科学的根拠
男系継承理論に結論が出ます
個々にやった方が効率的なのは分かっているが、怖いのは三人とも寝てしまうことだ。羽黒は画面に受精の仕組みを表示させた。
「実際にあって説明には描かれていないもの。言うのは簡単だが探すとなると」
カーソルが酔っ払ったような動きをする。眠いのか眠気を追い払おうとしているのか、いずれにしても脳は働いていない感じだ。
「他の絵とか解説はないですか」
驚いたようにカーソルの動きが止まる。グーグルに戻り『精子と卵子』と入力した。
「レディスクリニックとか産婦人科のHPが多いんだ」
「何か参考になるかもしれませんね」
羽黒は気が進まないといった表情だったが一番上を開いた。
院長らしき人の大きな写真や妊婦や赤ん坊のイラストと、その説明がスクロールされていく。
「どれもこんな感じだ。あまり参考にならんだろう」
「積極的に妊娠させーる、あるいは避妊するのは参考になると思いまーす」
「そうですね。妊娠の確率を上げる方法みたいなところはありませんか」
誰もが興味のある項目らしく、すぐに見つかった。
「さっきの生物学的に見たものに比べたらかなり省略してある」
図をカーソルでクルッと囲む。その時なにげなく羽黒の言った科学的に説明するには数字を使うことを思い出した。
『精子の寿命は三~七日、卵子の寿命は六~二十四時間』
なぜ卵子のが短いのだろう。一つの細胞としてだけでなく、自分が生まれた環境でもあるのに短いということは何かが決定的に欠けていることになるのではないだろうか。しかし精子と比較しても卵子にない物は尻尾くらいだ。動くための道具に過ぎないのだから卵子には必要ない。卵子にない物。精子にあって卵子にない物。
やはり尻尾しかないと思ったとき、もし卵子に尻尾があったら動くのだろうかという疑問が浮かんでくる。どの説明を読んでいても、卵子が自ら動くことはないように感じられた。
次に麦原の胎児に霊魂が宿らなければ死体のまま排出されると言ったことが思い出される。直後、体の底から熱いものが沸き上がってきたのを感じた。分かったのだ。
震える声で二人に聞く。
「ひ、人は霊魂が宿らなければ死産か流産だと言ってましたよね」
「それがどうした」
さあ驚いてくれ。
「精子の寿命が卵子に比べて長いのは霊魂が宿っているからではないでしょうか。その右下に書いてある数字が科学的な根拠になるのかと思うんです」
羽黒は二三度眼を走らせ「あっ」と小さく洩らした。
「どうしてこんな簡単なことに気付かなかったんだ」
呟きながらパソコンに向かう。何を調べているのかと思い画面を見ると、卵子が卵巣から切り離される画像がアップになる。
「つまり卵子は命が尽きた死体と同じで、精子が持ち込んだ霊魂を宿らせなければそのまま死ぬということか。当然これと一緒の数字になるはずだが、はたしてどうか」
検索は『臓器移植』に変わる。どうやら体から切り離された細胞の生存時間を調べているらしい。
すぐに検索結果が出た。厚労省のサイトだった
「肺が八時間、肝臓と小腸が十二時間、腎臓と膵臓が二十四時間か。どうやらそれが正解みたいだな」
「よっしゃあ」
思わずテーブルを叩いていた。
「喜ぶのは早い。問題はそれが原因か結果かだ」
「どういうことです」
もっと喜んで欲しい。
「現象としてそれは根拠となりうるが、ウパニシャッドで複数の自己が胎児に存在していることが分かった。自己の由来は一つに限定されるわけではないから精子と卵子の両方に霊魂が入っていても困ることはない。選択肢はこの三つだ」
HPが最小化されワードが起動される。
➀卵子には物理的に霊魂が格納されない
②物理的には可能だが何らかの理由で結果として入らない
③女が霊魂を宿らせない
「こんなところだと思う。意見があったら出してくれ」
「僕は自分の意見を支持することになりますが③だと思います」
「具体的に言ってくれ」
何度この言葉を言われただろう。少しは反省しなければと思う。
「はい。推古以前は女系だったというのが僕の理論です。その頃は女性が卵子に霊魂を込めることができた。しかし男系の理論が入ってきて女性がそうすることを男性に禁じられた。つまり本来ならできるができなくなったということです」
「それは無理だと思いまーす」
ここまで従順だった麦原が僕の意見を否定した。
「どこに無理があると言うんですか」
無意識に言葉を荒げてしまう。
「まあ落ち着け。麦原さん詳しく説明してくれ」
「産婦人科のクリニックがこのようなHPを作る背景には、なかなか子供が授からないという問題があるからでーす。その中の一つは排卵日が分からないため、いつ性交したらよいかが分からなーいというものだったと思うのでーす。排卵は意識的に行うものではなく自然の摂理で管理されているものだと私は思いまーす」
「まあ月経というくらいだから自然の摂理は合っているだろう」
「本当ですか。本当に分からないのですか。聞いた話ですが遠洋漁業や長期海外出張の夫婦は短い滞在期間中に確実に受精できるよう意識的に排卵しているとしています。その気になればできるけど、していないだけだと僕は思います」
「なるほど銀山の意見も一理ある。でもそれが正しいとすれば子供ができない夫婦はなぜそれをしないか、あるいはクリニックはなぜそれを指導しないかという問題が出てくる」
「羽黒さんは麦原くんの肩を持つのですか」
決定的な証拠を見つけた僕に嫉妬しているに違いない。
「俺は誰が言ったなどということは考慮していない。すべてのHPに書かれている事実がそれを裏付けていると判断しただけだ。それで納得できないのなら女性に聞いてみればいい」
「聞くと言ってもこんな時間に」
「一人いるだろう、何でも依頼できる人が」
「あっ」
小村を女性として見ていなかったわけではない。むしろ女性として感じすぎているくらいだ。大水だったら気軽に聞けたかもしれないが、今の不安定な状態の中でそれを聞くことは課題が解決できても大きなダメージを与えるのではないだろうか。
「お前が聞けないなら俺が聞いてくる」
「待って下さい」
立ち上がろうとするのを押しとどめた「僕が行きます」
迷いを見せればすぐに羽黒は来るだろう。止まっては駄目だと自分に言い聞かせて執務室の前まで来る。戸惑ったらできなくなると思いすぐにノックをした。
「はーい」
歯切れが悪い。小村も壊れかけているのかもしれない。
「銀山です」
「どうされました」
黒目が大きくなったような気がする。
「こんなことを聞くと失礼というかセクハラになるかもしれないけど」
「今回の職務に関係のあることでーすか」
必死に欠伸をかみ殺す。
「はい。これですべてが解決できるかもしれないことで」
「それなら遠慮しないで下さい」
急にシャキっとした。
「じゃあ聞きます。女性は」
「皆さんの前で話さなくてもいいのですか」
自分に焦りがあったのだろう。当然そうした方がいい。
小村を従えて応接に戻る。
「どうだった」
すぐに反応したがかなり眠たそうだ。おそらく無言で待っていたのだろう。
「これから話を聞きます」
小村を鬼谷の席に座らせて自分の席に戻る。ディスプレイに表示されていたHPを見てもらった。
「聞きたかったのは、女性は排卵を意識的に行えるかということなんだ」
「結論から言えば意識的には行えません」
「それは小村の場合か女性一般の話かどっちだ」
羽黒がすぐに問い詰める。
「断言はできませんがそんなことができる女性はいないと思います」
「次の質問でーす。排卵のタイミングは分かるものなのでーすか」
「それも無理です。結果としてあの日が排卵日だったかなと推測するのが精いっぱいです」
「でも」
海外出張の例を出してみる。
「分かりません。仮にできるとしても二三日の誤差は出ると思います」
不安そうな表情で羽黒を見つめる。小村の回答で解決できると言ったのが逆にプレッシャーとなったのかもしれない。
「分かった。聞きたいことはそれだけだ」
「では執務室に戻ります」
毅然とした態度で立ち上がる。
「あの」
追うように、同時に腰を浮かせた「ありがとうございました」
口角が上がる。
「必要でしたらいつでも呼んで下さい。内線で連絡下さればわたしから伺います」
お辞儀をして戻っていった。気分を害してはいないようだ。
「これで決まりでーすね。世間でよく話題に上がっている女系などというものーは存在しなーいということです」
「結論としてはそうなるかもしれんが、報告において卵子の寿命に関しては現象証拠のみとしよう。ちょっとトイレに行くから、二人はここまでの内容を報告書としてまとめてくれ」
小村が気を悪くしないか心配していたので少し疲れた。
理論編の最後となる次話を六日の火曜日に出した後、理論のまとめを行いたいと思いますので本篇は二週間ほど休みを頂きます。次の章では、本当に「女系」というのは存在しないのかを検証しますので、よろしくお願いします