訪い
自分自身をも持て余す状況で、公領、政局、国の未来と、溜息の出るような重荷を負っていても、それが生来の責務だと思っているアウルには自分を顧みる必要が有ることに気付いてさえいない。立ち止まってそれに気付くことが出来るのか?!
ロザリンドとの事にかまけて、兄の行く末が定まり、周囲の条件も調ったと言うのに、未だ、永らえていた私を急き立てるように、人として扱われる者では無いのだと宣告するように、暴力が見舞った。
それきり……ローザを、彼女の想いを……忘れていた。
……あれ程誓ったのに……忘れていた。
彼女が懸命に闘っていることも知らずに、忘却の中に置き捨てて。
「先日参っておりました、公領とリント伯爵領の境界付近の取り決めに置きまして、再び訴状が参っております」
未練を残していると知られれば、彼女との約束までもが先手を打たれて断ち切られる恐れは有った。
だが、日常が戻ってからも約束は反故になったものと、宣告を真に受けてしまっていた。
約束を違えたのは私の方だったのに……
ぱたりと音がして、雫が紙を叩く音に、手にした書類に涙が落ちたのを知った。
書斎のデスクの向かいで、想いののった溜め息を付いたケインが言う。
「誠に至りませぬ事で申し訳もございません。ロザリンド様のこと、動向なりと確かめておくべきでございました」
あの事件の後で、未だ欠けた秘書の代わりを自分が務めると言い張って兼務しているのだったが、今日も領地内の訴訟の処置のために私の元を訪れていた。
「あの騒動の中でか?!お前は私を取り戻すだけでも大変だっただろうに。第1、私のしでかした事も知らなかったのだから是非も無い」
国王が未だ国権の1部を握ったままのシェネリンデにおいて、姻戚関係に在る勢力は政権への影響力を持つ。
リント伯爵にとってその為の唯一の手札であったローザを反故にした者には、より直接的な手段をとらざるを得ない。
王家を間において、リント伯爵家とカーライツ伯爵家と言う二大勢力の真ん中に出てしまったのだから、私の受けた仕打ちを恨む筋合いは無かった。
嫌も、応も無い。
私はそう言う者に生まれついたのだ。
払うべき犠牲の大きさ故に尊重される者に。
「昨日今日お仕え致した者ならばいざ知らず、御館様の何もかもが並外れておられるのを知りながら……やはり、わたくしの失態でございます」
「すまない。目の前で取り乱せばお前がその様に言わざるを得ない。以後気を付ける」
私もまた溜め息を付かざるを得なかった。
「……何を仰いますやら、時折その様なお年に見合ったお顔なりとも拝見せねば、わたくしの至らなさが際立ちまして……」
情けなさそうな顔でリネンを差し出された。
何をしているのか、あの子を見守ると決めたばかりだったというのに。
「……クリスは、目を覚ましただろうか?!」
「わたくしが此方へ伺います時にはお召し替えもお済みでおいででした」
「いってやらねば、又叱られる」
「坊ちゃまにでございますか?!」
「昨日此方へ来ているのを知らずに居て、泣くなと叱られた」
「それは一大事でございますな」
微笑みながら言うものの、執事の目には光るものが有る。
「ケイン。今度はお前が叱られるぞ」
「これは……一大事」
生真面目に目尻を拭う執事に、自分にかまけているときではないと思いを新たにさせられた。
書類を手に退出仕掛けて、ケインがふと、ドアの影を見遣って身をよけ、道を譲るのがみえた。
ドアの淵から屈託のない緑色の瞳が覗いた。
「わたくしの御用は済みましたので宜しいですよ」
言われて、そぉ?!と、言いたげな目を向け、はにかむようにこちらを向いた。
「クリス、おいで」
呼ばれるのを待っていたように、一散に走ってくると勢いのまま膝に抱きついた。見上げてきた耀くような笑顔が目に浸みる。
「今日は泣いてないねぇ」
大人の口調を真似て言う。
「うん。お前に叱られるからね」
「とうしゃま、おりこう」
言われて、頭を撫でられて再び零れた涙に、小さな唇をへの字に曲げて、めっ!!と顰めた瞳に又叱られた。
お読みいただき有難うございました!
この他にもまだ書くべき部分が在るので、いずれ又、準備が出来次第お目に掛かることになると思っております。
その時まで。