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よく眠れる小説

作者: 勝華麗


 疲れた…… 


 深夜一時の帰宅。終電の電車から、鉛でも背負っているのように重い足を動かしてきた。


 やっとやっと戻ってこられた。

 

 これからご褒美に買ってきたお寿司コンビニのもの食べて、配信予定のアニメを見て癒されるんだ。

 

 期待に胸を躍らせて、ドアを開けた。


「ただい……」


 ……


 おれを待っていたのは、暗くて冷たい部屋だった。


 別におかしなことじゃない。仕事を始めるに至って、実家のある田舎から出てきたんだ。だからおれはここ半年間は独りぐらしを続けて……


 思考の途中、ドッ、とおれは玄関に倒れた。


 疲れたな。

 

 なんでこんなに疲れているんだろうな?


 大型スーパーマーケットの正社員。

 興味はまったくなかったけど、それでも最初の内はどんどん仕事を覚えられて少しずつ楽しく感じてきていた。でも途中から、一向に上達しなくなって追加されていく新しいことも覚えられなくて。ここ一か月間は、怒られに出勤しているようなものだったな。

 

 毎日、嫌で同じことの繰り返しだ。


 瞼を閉じでいるのに、なんでこんなことばかり湧いてくるんだろう。せめて夢くらいは、いいもの見せてくれよ。でも最近はずっと悪夢ばかりで、起きるのがいつも苦しかったな。


 寝たくない。でも眠らなきゃ、明日から仕事に差し支える。


 おれは硬いフローリングの上で、強引に目を閉じた。


「あらあなた、こってるわね?」


 声が聞こえた。


 誰だ?


 たしかドアのカギはちゃんと閉めていて、この家にはおれしかいないはず。


 ああそうか。夢か。

 

 久しぶりに、気持ちのいい夢を見られているのおれは。


 それだったらこんな綺麗なお姉さんが、おれの家にいるというのも不思議ではなかった。


 むしろ夢を満喫してやるぞという気持ちで、お姉さんからの言葉を待つことにした。


「ざんねーんこれはドリームじゃありませーん!」

「うおっ!」


 耳元で叫ばれ、まどろみの中にあった意識が覚醒する。


 パチパチと何度も瞼を開閉することで、ようやく目の前のことが現実だと認識できた。


 流行りの赤と青のブリーチの髪。長い手足に健康的なスリーサイズ、さらにそれがレギンスと半袖のTシャツという格好で強調されている。面長の大人っぽい顔が実に色っぽかった。


 知らない大人のお姉さんが、突如、おれの家に現れた。


 謎の事態に困惑していると、お姉さんは自分を指さす。


「わたしの名前はヨーコ。呼び方は好きにしなさい」

「あっ、はい」

「ところであなた、こんなところに寝てどうするの? フローリングなんかじゃ疲れがとれないわよ。それが許されるのは、罰されている犯罪者だけ」

「いやでも、疲れなんかとっても……」


 どうせまた三十分かけて電車乗って怒られるだけだしな。


 憂鬱な気持ちになったおれを見て、ヨーコさんは首を左右へ振る。


「んもーだめだめ。体に心が負けちゃってる。いい? 心と体は繋がってるの。だから体が弱ると、自然と心も弱っちゃうの」

「はあ」

「つまり体が元気になれば、心も再び元気になるの。暗くなるのが嫌なら、それこそ快適な睡眠を経て健康的になりましょ」


 ――だからまずは、起き上がりなさい。


 指示してくれるヨーコさん。

 正直なにがなんだか分からないが、美人のお姉さんという存在に負けて、おれは言うことに従おうとしてしまう。


 とりあえず、腕に力を入れて。


「ふごー……だめだ……立てない……」

「スタンダップよ」

「別に英語でも同じですよ」


 期待してくれるのは嬉しいが、なんというかもう自分だけの力じゃどうしようもなかった。


 やっぱり今日はここで寝ることにしよう。


 おれが諦めた途端、少しどこかへ姿を消していたヨーコさんが走ってくるようにして現れた。


「フレー! フレー! 足立!」

「――」


 ボイン❤ボイン❤と揺れる巨峰。


 マスカット色のチアガール姿で、ヨーコさんはおれを応援してくれた。


「フレー! フレー! 悟!」

「――」

「がんばれ足立悟! たまった疲れに負けるなー!」

「うぉおおお!」


 ほんのり焼けた太ももが暗闇でも眩しく、見えそうで見えないパンツはまさに太陽そのものだった。


 ここまでされて、立ち上がらない男などいなかった。


 フッとどこからか湧き上がった力が、おれを四つ足から三本足そして二本足と、かのスフィンクスの謎かけのごとく立ち上がらせてくれた。

 

 答えは、人間。


「じゃあ次のステップ」

「えっ、いやもうベッドでいいんじゃないですかね? 今のおれにこれが限界で」

「おふろにしますか? ごはんにしますか? それとも?」

「ごはんでおねがいします!」


 ハッ

 新妻定番の質問に、つい反射的に答えてしまった。


 そして気づけばひとりがけソファに座らせてるおれ。


「なーに買ってきたのかな?」

「あっそれは」

「パック寿司か……」


 コンビニのビニール袋を見られて、どこか恥ずかしくなる。

  

 男の独り暮らしとはいえ、いくらなんでも健康に気を遣わなすぎだよな。


 しかしヨーコさんはおれの気持ちとは真逆に、OKサインを出した。


「いいじゃない。ナイスチョイス」

「えっ、でも棚に余ってたやつですよ」

「睡眠に必要な栄養素って三つあるの。トリプトファン、GABA、グリシン。お寿司はね、その内の二つを摂取できる快眠料理よ」


 マグロと卵からトリプトファン。

 エビとイカからグリシン。

 

 が、とれるらしかった。


「でもさすがにGABAは足らないわね。なにかいいものないかな?」

「ちょっと見えちゃいますって!」


 チアガールのままエプロンドレスを纏っているため、思いっきり屈むと下着が目に入ってしまいそうだった。


 おれの言葉を無視して、ヨーコさんは冷蔵庫の中を物色する。


「うん、これとこれが使えそう。ちょっと待っててねダーリン」

「だ、ダーリンって」


 からかわれると分かっても、照れがこみあげてきてしまった。


 トントントン


「本日のニュースです。怪盗セクシームーンがまたしても財宝を――」


 エプロン姿の女性がキッチンで包丁の音をたててるのを聞きながら、ゆったり座ってテレビを眺める。


 まさに理想とする結婚生活が、この空間に形成されていた。


 恋人いない歴=年齢のはずなのに、一足先の幸せを味わっている気分だった。まあ別におれとヨーコさんはそういう仲じゃないんだが。


 あまりに非現実的な幸福に、つい冷めたツッコミをして現実に戻れる準備をした。


「はいできたよ。トマトと卵の海鮮スープ。トマトでGABAを補給しながら、微妙に少ないトリプトファンとグリシンを乾燥ホタテの貝柱のダシで補給してね」

「うまいよ……あったかいよ……」


 これが現実じゃないなら、永遠に現実に戻れなくていいわ。


 久々に他人が作ってくれた食事は、料理自体の味以上に美味しく感じられた。外食やコンビニ飯とも違う味わいがまたあった。


 げっぷ


 満足して、お腹いっぱいになる。そういえばこの頃、食事が全然喉を通ってくれてなかったな。出された料理を食べきれたのは、いつぶりだったか。


「ねえねえ」

「はい?」

「お礼は?」

「あっすみません……ありがとうございます」

「違うよ。食事が終わったら、わたしだけじゃなく食べた食材にもお礼を伝えないと」


 小学生みたいなことを言われる。


 でも、確かにそうだった。むしろ小学生でもできていた当たり前のことを、おれはしていなかった。


 おれは子供の頃に戻った気持ちで、手を合わせた。


「ごちそうさまでした」

「よくできました」


 頭をなでなでされる。


 恥ずかしいはずなのに、それでもなぜか嬉しいという感情がこみあげてきた。


 ピピピ


 待て。この音は?


 聞き慣れたそれにおれが意識をやっていると、ヨーコさんはおれの手を引っ張って起こしてくれた。


「さあ次はお風呂だよ」

「ええっ!?」

「身体を綺麗にするのと温めるのは、快眠に大事だからね」


 これまでのことを考えると、ヨーコさんはおれのお世話をしてくれるはずだ。


 ならまさか、ここからも。


 いやそんなまさか。


「それじゃ背中流してあげるね」


 本当に色々やってくれた。


 タオルを体に巻いていたり、別にエッチなことをしたわけではない。

 

 ただ彼女は頭を洗ってくれたり、気持ちいいくらいの温度で常に湯を一定に調整してくれた。


 おかげで、寝巻に着替える頃には体内にあった淀みのようなものがスッキリと抜け落ちていった気分だった。


「うふふ。どう?」

「最高です」


 おれは今、布団の中にいた。


 いつもとベッドは変わらないのだが、どうやらペットボトルを利用して湯たんぽのように温めていたそうだ。


 ふかふかでぬくいこの空間は、心の底からいるだけで幸せだといえた。


 布団に入る前にも、ホットミルクを飲ませてもらったり簡単なストレッチを一緒にしてもらい、これ以上ない快眠までの準備ができた。


「あの、ありがとうございます」


 枕に頭を預けながら、お礼を伝える。


 本当にヨーコさんには、こんな言葉じゃ伝えきれないくらいの感謝の気持ちがあった。


「いえこちらこそ。では、おやすみなさい」

「おやすみ」


 けれど千の言葉を尽くすより、一回の快眠をしたほうが彼女は嬉しいだろうと挨拶だけ告げて瞼を閉じることにした。


 でもいったい、なぜヨーコさんは会ったばかりのおれにここまでしてくれるんだろうか?


 疑問を感じるが、暗闇に落ちていく。


 ああ……久しぶりにゆっくり眠れるんだな……


 ………………………………………………………………………………………………………………………


「……あれ?」


 どうしてだ? 

 意識が消えない。眠ろうと眠ろうと思っても、いや力入れてやろうとすればするほど頭の中は目覚めていく。


 あそこまでされておれは眠れないのか?


 仕事だけじゃなくて、眠ることさえろくにできないのかおれは?


 悩みに、心が支配されていく。もはやおれの状態は、睡眠から遠ざかるばかりだった。


「どうやら駄目だったみたいね?」


 上から聞こえる声。


 いつのまにかヨーコさんは、枕元に立っておれを見下ろしていた。


「駄目ってなんだよ?」

「駄目なものは駄目よ。あなたってほんとうに駄目なのね」

 

 今までにない冷たい声。

 それは、最初おれがこの部屋に帰ってきた時と同じものを感じた。


 なんだよそれ?


 おれは拳を強く握りしめる。


「おれが駄目な野郎って言いたいのか!?」

「……」

「仕事してるんだぞ! 実家にもいないんだぞ! 昔は勉強だってできたんだ! 運動だって一番ではないけどビリにはならなかった! 税金だって年金だってちゃんと収めてる! おれは……おれは……」


 成功した!


 その言葉が、喉からどうしても出てこなかった。


 次に出てきたのは、声よりも先に涙だった。


「うぐっ」

「……」

「はい駄目です……ぐっ……おれは駄目な男です」


 本当はスーパーマーケットの仕事なんてしたくなかった。小さい頃からの夢である漫画家になりたかった。でも高校大学と今までストレートにきたおれは、レールから零れ落ちないように就職を選んだ。失敗を怖がって、ただ周囲に流された。


「おれは弱い……力もそうだけどなによりも心が弱い……喧嘩だって勝ったことがないんじゃなくて、そもそもしたことがない……」


 競争から逃げ続けてきた。決定的な敗北をしないように、そもそも勝負から途中で降りてきた。


「おれは本当に駄目なんだ……神様の失敗作なんだよ……」

「……」

「うぇええええん!」


 気づけば、滝のような大粒の涙を溢れさせるどころか、鼻水垂らして大泣きしていた。

 

 涙が頬を伝って徐々に冷えていって、水のように服を濡らしていく。泣けば泣くほど、世界の暖かさから取り残されて凍っていくようだった。


 そう思ってさらなる悲しみが湧いてきた時、ふと、全身が熱に包まれた。


「よーしよーし」

 

 ヨーコさんの身体が近くにあった。


 彼女はおれを胸元に抱きしめてくれた。


「うぅううう」

「よく言えましたね。快眠には、身体だけじゃなく心に溜まったものを出すのも大事なんだよ」


 心と体は連動する。

 つまるところ心のほうが疲れすぎていても、身体が疲れていくということだろう。


 ヨーコさんはさっきと違って、干したての布団のように優しく話しかけてくれる。


「きみは駄目なんかじゃないよ。ずっと頑張ってきただけなんだよ」

「でもおれ逃げて」

「きみの周囲はそれを責めた? なら逃げたんじゃなくて違う場所に挑戦しただけなんだよ。あなたは失敗作なんかじゃ決してない。生まれてきてよかったのよ」


 その言葉は詭弁かもしれない。


 でも彼女自身もおれを諭そうとしているのではない。ただおれの古傷を癒そうと、慰めの言葉をかけているだけなのだ。


 おれは今日ばかりはそれに甘えることにした。

 元気になると、おれ自身、この時の答えを否定することになるだろう。それでもおれは元気になるために、この暖かさを受け入れることにした。


「はいはい。一緒にいましょうね」


 いつまでも泣くおれを、ヨーコさんは抱いたまま一緒に横になってくれた。


 おれはなぜか懐かしさを感じつつ、胸に頭を寄せる。


 そうだこの感じ……おふくろ……かあちゃん……まま……


 おれは泣き疲れると、ようやく眠りに落ちた。




 一か月後。


「……」


 おれはもくもくと部屋でひとりで漫画を描いていた。


 できることなら賞に出したいが、間に合うかどうかは分からない。


 なにせブランクと仕事との二足のわらじだ。

 完成はいつになるか分かったものじゃなかった。


 でも、おれは描くことをやめようとしなかった。


 逃げてもいい。でも逃げながらもいつか勝利するために力を蓄える。それが元気になったおれの選んだ道だった。

 

 それはただ逃げるよりも闇雲に挑戦するよりも時には難しいことだろう。


 どっちつかずとも馬鹿にもされるかもしれない。


 だがそれでもよかった。

 おれは逃げることも挑戦することも全力でやり続けることに決めたのだ。


 スーパーの仕事も、少しずつ任されることが増えてきたのがその証明だった。


 そしてそれはとうヨーコさんに出会った翌日のことについて話そう。


 ――実は起きた時には、我が家はもぬけの殻になっていた。


 ベッドだけそのままで、枕の下にはカードのようなものがあった。


《怪盗セクシームーン。あなたのお宝、ちょうだいいたしました》


 なるほど。

 どうやらヨーコさんの正体は世間を賑わせる泥棒のようだった。


 だが、騙されたという事実を突きつけられても、おれは不思議と怒りも悲しみも湧きもしなかった。


 おれのお宝=恋心を奪われてしまったみたいだ。

 ある意味、一流の怪盗というものはそういうことなのかもしれない。鮮やかなら手並みに心奪われ、大事なものを盗まれても納得してしまうような。


 ピンポーン


 ベルが鳴る。漫画の資料を通信販売で頼んでおいたので、配達員さんが持ってきてくれたのだろう。


 おれは夢へ再び駆け上るため、扉を開いた。


「……こんばんは」

「こんばんは」

「えーとその……久しぶり?」


 噂をすればなんとやら。


 ヨーコさんが、この前とは違うハイレグ姿でいた。目には仮面を着けている。


 どういうことだと思っていると、


「いやー実はね、怪盗団解散しちゃって」

「へー」

「それでわたし帰るところないから、ここにいさせてほしいなって」

「刑務所なんてどうですか? 三食付きですよ」

「ねえもしかして怒ってる?」

「いえ。あっと、スマホで一一〇とタップしてしまいそうになる」

「やっぱり怒ってるよね!? ほんとごめんなさい! なんでもするから、この家いさせてー!」


 泣きついてくるヨーコさんへ、おれは筆ペンとトーンを渡すことにしたのだった。


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