベクトルは、どうも僕とは異なっているようだった。

 

 「なんで、体重が減らないのよ!」

 

 彼女はそう苦悩していたのだ。

 「あー やっぱりね」とそれに僕。そう言った僕の顔を彼女は睨みつけるように見た。

 「何よ“やっぱりね”って?」

 「人工甘味料って知っている? カロリーゼロの食品。開発された当初は、ダイエットに効果的って言われていたのだけど、実は太るらしいんだ。

 甘味を感じるのに、糖質は一切吸収できないってのはやっぱり人間の身体に色々と悪影響を与えるらしくて、身体のバランス機能がおかしくなる事によってそーいう事が起こるみたい。太り易い体質になっちゃうのだね。あとは腸内細菌と免疫系の連携が混乱してしまったりね。腎臓とか内臓も病気になり易くなるって聞いた事があるよ…… 

 物語から感じる“甘さ”も似たような問題があるのじゃないかと少し僕は心配していたのだけど、予想通りだったみたい」

 僕の説明を聞き終えると、木原さんは怒った。

 「知っていたなら、教えてよ!」

 「だから、何度も忠告したじゃない……」

 憤慨した彼女は、手のひら返しで、甘いだけの恋愛ものなどの“美味しいだけ”の物語を書いている作家への抗議を書き始めた。気持ちは分からないでもないけど、なんだかなーとは思う……

 

 ――ただ、その頃になると、彼女と似たような問題は他でも起こるようになっていたのだった。つまり、彼女だけじゃなく、そういった作家に対する批判はどうやら世間的にも起こっているようなのだ。

 それに対する作家の反応は、「自分達は、ただ読者の求めるものを提供しているだけ」というものだった。

 どうも、「悪いのは読者だ。自分達に責任はない」と言いたいらしい。

 当然ながら、その無責任な主張には怒りの声が上がった。作者が作品に対して責任を負わないというのなら、一体、誰が責任を負うんだ?!

 

 「麻薬を育てるのは法律で禁止されています。もちろん、需要がある…… つまり消費者が求めるから栽培するのでしょう。しかし、“消費者が求めるから提供しているだけ”などと言ってもなんら罪は免除されません。

 それは製造元にも責任を負わせる事が、社会的に有効だからです。この考えは、物語にも…… 小説にも当てはまるのではないでしょうか?」

 

 ある人は、そんな作家達の無責任な主張に対して、そんな事を言った。作家達は、それに何も応えなかった。

 

 一体、何を思っているのだろう?

 

 もし仮にあなたが作家だったなら、果たしてどんな小説を書きたい? ただ楽しいだけの味わったら心身が害されるような麻薬か。それとも人の成長に繋がるような心に訴えかける物語か。

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