天智と天武
更新のペースを上げます。火曜日以外の週六日とさせて頂きますので、よろしくお願いします
やっと廻ってきた。
「僕のは男系の思想が日本に入ってきた時期を考察したものです」
「麦原さんよりはまともだが核心に触れる内容ではなさそうだな。香取さんが怒鳴られた後に次長が確認していたようだが、よく通してもらえたな」
この男は皮肉を交えないと会話ができないらしい。大水と社長に説明した内容を披露した。
「ふむ」
少し考え込む「卑弥呼やアマテラスを考えればその発想が出てきてもおかしくはないが憶測にすぎないのではないか」
「羽黒さんは天皇の職務の中で何が一番大事なものであるか知っていますか」
「そんなこと考えたこともない。時間の無駄だから早く言ってくれ」
「はい。それは日本国民を代表して祭祀を行うことです。最高神であるアマテラスは伊勢神宮に在りますが都からは遠いため天皇は祭祀のみを専門で行う斎王という女性神官を任命することができました。しかしそれを男性天皇は使っていたのですが女性天皇は指名してなかったのです」
「なぜだ」
「男性は祭祀を行うのに不適格だから、という考えです」
「銀山が考えたのか」
顔に出ていたのだろうか。
「女帝論自体はいくつか本が出ています。僕自身は大学の先輩の論文で知りました」
じっと目を見てくる。思わず視線を外してしまった。
「女か。憧れの先輩といったところだろう」
「会ったことはありませんが」
「空想上の女神だな」
いい表現だと思ったが言葉にすると恥ずかしい。
「あまり突っ込まないで下さい」
「まあそれはいいとして」
笑いを消す「つまり天皇というか祭祀は元々女性の仕事だった。当然継承も女系で行われていた。しかしどこからか男系の思想が入ってくる。自国の王位継承が正当のものであることを対外的に知らしめる目的もあり、男系継承を記した記紀神話が作られた。というわけか」
「すごいですね。瞬時にそこまでは読めないと思いますが」
「そんなことはどうでもいい。その思想が日本に入ったのはいつだ」
「崩御まで職務をまっとうした推古以前は考えられません。ピンポイントで推測するのは難しいのですが推古の末期から天智の即位までと考えていいと思います」
「天智以前とした理由は」
「二つ理由があります。一つ目に天智は大兄皇子であった期間が長く適齢と考えられる年齢になっても即位しませんでした。二つ目は天智や天武には墓が残っているのです」
「仁徳天皇陵とかあるんじゃないのか」
「すべて憶測です。誰の墓かはっきり分かっているのは天智以降しかありません」
「しかし推古から天智までの間にも男性はいたのだろう」
「政治を行った男性はもちろんいたと思います。しかし推古天皇を丸ごと他の男性に置き換えることはできなかったから古事記には登場させました。皇極以降の女性天皇は惰性で残ったものと本当の意味での中継ぎのどちらかです。後世になるほど中継ぎの意味合いが強くなると考えています」
「なぜ推古は男に置き換えなかったんだ」
「それを知ってる人がたくさんいたからでしょう。記紀を出してもすぐに嘘だと分かってしまいます。そんな噂が同時に広まれば改めて作ることになります」
「ふむ」
納得はしてもらえたようだ「それで思想を持ち込んだのは」
「それは分かりません。しかし国内に展開したのは蘇我氏と見て間違いないでしょう。それを証明するのが乙巳の変です」
「いっしのへん、て何だ」
「大化の改新と言った方が分かりやすいかもしれませんが、天智天皇になる前の中大兄皇子が蘇我入鹿を暗殺した事件のことです。男系を主導した蘇我氏は継承のことを誰よりも知っていた。天皇家は女系から男系へ変化したことが分かる資料を廃棄する際、人についても同じように行った。だから殺されたのです」
「政策の違いが原因だったと記憶しているが」
「いえ、むしろ入鹿と中大兄皇子は同一路線と言われていたんです。それであえて暗殺したのは、もっと重要な理由があったと考えるべきでしょう」
「そして天智の後を継いだ天武が正史を作ることによって歴史を書き換えたというわけか」
「形の上ではそうなっていますが影で糸を引いていた人物がいます」
「影だと。中臣氏か」
乙巳の変で天智と共に行動した豪族だからそう推測してもおかしくはない。
「いえ持統天皇です。男系が正当の流れであると知り息子の草壁皇子をどうしても天皇にしたかった。実の弟である大友皇子を天武に殺害させて草壁の異母兄弟である大津皇子を謀反の理由で処罰したのも、すべては息子を天皇として即位させるためのものです。しかしここで困ったことが発覚しました。天武は天智の弟とされていますが記紀では年齢不詳とされ皇極の前夫である高向王の子ではなかとされています。おそらく持統は草壁皇子を生んでからこの事実を知ったのでしょう」
「高向王って誰だ」
「用明天皇の孫にあたる人物で男系としてはつながっているのですが、天智からは離れすぎているため継承順位はかなり下位であったと思われます。天武はむしろその地位に甘んじていたのですが持統にはそれが我慢できなかったのです」
「つまり子の草壁を天皇にするためにまず天武を天皇にして次に歴史を書き換える必要があったというわけだな」
「それだけではありません。天武の出生が明るみに出た場合の対策も取ったのです。それが継体天皇です」
「何を捏造したんだ」
「二十五代天皇の武烈が子を残さずに崩御したため豪族たちは血統をたどり越前で継体を確保します。これは武烈から十親等離れての即位でした。この十親等というのが後世天皇継承における限度とされるのですが天武の出生が明るみに出たとしても草壁は天智天皇から九親等となり、他に候補がいない場合は世継ぎとして認められます。また自分が天皇として即位したのも息子が適齢期になるのを待つためでしたがその草壁皇子も早世してしまいます。しかし持統が我が子を天皇にするために創り上げた律令は引き継がれて草壁の息子は文武天皇になります。これは一親等代下がって十親等になります。武烈から継体はこれを承認するためのものだったのでしょう。その後天皇の継承は天智系に戻されますが、男系男子を崩すことなく進んでいき現代に至ります」
「なるほど。そこまで考察してあれば社長を納得させるのに使えるな。特にその数字だ。理論的説明は専門用語、特に英語を使って説明すればいいと思われ勝ちだが理系の者を説得するなら百の言葉より一つの数字が効く。しかし記紀が信用できないとすると何を信じればいい」
「信じられないのは天皇の継承だけと見ていいでしょう。また載っていなくても飛鳥、奈良の時代に始まったしきたりなども参考になると思います」
「どんなものがある」
「十七条の憲法や冠位十二階。武士の元服などもその時代だったと思います」
「分かった。それはこれから調べていくとして外から入ってきた思想だが思い当たるものはないか」
「推古の時代は外国からの思想がたくさん入ってきています。主だったものは中国からで儒教、易経、道教に加え仏教もそうです」
「一つ重要なものを忘れていまーす。景教でーす」
「けいきょうって何だ」
「中国のキリスト教ですね。たしか東方教会だったと思います」
「その通りでーす。宣教師は帰化したネストリウス派の秦河勝で聖徳太子にも重用されていまーす」
「ふむ」
顎に手を当てる「今のは候補に残そう。他にはないか」
「他というより今出たもので候補から外せるものがありまーす」