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創世記

この先、物語の進行においてキリスト教や仏教の経典や教義を検討の題材として使用します。記述に関しまして誇張や歪曲といった印象を持たれることもあるかもしれませんが、あくまでフィクションとしてお読み頂けたらと思います。また筆者の不勉強による誤りなどもあると思いますので、改稿が必要と感じられる表現につきましてはご教授頂きますようお願い致します

 麦原を見るとまだ作業中だった。何をしようかと思ったときスマホに着信がある。


「はい銀山です」


「ねえ社長室で何があったの。総務の子たちが怒りながら戻ってきたって聞いたけど」


「社長のメールをよく読まずに返信しただけ」


「銀山くんは大丈夫だったの」


「怒られてもいないし戻ってもいないから分かるよね」


「よかった」


 こちらの身を案じてくれていると思ったが今の声は蟹の心配だったような気がする。香取主任たちは社長が男系にこだわることを阻止するために鬼谷から指示されて返信したのだろう。確信はないが香取が社長室から出てきたときに寄り添っていたのが証拠だ。


「それより何か用だったの」


「鬼谷次長ってそこにいるの」


 いたらこんなにのんびりと電話していない。


「さっき戻っていったよ」


「分かった。ちょっと行ってみる」


 自分の頼んだ仕事をしているか心配だったが蟹がかかっているのに忘れるわけがない。


「男系の根拠になるよーなものはほとんどありませーんね」


「ほとんどということは少しはあったということですね」


 皮肉で言ったつもりだったが首を縦に振ってきた。


「Y染色体が変化なく継承されていることでーす。識者の中にもけっこう支持する人はいるみたいでーす」


「識者といってもピンから切りまでありますよね。どんな肩書の人がコメントしているんです」


「すまん、手間取った」

羽黒が戻ってきた「どこまで進んだ」


「僕が有識者会議をまとめて麦原さんが調べたネットの情報を確認しているところです」


 ディスプレイをCH2に切り替えると自分が作った有識者会議のまとめが表示される。


「これは悠仁親王が生まれる前に行われたものだから男子継承者がいない場合を想定している。自民党内には男系堅持論者が多いからいつ削除されてもおかしくはない内容だ。麦原さんはネットの情報ですか」


 リモコンでCH3に切り替えてワードパッドに貼り付けた記事にさっと目を通した。


「科学的根拠はこのY染色体だけでーすね」


「遺伝子に詳しくない者は簡単に信じてしまいそうだ。高崎経済大の助教が発案らしいが、京大の生物学の専門家も支持しているしな」


 それなら立派な識者だ。それより羽黒がけっこう詳しいことに驚いた。


「しかし反論として女性天皇を否定するものだとありまーした」


「その通り。Y染色体を持っていることが天皇の条件なら持たない女性は資格がないことになり歴史を否定することになる。また染色体はあるだけでは意味がなく遺伝子が働いて初めて役割を持つ。その働きが何であるか示さないうちは変化しないで伝わったとしても説得力はない」


「ならばY染色体はこれ以上議論しても仕方がないということですか」


「変化しないで継承されるという事実は捨てがたいが、これだけでは使えないな。他に見るべきものがなかったら本格的に始めるぞ」


「ちょっと待って下さい。これを使って何かをするのではないのですか」


 否定とまではいかないが十分程度とはいえ自分の仕事が軽く見られた気がした。


「ネットの情報は誰にでも見られる物。当然社長も見ている。今してもらったことはその最低ラインを共通認識下に置くものだ。重要ではないが不要でもない」


 反論できなかった。


「羽黒くんはどんな話を社長にしたのでーすか。科学的な考察なのでーすか」


「俺が説明に使ったのは文化的遺伝子と呼ばれるミームだ。リチャード・ドーキンスという生物学者が提唱した理論で著書の『利己的な遺伝子』は人がなぜ子や孫、甥や姪などを大事にするかを遺伝子で説明している。その中で今までDNAでは伝えることのできない生活様式とかしきたりなど文化の類といった情報でも実際には遺伝が行われているのではないかという仮説を立てたんだ」


 説明の画像もなく声だけだと理解するのが難しい。質問はそれ以上に難しい。


「DNAとはどう違うーのですか」


「違うというか伝達される物質はまだ見つかっていない」


「何も見つかってなーいなら仮説にはならないんじゃないですか。だってそんなものなくても口で言ったり行動で示したりすれば伝わっていくものでーすよね」


「伝えることはできる。問題は受け取るかどうかだ。たとえば音楽一家で常識として話されていることでもスポーツ一家だと話題にも上らないだろう。同じミームを持つ者たちは自然に集まりコミュニティを形成していくんだ」


 なんとなく言いたいことは分かってきた。天皇家のミームが存在するということだ。たしかにこれなら男女の区別なく伝えていくことは可能だろう。


「それだったら男系にこだわる必要はないんじゃないでーすか」


「そこでY染色体が生きてくる。ここには性決定遺伝子の他に遺伝子の発現をコントロールする遺伝子があると考えられている。つまりミームを発信できるのは男だけと仮定すればいい」


「それは羽黒くんの考えですか」


「そこまで書いてあるサイトはなかったと思うがミーム自体は新しい理論でもないので、発表していないだけで考えた者はいるかもしれん」


「それより今の説明は仮定ばかりだと思うのですが」


「正直言って時間が欲しいんだ。そうでないとまったく使えない可能性もある」


「使えないならなんで報告したのでーすか」


「俺がここに来なかったら宗教だけの報告になってしまう可能性があるからだ。社長が理論を求めているのは最初のメールで分かったから参加することにしたんだ。選ばれた者が変な報告をして全社員が同じレベルだと思われたくないからな」


「なぜ宗教だけの報告では駄目なのーですか」


「そんなの聖書を読めば分かる。いいかげんの極致だ」


「何をもってそーんなことを」


 麦原だけでなく羽黒の目も吊り上がってきている。麦原の話し方が宗教への嫌悪に拍車をかけているのだ。


「進化論を否定しているじゃないか」


「当然でーす。人は猿が進化したものではありませーん」


「人とチンパンジーの遺伝子にどれだけの差があると思っている。四パーセントだぞ。それ以外は共通なんだ。進化論で引っかかるところがあるとすれば突然変異で誕生したということだが、人と類人猿が同じ祖先を持つことは間違いない」


「なぜそんな人をおとしめることを言うーのでしょう。人は聖書に書いてある通り神が塵をこねーて息を吹き込まれたのでーす」


「今の理論がなぜ人をおとしめることになるのか分からん。そうやって人だけを特別視するのも聖書の悪いところだ。逆に聞くが今でも人はそうやって誕生するのか」


 上下関係が分からなくなってきた。


「それは最初の人であるアダムだけでーす。神は知恵の実を食べた女性に子を産む罰を与えたのでーす」


「俺が聞きたいのは今でも誕生させられるかということだ」


「全知全能の神にできないことはありませーん」


「その現場をぜひ見てみたいものだ。それより宗教家に一番聞きたかったのは神が人に似ていることだ」


「人が神に似ているのでーす」


「どちらでもいい。つまりは神も二本の脚と二本の腕がついた胴体の上の頭が乗っているということだ。神が天地を創造したのなら、なぜそんな形になる」


 麦原が目を丸くした。質問の内容が分からなかったのだろう。


「すみません。今の質問の意味が分からなかったんですけど」


「銀山もか」

力の抜けた目になる「天地ができる前は何があった」


「真っ黒い闇だけがあり神が光を作られまーした」


「人の体、特に脚というのは重力に逆らって立てるように造られている。重力がないのなら一番適した形は球体だ。脚は必要ないし手をつけるにしてもアメーバやゾウリムシのような形態が最適だろう。つまり神が人の形をしているということは地球のような惑星ができた以降のことだ。そうでなければ人の形には意味がない」


「それは違いまーす。神は肉体を持ちませんから実際に似せたのは愛、知恵、公正、力などの神としての特質なのでーす」


「バカも休み休み言うんだな。旧約聖書には『像』とはっきり書いてあるんだ。それに体がなかったらどうやって塵をこねることができる」


「書いてあることをそのまま信じてはいけませーん。字間や行間にあるものを読み解かなけーれば真理には到達しなーいのです」


「要するに小中学生には聖書を読ませてはいけないということだ」


「分からないところは神父なり牧師などに聞けばいいのでーす」


「読んで分かることを聞く奴がいるか。ついでだからもっと言っておく。聖書を読んでいるとやたら光を神性化しているようだが、そんなもの所詮は電磁気の伝達物質に過ぎん」


「そのような一面もあーるのでしょうが人は生まれる前に光のトンネルが見えたーり死ぬ前に光に包まれたーりするのでーす」


「もしかしてそれが神秘の現象とでも思っているのか」


「これが神秘でなくーて何を神秘と言うのでしょう」


「胎児、つまり生まれる前の赤ん坊はかなり早い時期に眼だけは完成している。もし脳が記憶を維持できるくらいまで成長していれば子宮口を通して光を感じることはできるだろう。もちろんトンネルのように見えるはずだ」


「死ぬとき光に包まれる方はどうなーんです」


「それも簡単だ。目に入る光の量は瞳孔の大きさで調節され暗いところでは大きく開き明るいところでは絞られる。これは目の周りにある微小な虹彩の筋肉で制御されているが死ぬ前にこれがどうなるか考えてみればいい。体を動かす筋肉が衰えていっても視神経はまだ働いている。そして死の直前、制御不能で開きゆく瞳孔から流れ込む光が増してホワイトアウトし、自分がそれに包まれたと感じる。たったそれだけのことだ」


「羽黒くーんは、死の尊厳に対してどう考えておられーるのでしょうか。そんなことばかり言っているーと地獄に落ちますよ」


「俺は退屈な天国より地獄のがいいと思っている」

急にこちらに顔を向けた「銀山はどう思う。これでも宗教を信じられるか」


 読めてきた。羽黒はおそらく小中学校の頃に聖書を読んだのだろう。そこで神は人の姿をしていると知り、ずっと信じてきた。科学の知識が身につけばそれが嘘であることが見えてくる。それでもなお涼しい顔で聖書は正しいなどという人たちに腹を立てているのだ。


 正直言えば自分も聖書は苦手だ。逃げ出すことができないなら鼻柱をへし折ってやりたいと思う。でもそれ以上に科学至上主義には賛同したくない。


「今の今までは信じていませんでした。でも羽黒さんが科学的に証明してくれたので少しは信じる気になりました」


「お前もひねくれた奴だな」


 自分はどうなんだと言い返したかったが怒らせると協力が得られない。


「たしかに社長の依頼に応えようとすれば聖書に書いてあるという説明だけでは受け入れてもらえないでしょう。でも科学だけで答を出すことはできますか」


 少し間があった。まさかできるとは言わないだろうが。


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