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失恋保険  作者: セパさん
3/3

case1 柚木奈緒美 ③

「…………あなた結局一睡もしてないの?」


 三野は目の下にクマをクッキリと付け、何処か衰弱した柚木に、呆れた様子で声を掛ける。元カレ……もとい既婚者にして不倫男からの誘いを初めて断った柚木だが、その脳内は様々な葛藤にさいなまれ、入眠を許してくれなかった。


〝嫌われたらどうしよう〟


〝もう会えないのではないか〟


〝いやいや普通は会えないのが当たり前〟


〝じゃあ今の関係は何?〟


〝好き、愛してる〟


〝でも彼は?奥さんは?〟


〝わたしは、彼にとってどんな存在?〟


〝都合のいい女?〟


〝好き、愛してる〟


〝彼はいつもそう言ってくれる〟


〝またささやいて欲しい〟


〝別れる?奥さんとわたし……どっちが〟


 脳内は混迷を極め、否定と自己嫌悪がシナジー効果を呼び悪循環的に加速し、嘔気おうきさえもよおす。


「とにかくシャワーだけでも浴びてきなさい。服はわたしの貸してあげるから。」


「はぁい……」


 三野は柚木よりも身長が高く、借りた服は着せ替え人形のように不格好だったが、折角の好意を無駄にも出来ないので大人しく借りることにした。……胸のあたりがキツイことは秘密にしておこうとも決心している。


 やってきた女性は同性である柚木でさえ目を奪われそうな、整った顔立ちをした大人びた女性であった。まるで聖女のような慈悲深い微笑みをたたえ、それでいて何処か妖艶な雰囲気を醸し出している。こんな胡散臭い保険の外交員をやるよりも、ホステスや女将でもやった方が一財産を稼げるのではないか……。そんな女性だ。


「初めまして、わたくし三野様よりご紹介を頂きました、二宮と申します。」


 そう言って渡された名刺にはこのような記載がされていた。


【 失恋保険株式会社 あゆみ 地域包括マネージャー 


 二宮麻利衣にのみやまりえ 】


「ど、どうも!わたくし柚木奈緒美と申します!」


 社会人の癖で、そのままカバンから名刺入れを出し名刺を差し出してしまう。会社も個人情報もこんな怪しい団体にバレるのはなんともしゃくだが、気が付けば信頼しても問題が無いような相手の雰囲気に飲まれてしまっていた。


「三野様よりご紹介を頂いた身で突然と困惑されるでしょうが、弊社へいしゃは〝恋愛〟という【感情】に対する保険となっております。差し支えなければ、柚木様の現状についてお聞かせ願えればと思いますが、よろしいでしょうか?」


 よろしい訳がない。〝元カレの不倫相手になっております〟なんて、恫喝どうかつのタネになる立派な民事裁判事由だ。とはいえ、1人抱えていた葛藤、前日初めて自分の気持ちを裏切った心の傷、何よりも不眠で働いていない頭が、口からは弱音と言う形で、目からは涙という形で、気が付けば滔々(とうとう)と不安・不満・罪悪感の入り混じった絶望を語っていた。


 最初に抱いた〝ホステスや女将でもやった方が一財産を稼げるのではないか〟という疑問は吹き飛んだ、代わりに浮かんだのは〝占い師やスピリチュアルな人でもすれば巨万の富を築いていたのでは?〟という傾聴力だった。


 決して否定せずしかし口出しもせず、自分でも言葉に出来ず喉元で詰まると予言をするように壊乱(はなは)だしい柚木の話をスッキリコンパクトにまとめ、最後には……


「なるほど、元交際相手の方と縁を切れず、柚木様はまだ百刈みのかり様に恋をされている。しかし相手は既婚者であり奥様への申し訳なさや自分の御立場に苦悩されているのですね。」


 そう、散々泣いて支離滅裂に自分の思いを散発的に言葉にしたが、まとめてしまうと何ともどうしようもない、ありきたりでありふれた不倫話なのだ。


「どうぞ、ハンカチをお使いください。」


 二宮を名乗る女性はそういって柚木にハンカチを手渡した。【 歩 】という社名とロゴが記載されていたが、流石に【失恋保険】の文字はなかった。柚木はそのハンカチで涙を拭う。


「まず柚木が一番に懸念されておりますのが、奥様に不倫の事実が発覚してしまうこと。お話から察するに百刈様との縁が切れてしまうことを不安に思われているようですね。」


 柚木はドキリと肩を震わせる。……そう、慰謝料の請求だの、【不倫相手】という社会的風評だのは考えていない。いや、考える余裕などない。


『 どんな形であれ、百刈啓介と別れたくない 』


 世界中の既婚者女性から糾弾きゅうだんされそうな感情こそが、柚木の心を支配し苦しめている元凶なのだ。


「…………現状、柚木様にご判断をゆだねるのは危険と断言させていただきます。」


 百刈と奥さんを離婚させ略奪愛することが希望なのか?


 それとも一時的な愛を囁かれる現在の関係を出来るだけ長く維持していきたいのか?


 スッキリと別れたいのか?


 二宮を名乗る女性が〝現状、判断するのは危険〟というのはこの3択であろう事は、仮にも頭がいいと言えない柚木の脳みそでも理解できた。


「…………柚木様のケースでしたら、弊社のラインナップですと〝Venus(ヴィーナス)〟がオススメです。最初の1か月は無料で、お試しできます。もちろん無料期間中に解約することも可能です。」


 なんとも古典的な契約文句だが、二宮を名乗る女性に話をすることで少し心が晴れたような気分になった柚木は、月額料金次第では悪くないかもしれないと思い始めた。


「〝Venus(ヴィーナス)〟は特質上掛け金が一般の方よりも高くなりますが、恋愛中のフォローは万全に行わせていただきます。また奥様が探偵を雇った場合に対応する、防諜カウンターインテリジェンスにも力を入れております。」


「た、探偵ですか……。」


「女性の感を舐めてはいけません。浮気とは……特に男性の浮気は違和感を抱かれやすいです。浮気調査の探偵使用件数は〝解っているだけで〟月1000件を超えています。1万円から探偵が雇える時代です、職業の特殊性を考えればその何倍・何十倍にもなるでしょう。」


「か、防諜カウンターインテリジェンスっていうのは……。」


「その名の通り、探偵に偽りの情報を与えます。もし柚木様が探偵に目を付けられましたら2営業日以内にお伝え出来ることを確約いたします。こう言っては角が立ちますが〝上手な不倫方法〟を伝授することも可能です。また、別途料金が発生しますが探偵を買収することも可能です。」


 その瞬間、変わらぬ微笑みを浮かべた二宮を名乗る女性の瞳から、妖しい光が揺らめいた気がした。


「まずは一か月、ご体験なされませんか?」


 自分はいったい何者と話しているのだろう。人懐っこい笑みとは正反対の禍々しい覇気が漏れ出ており、柚木に拒絶の言葉を吐かせてくれない。


 気が付けば柚木は、【失恋保険、プランVenus(ヴィーナス)】にサインをしていた。

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