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社長の娘

 ざっと見たところ十五人くらいはいそうだ。どのくらい時間がかかるのだろうと思っていたら「失礼します」と通る声が聞こえて奥にある部屋から一人出てきた。部屋の前に立っていた総務部の鬼谷次長から声を掛けられてこちらに歩いてくる。知的財産課の羽黒(はぐろ)高司(たかし)だった。


 二年先輩で身長は一七0くらい、体重は平均よりはやせていて今年で三十歳になるはずだ。髪はボサボサで黒縁の眼鏡を掛けている。やるべきことをやっていれば身だしなみなどどうでもいいというタイプで常に理論武装し、準備もせず会議に出席した者は徹底的にやりこめる。敵には回したくない男だ。


 五分ほどしてまた一人出てきた。物流課にいる(むぎ)(はら)(ひさし)。歳は自分より四つほど上で背が高く頭髪は丸刈りだが動作と顔は穏やかだ。


 大水から聞いた話だがキリスト教系の宣教師をしているらしく何度も勧誘されたとのこと。浄土宗と言っていたがやはり古い宗教は結束が弱いから狙われやすいのだろう。現場に近い職場ということもありネクタイを締めていないが、小ぎれいにまとまっていて爽やかな印象を受ける。


 自分の前を通り過ぎたとき正面の部屋から怒声が聞こえた。何を言ったのかは分からなかったが甲高い声の主は間違いなく社長だ。


 もう一度声が聞こえて人事の香取(かとり)主任がよろけながら出てきた。少し小柄で髪は七三に分けた優等生タイプ。感情を表に出さない性格だが今回はかなりの衝撃を受けたらしい。鬼谷が駆け寄り体を支えながら外に連れ出す。次の者を入れる前に自分一人で入っていった。


 五分後鬼谷が出てきて並んでいる列の中間あたりで止まる。


「この中で次の報告をするつもりの者は手を挙げてくれ。男女平等、長子継承、お家乗っ取り、女系推奨」


 覗くように見ていると一人二人と手が上がり結局自分以外はすべて手を上げていた。


 鬼谷は先頭にいる者を両手で抑える仕草をしながら端から端まで見渡す。


「全員、いや手を上げていないのは資材調達の銀山だけか」

そう言って小さく頭を下げた「申し訳ないが手を上げた者は職場に戻って欲しい。どのような処置になるかは分からないが追って連絡する。せっかく来てもらって申し訳ないが帰ってくれ」


不安そうな者、怒りを露わにした者、すべてがエレベーターホールに移り鬼谷と自分だけが残された。一人だけ女性がおり、残った自分を恨めしそうに見ながら歩き去る。暗がりではっきり見えなかったが綺麗な人だなと思った。おそらくは社長のメールの文面をよく読まずに世界の趨勢や時代の流れで長子継承を薦めたりしたのだろう。


「銀山は何を報告するつもりだ」


「男系継承が日本に入ってきた時期です」


「それは意味でも根拠でもないだろう。認めるわけにはいかないから帰るんだ」


 ここまで来てそれはない。


「今次長が言った項目にはありませんでした」


「それよりレベルが低いから言わなかっただけだ」


「しかし社長は断片的でもいいと言っていたではないですか」


「それ以前の問題だ」


「次の方はまだでしょうか」


 奥のドアが開く。


「今行きます」


 次長より先に答えた。


「怒鳴られても知らないからな」


 自分が参加しなくて解決できるはずはない。そう信じて部屋に入った。


 まず目に入るのは社長の背後に掲げられている社是『虫力』の文字が大きく書かれたパネルだ。壁は薄く水色が入った清潔感たっぷりの白色で、茶色のカーペットが敷かれた床は机の前が広く取られている。少し詰めれば三十人は入りそうだ。


「ここに立ってお話し下さい」


 中にいた秘書課の(ひめ)(やま)課長から指示を受ける。当社で唯一の女性管理職だ。


 足の位置を確認して背筋を伸ばすと社長と向い合わせになる。まず目に入ったのはストライプのネクタイだ。左右のぶれもなく結び目もカチッと決まっている。自分も同じようになっているはずだと思ったら、このネクタイは誰のために直されたかが気になってきた。その時は自分のためだと思った。しかし社長が不快な気分にならないためとも考えられる。それより一日に何度あの手で直してもらうのだろう。


「君の考えを言いたまえ」


 いきなり怒鳴られるのも嫌なので先に探りを入れる。


「僕、いえ私の意見は男系の意味ではなく男系の思想がいつ日本に入ってきたかを考察したものです。社長のメールに断片的な情報でもいいとの記載がありましたので返信させて頂きました。このような内容では駄目なのでしょうか」


 じっと見ていると目尻が下がる。とはいっても笑ったわけではなく普通の状態に戻っただけだ。


「続けたまえ」


 ホッとして大水に説明したとき頭に描いていたことを話す。途中で怒鳴られることもなく最後まで聞いてはもらえた。


「今のがすべてではないのだな」


「と言いますと」


「バックボーンとなるデータや考察などは他にもあるのだなと聞いている」


 再び厳しい表情になる。何を出せば満足してくれるかは分からないがあると答えるしかない。


「その結論に思い至った考察はもちろんありますが今ここで話せばよろしいのでしょうか」


「その必要はない。次の者に替わりたまえ」


 どうすればいいか分からずにじっとしていると姫山が終わりだと報告し外で待っていた鬼谷、羽黒、麦原を呼んだ。


 三人を並んで立たせる。


「日本は今戦争ができる国へ舵を切ろうとしている。今まではアメリカが守ってくれたがこれからは自分の身は自分で守らなければという判断だろう。しかし安倍首相は重要なことを見落としていた。それは最新鋭の武器をこれからも買い続けていけるかどうかだ。君たちはこの世界にいるから日本の工業界がどれだけの力を持っているか知っているはずだ。二三十年前にはトップだった分野が軒並み後進国に追いつかれ抜かれようとしている。ワシらとて政府の想いには応えていきたいが商品の競争力が低下すれば輸出額は減る一方だ。知っての通り皇室では後胤の先細りを受けて有識者会議が行われた。彼らは男系の意味を考えずに継承方法を変えようとしている。本当に変えていいのか。変えるとどうなるのか。それは一般の国民にも当てはまることなのか。ワシが知りたいのは男系の意味だ。それも誰が言ったとか何に書いてあったかではなく理論だ。メカニズムだ。急ぐから三日で」


 話が途切れた。社長にしてはかなり珍しいことだ。左の拳の上に右手を重ねて並んだ親指に額を付けた。


 軽く左右に頭を振りながら顔を上げる。


「いや二日でやってくれ。明後日の九時にまたここへ来て報告をするように。何か質問はあるか」


「はい、社長」

羽黒が手を挙げる「メカニズムというのは科学的な考察が必要ということでしょうか」


「あれば申し分ないが理屈として通っていればいい。というより小学生でも理解できるまとめをすること」


「社長。それでは出所の不明な論文の引用でも問題ないと考えてよろしいですね」


「君が考えた理論ならそういうことになるだろう。問題ないから思う通りにやってくれ」


「分かりました社長」


 さすがは羽黒だ。この男が一緒にいてくれれば答が出せるような気がする。


「詳しいことはそこにいる鬼谷に聞くように」


「はい」


 これで社長の話が終わりかと思ったが突然後方の入り口あたりで騒ぎが発生した。


「お待ち下さい。勝手に入られては」


 小村の哀願するような声に混じって力強い足音が横を通り過ぎてゆく。社長の横に今にも噛みつきそうな形相で立つ。顔は知らないが素行が悪いと言われている次女の江留(える)に違いない。


「結構だ。君は下がっていなさい」


 社長はこちらに手の平を向ける。


「申し訳ありません」


 こちらからは見えなかったが何度かお辞儀をしていたのだろう、小刻みに服の擦れる音がしてドアが締まった。


「泣いてた奴がいたぜ。自分で呼び出しておいてひどいことを言ったんだろ」


 鼻にかかった低い声は顔を見ていなければまるで男だ。


「メールをしっかり読まなかっただけだ。それより何をしに来た」


「メールを返信した者は呼ばれたと聞いたから来ただけさ。なんでオレはメールを返したのに呼び出しがかからないんだ。家に帰ってからゆっくり聞いてくれるとでも言うんか」


 食ってかかるような江留を無視して社長は鬼谷に向き直る。


「そっちはもう始めてくれればいい」


 当然のことかもしれないが社長の身内も一枚板ではなさそうだ。今の様子だと次女は社長の行動に批判的らしい。


 とは言っても次女が我々に直接干渉してくるとも思えないので鬼谷の指示を待つ間に頭の中で社長の言ったことを反芻した。メカニズムを求めた気持ちは分かる。判断の材料にするための明確な結論が欲しいのだ。分からないのは決断の早い社長を悩ませた一日の差だ。


「こっちへ来てくれ」


 エレベーターで降りると鬼谷が先に立って歩きだして第一応接室に入った。社長専用のこの部屋に入ったのは初めてだがレースの掛かったガラス板のテーブルとソファがあるだけの簡素な部屋だった。それらが小さく見えたのは部屋自体が大きいからだ。事によってはそのスペースに多くの者が立たされるのだろう。


 社長室と同じ色の壁には70型以上ありそうなディスプレイが埋め込まれている。テーブルの周りに並ばされた。

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