怪物の創造
『がああ!・・・やめろお!何考えてんだお前え!』
乾いた発砲音と共にブロウニングM1910から男の足首に撃ち込まれたのは9mm弾。この時代の自動式拳銃で最大口径の弾丸は関節を砕き腱を切り裂く。二度とまともに歩くことは叶わないだろう。
これでこの男は一生、僕らを恨み続けるはずだ。
背中で両手を縛られ地面をのたうち回りながらも男は態度を変えない。
『あああ!くっ・・・!そこの女ああ!俺を助けろお!その男を殺せえ!俺は世界の半分を支配する男だぞ!俺に従え!くっそおおお!』
僕の傍で男を見下ろすライリーさんは両手を上げ冷たく彼を突き放す。
『子供を誘拐しておいて今更何を? 同情する余地なしです。私なら貴方を殺してます。生かしてもらえただけでも感謝すべきですよ』
『ぐうう・・・俺はあのガキに手を出してないだろうがあ!・・・お、お前!ドイツ人か? なぜ日本人の味方をする!見れば分かるだろ!こいつはロシア政府に近いものだ!』
『ドイツ人? 馬鹿言わないでください。あれほど融通が利かない連中と一緒にしないで下さい。私は英国人、所属は英国情報部です。ついでに言うと彼に絶対服従する守護者 兼 配偶者ですよ』
その言葉を聞き何かを思い出したスターリンはそれでも毒づくことをやめない。
『英国情報部?・・・くそ!そうか!聞いたことあるぞ!お前がアカシ大佐を守る00か!ちくしょおお!・・・お前たちは絶対に許さない!絶対にだ!必ず後悔させてやるからな!』
この期に及んでも許しを請うわけでなく、むしろ恫喝してくるとは驚きだ。一体どういう神経をしているのだ。自分は死ぬはずがないと信じているのだろうか? その自信の根拠はどこにあるのか。
彼の足首を打ち抜いたブロウニングのセーフティを戻した僕は立ち上りながら彼に告げる。
『スターリン、君をロシア内務省警察に引き渡します。悔しかったら君の言う通り世界の半分を支配して僕らに仕返しすればよいでしょう。投獄された経歴は君に箔を付けますよ。むしろ感謝してほしいぐらいです。これで君は反政府活動家の英雄だ。イワン、いえ、同志レニンを越えたかったのでしょう?』
『絶対許さないからな・・・日本も!英国も!』
のたうち回りながらも恫喝を続ける彼を無視して振り返った僕はヴェラさんに拳銃を返し礼を述べる。
『ヴェラさん、ありがとうございます。これで十分です』
ロシア内務省警察の腕利き捜査官である彼女もまた、甥のドラゴを溺愛するスミルニツカヤ家の女性だ。スターリンを激しく憎む彼女は残念そうに告げる。
『本当に殺さなくていいのか? この男はドラゴに手を出した。このままこの場で撃ち殺しても構わないぞ、周瑜。後は私が適当に処理しておく。君が撃ちたくないなら私が撃っても構わないが』
『それはだめです。彼を逮捕し尋問して下さい。オスマントルコ帝国が組織的に他国の活動家に資金援助をしていたことの確たる証拠を掴んでください』
『分かった。君がそう言うなら我々も厳正に法を執行しよう』
その場を去ろとする僕とライリーさんの背中にスターリンは罵声を浴びせる。
『覚えてろ!日本人と英国人!お前らは絶対許さない!国ごと叩き潰してやる!』
彼の執念の叫び声はその場を離れようとする僕の心に強く刻まれる。
その日の夜。オデッサのホテルで、自ら始めた企みに体を震わせる僕を、ライリーさんは優しく抱きしめてくれる。これで日本は引き返せなくなった。彼が革命を成し遂げた暁には、日本と英国は彼の復讐の対象となるだろう。それが僕のねらいだ。
ここで殺してしまう訳にはいかない。
彼には果たしてもらわなければならない役割があるのだから。
=====
日本の諜報員に撃たれる1週間前。
人口40万を超えるロシア第4の都市オデッサ。共産主義社会の実現を目指し打倒帝国政府を唱えたレニンが活動拠点としたこの大都市には、反政府組織を支持する労働者が数多く生活し、革命組織 ”ソヴィエト” のアジトも多数存在する。この街に逃げ込めば捜索が難航することは明白だった。
<警察はオデッサに足止めされる>
そんな部下の見通しを信じたスターリン。オデッサ駅に降り立った彼は、大半の部下を ”おとり” としてこの街に残し、見た目の美しい者5名を引き連れ郊外の小さな漁村 ”イリチフスク” へ移動する。
黒海沿岸に数多く点在する漁村。その中の1つ、人口200名に満たないこの漁村に活動家が潜むとは予想しにくい。風光明媚な景色に佇むアジトに到着したスターリンは気を緩め、同行する女性部下と順番に同衾しながら魚介料理を堪能する。この地を気に入ったスターリンは騒ぎが収まるまで滞在することを決める。
アジトに入り1週間が過ぎた朝、重用する最も容貌の美しい女性部下に彼はたたき起こされる。気が付くと南北に走る海岸沿いの幹線道路はロシア内務省警察に抑えられ、黒海に面する港もオデッサ海上警察により封鎖されている。追い詰められた一行は西から村を脱出。内陸に向かい丘陵地帯を徒歩で移動し始める。
*****
延々と続く田園の農道を歩きながら苛立ち始めるスターリンは辛うじて普段の口調を保っていた。
『何故ちっぽけな漁村にあんな部隊が押し寄せるんスか? 警察はオデッサ市街の捜査で足止めされるんじゃなかったんスか!』
『・・・』
部下達に返す言葉はない。彼女達の沈黙は余計に彼の苛立ちを募らせる。
『大体、8歳の子供が突然、列車から消えるなんておかしいっしょ!君ら一体何やってたんスか?』
『・・・』
『ああ!もう!・・・一体いつまで歩くんスか!もう疲れた!』
『今しばらく』
『それはもういいッスから!距離を聞いてるんスよ!あと何キロっスか!?』
『まだ5キロほどしか移動していません。あと15キロほど西に移動すればドニエストル川の河口に出ます。そこからは船で黒海を移動できます』
『じゅっ、15キロ!? 』
自分の身に苦痛が降りかかった途端、彼の本性が姿を現す。目付きと口調の変化に部下たちは一様に顔色を曇らせる。こうなった彼は手が付けられない。
『っざけんな!おい!さっきの漁村に戻って馬を確保して来い!俺は此処で休む。15キロなんて無理だ。ほら!お前、今すぐ行け!早く!!』
『河口に着いたら乗船しますから馬は乗り捨てることになりますが』
『買い上げればいいだろうが!早く行けよ!一人なら疑われることもねえだろ!何度も言わせるな!』
彼の突然の横暴と浪費は今に始まったことではない。だが20キロの徒歩移動を強いるのは確かに厳しい。無言で視線を交わした部下の一人がため息をついて歩いてきた道を引き返し始める。
*****
部下の一人が馬の確保に向かい既に3時間。業を煮やしたスターリンは別の部下に再度命ずる。
『くそっ!さっきの女、俺を裏切りやがった!おい!そこのお前!お前が行って馬を連れて来い。ほら!金だ!早く行け!』
投げつけられ地面に落ちた札束を拾い上げた女性は複雑な表情で仲間と視線を交わす。これ以上、自らの足で移動するつもりは彼には毛頭無いらしい。だとすると足の確保は早いに越したことはない。彼女は村に向かって歩き出す。
二人目の部下がこの場を離れて5分、丘陵地帯の丘の向こうから小さな悲鳴が聞こえる。残された3人の部下はその叫び声から彼女たちが置かれた状況を即座に理解するも肝心の上司は想像力が欠如しているかのような指示を出す。
『ああ!何だ?今の声は?・・・おい、お前!ちょっと行って見てこい!』
”戦力の逐次投入”
極めてまずい状況にあることに気づいた3名は恐怖の表情で顔を見合わせる。即座に逃げるべき状況にも関わらず上司は深刻さを理解していない。
『同士スターリン、立って下さい!急いでこの場を離れましょう!』
『はあ?何度も言わせるな!俺は疲れたんだ、もう歩きたくない!お前たち二人、あの声を確認して来い。妖しい奴がいたらお前たちが片づけるんだ。武器はあるんだろ?』
絶望的な命令。なぜ自分が追いつめられていることに思いが及ばないのだろうか?もはや彼にはついていけない。上司の無能を思い知った3名の女性活動家は、一刻も早く自らの運命を切り開こうと無言で彼から距離を取リ始める。
『おい!・・・お前たち!何のつもりだ?』
この期に及んでも彼には恫喝しか能が無いようだ。その口ぶりが余計に部下の心を遠ざける。一人が駆け出したのを合図に全員がその場から走って逃げ始める。
『おい!待て!・・・こら!裏切るのか!』
怒りで肩を震わせつつも、彼にはその場に立ち尽くすことしか出来なかった。
*****
5分後、一人残された彼はゲルマン系の女性エージェントとロシア内務省警察に取り囲まれる。激しい抵抗も空しくいとも簡単に拘束され両手を背中で縛られた彼は、ゲルマン系女性の背後から姿を現した日本人を初めて目にする。その日本人は怒り狂う彼に落ち着いて自己を紹介する。
『初めまして、ヨシフ・スターリン。僕は日本陸軍に所属するモトジロウ・アカシです』
その名前に驚愕し言葉を失う彼に日本人は続ける。
『貴方が誘拐した子供の父親です』
彼は気づいていた。
その日本人の手に拳銃が握られていることに。
読んで頂きありがとうございます。
次回は来週中ごろの更新を目指します。
ミルズ




