case1 柚木奈緒美 ②
パンフレットの見出しは如何にもな常套句が並んでいた。
【単独型失恋保険3年連続ナンバー1!】
【加入者数1万人突破!】
【保険金支払い実績3000件突破!】
【専業カウンセラー直通ダイヤル60万件突破!】
【探偵・弁護士紹介2500件突破!】
【失恋後アフターサービス満足度98%!】
「いや、ミノッチ変な宗教でも入ったの!?聞いたことないんだけど!【単独型失恋保険3年連続ナンバー1!】って、そもそも【失恋保険】なんて言葉自体初めて聞いたんですけど!?」
「まぁわたしも最初は胡散臭いとしか思わなかったわ。でも考えてみて、そこに〝専業カウンセラー直通ダイヤル〟っていうのがあるでしょう?」
「うわ、なんだか突出して多いね……。」
「簡単に言えば月額4500円で年中無休24時間恋愛相談に乗ってくれるって考えれば安いものじゃない?」
柚木は〝え~そんなにするの……〟と思いながらも口には出さなかった。
「まぁお世話になってる保険レディを紹介するわ。不倫でも加入できるか分からないけれど、わたしでも加入出来たから大丈夫でしょう。」
「え?ミノッチ彼氏と順調じゃない。こんなパンフレット見られたら……」
百年の恋も冷めてしまう。
そこまで言葉に出しかけ、三野は憂い気な溜息を吐いた。
「たまに分からなくなる時があるのよ……。本当にこのままで良いのか?ってね。」
柚木の知っている限り、三野の彼氏は非の打ち所がない立派な男性だ。優し気で顔も整っており、職業は教職員で将来性もある。
ただ人の恋沙汰は本人にしか分からない。それを一番知る柚木は、言及するのを止めパンフレットを捲る。
【〝恋〟とは精神を破壊する危険な状態です。】
失恋保険の文言はそんな一文から始まった。
【脳科学的見地から考察するだけでも、判断や思考を行う脳野である前頭葉連合の99%が遮断され、未来の幸せはおろか、10分後の事すらも考えられなくなることが脳科学や心理学の研究から明らかとなっております。】
【云わばどんな偉人・賢人であれ〝恋〟をするだけで猿人にも劣る短慮な思考しかできなくなってしまうのです。】
(う、胡散臭い。)
これが露骨な宗教の勧誘やマルチ商法の勧誘なら、自分は親友に対してどんな態度を取っていただろう?元々断るのが苦手な性格の柚木は、これまでの人生で友人から結構餌食にされ煮え湯を飲まされてきた。
新聞と言う名の機関紙を半年取っていたこともあるし、1本4000円のシャンプーを仕方なく買ったこともある。結局その友人たちとは疎遠になってしまった。
(ミノッチだけはこんな変なものに嵌らないと思ってたのになぁ……。)
親友の行動にやや落胆しながら、柚木は【失恋保険】のパンフレットを流し読みする。そうしていると……
ピロリン♪
とメッセージアプリケーションが起動した軽快な音が鳴る。柚木にとっては感情をかき乱す災い成す音。絶対に拒絶できない呪いのメッセージ。
――今日家?
「ごめんミノッチ、わたし家に帰らないと。」
「ちょっとあんた!またあの男?」
「違う違う!ちょっと用事!」
「こんな深夜になんの用事よ!いいから今日はわたしの家に泊まっていきなさい!」
「でも……。」
「明日の朝、麻利衣さんと連絡がとれたから、その話を聞いてからにして。」
「ミノッチには関係ないじゃん!何の権利があって……」
激発した柚木に三野は冷たい視線を送り、決定的な一言を告げる。
「どうしても行くなら、あなたの事、あの男の奥さんにバラすわよ。」
会心の一撃としか言いようのない痛いところを突かれ、柚木はそのまま崩れて座る。
「そのまま未読にしちゃいなさい。合鍵で入っても盗られるものもないでしょ?」
通帳や判子は隠してあるし、そんなことが目的とも思えない。
柚木は初めて、自分の気持ちを裏切る。その代償は心臓を直接手で掻き乱される様な心の痛みと、溺れるような呼吸苦を伴う苦痛だった。




