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状況開始

少女の服を着せられた息子の頭に手を置き諭す。


『ドラゴ、母さんと殿下を頼む。君が守るんだ』


『はい。父上も、体にお気をつけて、つつがなくお過ごし下さい』


『暫くはストックホルム暮らしだ。君の為に尽くしてくれる周りの人に対して感謝の気持ちを忘れてはいけないよ』


『はい、父上』


ドラゴの左手を握るオルガさんは泣きそうな顔で声をかけて来る。


『モトジロウ、君は私たちと一緒に国外退去すべきではないか?なにも君が最後まで任務にこだわる必要は無いだろう?あまりにも危険だ』


『僕は国に仕える身です。日本政府が皇帝陛下に協力すると決め僕に任務が下された以上、投げ出すことは出来ません。オルガさん、大丈夫ですよ。三枝大尉は優秀です。彼女がいる限り、僕は安全ですから』


『しかし・・・』


オルガさんは僕の説得を諦めようとしない。背の高い彼女の胸に寄りかかり、長い首の後ろに手を回し彼女の顔を下げて美しい唇に口づけをする。長い口づけの後、彼女は涙を流して僕に優しく抗議する。


『ずるいぞ、モトジロウ。これでは何も言えないじゃないか』


『ごめん、オルガさん。僕にはこれ以外に貴女の口を閉ざす方法が思いつきませんでした。ストックホルムで待ってて下さい。必ず会いに行きますから』


『・・・』


彼女と目線で別れを交わした後、ドラゴの右手を握るアナスタシア殿下と向き合う。彼女からは別れの悲しさは感じられない。今の彼女の想い人は僕ではなくドラゴ、これは彼女にとって新たな人生に向けた旅立ちの一歩なのだ。


『モトジロウ、私に任せて。二人は私が必ず守るわ。母様ラスプーティンに伝えてくれる?体に気を付けて。英国で待ってるって』


『承知しました、殿下。ドラゴの事、よろしくお願いします』


『大丈夫よ。こう見えて王宮に来る前は田舎で貧しい暮らしをしていたから、労働者に紛れるのは得意よ』


皇女とは思えない格好でアナスタシア殿下は笑顔で胸を張る。彼女は幼少時、王家の血筋を知らずに育った。身分を隠した逃避行は苦にならないようだ。


労働者の格好をしたオルガさんとアナスタシア殿下それに少女姿のドラゴは連れ立ってヘルシンキ行き列車の3等客車に乗り込む。ゆっくりと動き出した窓から大きく身を乗り出して笑顔で手を振るドラゴを見るとこちらの顔もほころぶ。


「領事、皇女殿下にお伝えしなくてもよろしかったのですか? ラスプーティン殿はもう殿下と会うつもりはないのでしょう?」


後ろから語りかける三枝大尉。3人を乗せ遠ざかる列車から目を離さずに呟く。


「今、彼女にそれを伝えても何も益は無いよ、大尉」


「混乱が収まったら、皇女殿下がソヴィエト支配のロシアを訪問しラスプーティン殿と面会することは叶わないのでしょうか?」


「それはあまりに危険だ。彼女は将来のロシア帝国再興の可能性でもある。この世界で唯一、ソヴィエト支配国だけには立ち入るべきでないよ。一方でラスプーティンはスターリンと心中する覚悟だ。もうあの母娘が会うことは無いよ」


「・・・」


小さな汽笛音と煙を残して走り去る列車。僕はその場で立ち尽くす。殿下から母親を奪ったのはこの僕だ。何も知らずにドラゴとの未来を胸に微笑む皇女殿下を想うと心が痛む。


背中から僕を抱締めた三枝大尉が耳元で囁く。


「教官、元気を出してください」


僕の悲しみに思い至った彼女も沈んだ声をしている。いけない、これからが本番だ。落ち込んでいる暇はない。僕は彼女に囁き返した。


「ありがとう、大尉。さあ、王宮に戻ろうか。ここからが勝負だ」



*****



1915年3月。

ドイツ帝国は大英帝国周辺海域で潜水艦による無差別攻撃を開始する。最初にドイツ軍Uボートの被害にあった大規模民間船には100名以上の米国民が乗船していた。これを受け、欧州の大戦に距離を置いていた米国も対ドイツ帝国の争いに本格的に参戦。ドイツ帝国はさらなる苦境に追い込まれる。


敵対するドイツの苦境にも関わらずロシア帝国の混乱に収まる気配は見られない。政治犯であるレニン、いまだ獄中に捕らわれの身であるスターリンの二人のカリスマ指導者を掲げる革命評議会ソヴィエトは、公然とロシア帝国政府の政策決定に要求を突きつけ始めている。


少ない男性を国家が管理し全女性に対し平等に生殖機会を保障する、そんなソヴィエトの掲げる主張はロシアの女性労働者たちから圧倒的な支持を集める。彼女たちは北の大地に理想の国家が築かれると本気で信じていた。


ソヴィエトによる支配が現実味を増すロシア国内では ”男性はやがて国の管理下に置かれる” と噂されはじめ、希少な男性を匿う貴族や資産家たちは先を争うように資産と生活拠点を国外に移しだす。結果、ロシアの男性人口はさらに低下、女性労働者の不満は大きくなる。


ロシア立憲君主制に対する革命圧力はもはや限界点を超えており、皇帝退位は避けられないとの見方が強まっていた。


5月、ラスプーティンはスターリンを脱獄させる。

彼の脱獄から二日後、モスクワ市庁舎はソヴィエトの活動家に占拠される。



*****



スターリン開放3日後のペテルブルグ王宮。

地方の陸・海軍は師団・艦隊単位で革命評議会の指揮下に入ることを宣言し始める。事態は急激に進展する。


皇帝陛下がソヴィエトの要求に従い退位を宣言した直後。王宮の皇帝寝室に集った7名の同志を前に、僕は作戦準備の開始を告げる。


『それでは陛下とライリーさん、ユーリャさんとヴェラさん、そしてプーシキンさんと三枝大尉は、それぞれの衣服を交換願えますか?』


安全を確保し脱出させるべきVIPは、陛下、ユーリャ内務大臣そしてプーシキン司法大臣の3名。それぞれの影武者役をライリーさん、ヴェラさん、三枝大尉に努めてもらう。事前に僕の意図を告げられていた6名は躊躇なく服を脱ぎ始め、僕は慌てて振り返り彼女たちの着替えから視線を逸らす。


僕の様子を見ていた長岡さんは楽しそうな笑顔で茶々を入れてくる。


『明石君、私たちは服装を入れ替えないの?』


『するはずないでしょ!何言ってるの?』


『冗談よ』


生きるか死ぬかの瀬戸際に冗談を言う長岡さん、相変わらずの余裕だ。彼女はむしろこの状況を楽しんでいるかに見える。


しばらくするとそれぞれに服を着替えた面々が互いに感想を述べ始める。

最初に僕に近寄り服を見せつけてくるのはライリーさん。


『一度この白い軍服を着てみたかったんですよ。どうです? モトジロウ、似合うでしょ?』


確かに見事な体躯のライリーさんは皇帝陛下に負けず劣らず詰襟の白い軍服を見事に着こなしている。


『本当に、よく似合いますよ、ライリーさん。黙っていればだれが見ても王族です。ここから先、言動には気を付けてくださいね?』


彼女の浮ついた言動をたしなめようとする僕の態度に反応したライリーさんは、楽しそうに上から目線で絡みつく。


『どういう意味かな? 領事殿。君こそ今の私にそんな口の利き方はないと思うが?』


『・・・申し訳ありません、()()


調子に乗るライリーさんの横、彼女と衣服を入れ替えた皇帝陛下は動きやすいパンツスーツ姿に嬉しそうな笑みを浮かべている。まるで陛下の為にあつらえたようなスーツは彼女の胸のサイズがライリーさんと同じく立派なことを証明している。


『陛下、しばらくは英国人貿易商として振舞っていただけますか? もし困ることがあればおっしゃって下さい。できる限り、配慮させていただきます』


『領事殿、大丈夫です。何も問題はありませんよ。私のことは気にせず貴方は任務に集中なさい』


何気ないやり取りからも陛下からは一般人にはない気品を感じる。これはこれで周囲を騙すのは困難だ。できるだけ会話を交わす機会を減らすほかはないだろう。


内務省警察の制服に伊達メガネをかけたユーリャさんも楽しそうだ。


『いいわね、これ!私は軍や警察に仕官した事がないからこういう制服にあこがれていたのよ。どう周瑜?似合う?』


『ユーリャさん、よくお似合いです』


一方で着慣れない婦人服をまとい眼鏡をはずしたヴェラさんは気むつかしい顔をしている。姉妹である二人はもともと体格からよく似ており外見は何の問題もない。だが彼女にはあまり心地よい恰好ではないらしい。腕利き捜査官として冷淡な雰囲気で周囲を圧倒していた彼女が恥ずかしそうに振る舞う様子にどうしても口元がほころんでしまう。


『ヴェラさん、ユーリャさんとそっくりですね。さすがは姉妹です』


『やめてくれ・・・こんな格好を君に見られるなんて屈辱だ』


『ヘルシンキまでの我慢ですから。それにスカートの下には拳銃を隠しやすいんでしょう?』


『周瑜・・・それはもしかして昔の私の仕打ちに対する仕返しか?』


10年前、彼女は女装して恥ずかしがる僕のスカートを捲り太ももに拳銃を巻き付けてきた。ようやくわかりましたよ、ヴェラさん。あの時、貴女は僕が恥ずかしがることを承知でわざとやっていたんですね?


『まさか・・・そんな風に男性をにらんではいけませんよ、()()


『くっ・・・覚えてろよ、周瑜』


ヴェラさんの脇では、彼女からするとチープなスーツに身を包んだプーシキンさんが不満そうに尋ねる。


『周瑜、これなら私達は着替えなくてもよかったのではないか? どうもこの安物のスーツは着心地がよくない。職人の腕が良くないのか?・・・いや、胸の部分が小さすぎるんだな』


私服と胸のサイズ両方を同時にディスられた三枝大尉は涙目で抗議する。


『大臣殿!人の服に文句をつけないで下さい。それでも給料1か月分をつぎ込んで買ったものなんですからあ!』


『しかし大尉、君、ちょっと顔が大きくないか? 本当に私に化けることができるのかい?』


『!!!』


ショックを受ける大尉。まあ、しょうがないよね。二人の体格にそれほど差は無いけど、スラブ人と比較されては可哀そうだ。大丈夫、大尉。君は日本人ではどちらかといえば顔は小さいほうだよ。


『うう・・・分かってましたよ!土台、日本人がロシア美人になりきるなんて無理なんです!こっち見ないでください!教官!』


まずい、大尉の落ち込みは仕方ないにしても、これはちょっと雰囲気が緩すぎる。ここから先は危険と隣り合わせだ。これはさっさと状況の開始を宣言して気を引き締めたほうがよいだろう。


懐中時計で時刻を確認する。よし、ちょうどよい頃合いだ。僕は背筋を伸ばして宣言する。


『さて、皆さん。この後、皆さんにはペテルブルグ駅に移動していただきます。ライリーさん、ヴェラさん、三枝大尉には宮廷の近衛隊馬車に乗っていただきます。ロマノフ家の旗を見せつけて移動します。いつ活動家に襲われるかわかりません。十分にご注意ください』


英国諜報員、腕利きの捜査員そして陸軍軍人の3名に臆する様子はない。危険と向き合うことは彼女たちの日常なのだ。


『陛下と両大臣は一般の馬車にご乗車ください。普段、乗りなれている物より狭いですが、駅までご辛抱願います』


こちらの3名も覚悟は決まっているようだ。国の重責を担ってきた胆力は伊達ではない。


『長岡さん、日本政府の臨時駐在武官として支援をお願いします。安全確保のための武器使用は許可します』


『まかせて』


不適な笑みを浮かべて腰の拳銃に手を添える長岡さん。


僕は目を瞑り深呼吸をする。


再び目を開け7名を順に見渡す。

目が合うとそれぞれが思いを込めて頷き返してくれる。


スターリンは王宮に迫っている。

いよいよ国外脱出の本番だ。

僕は気合を込めて宣言した。


『それでは皆さん、状況を開始します』







読んでいただきありがとうございます。

次回は来週後半の更新を目指します。


ミルズ

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