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東條さんの憧れ


陸軍幼年学校や士官学校は若き日の私にとって憧れだった。


残念ながら陸軍の学校への入学が許されなかった私は、親の助けを借りることなく一兵卒として従軍し、少尉試補を経て苦労の末に陸軍大学の入学資格を得た。自分の経歴に劣等感のあった私は、優秀な成績で大学を卒業することでそれを上書きしようと誓い初登校の日を迎えた。


仮校舎で迎えた最初の授業。15名の同期生は広い教室で思い思いの席に着いた。窓際の後方、一際小柄な同期生がいることは気づいていた。窓の外を眺めるその学生の顔を伺い知ることはできない。教官が現れ全員に自己紹介を促す。着席した場所に従い順番に行われた自己紹介の最後、窓際に座る背の低い学生を教官は指名した。


「次、明石君。君の番だ。」


教官がその学生だけ顔と名前が一致していたことに違和感を感じた。立ち上がったその学生は、一番背が低いだろうと覚悟していた私よりさらに5cmほど低く見える。この体格で授業についていけるのだろうかと、心配した矢先、その声を聞いて驚く。


「明石元二郎です。よろしくお願いします。」


!!!この人、男性?! なぜ男性がこんなところに?同期生も皆、彼の声に驚き、固まっている。教官が付け加える。


「聞いての通り、彼は陸大1期生唯一の男子学生で、今年、士官学校を卒業した同期最年少だ。いろいろ苦労もあると思うので、皆、助けてやってほしい。」


軍人となって以降、これほど近くで成人男性を見たのは、彼が初めてだった。



*****



学生生活が始まり数か月。同期の性格や得手不得手も分かり始める。

”彼” は座学は優秀で私に次ぐ成績を収めている。しかし現役女性軍人の中、体力に劣る彼は実技科目で苦労していた。それでも必死に授業について来る彼の姿勢に、多くの同期生は心を打たれていた。


同期生は皆、彼のことを常に気にかけていた。本人はそんな周囲の気遣いを寄せ付けず、一人、孤独に勉学に励んでいる。だが、人を寄せ付けない彼の強さの裏に、どこか無理をして虚勢を張る脆さも垣間見える。私も含めた多くの同期生は、彼の意思を尊重し、あえて一定の距離を保った。


そんな中、秋山さんと山縣さんは、彼に積極的に声をかけ続けた。秋山さんは彼の閉ざされた心を開こうとして、山縣さんは年長者として日々の苦労を気遣うように、冷たく拒絶されようとも声をかけ続けた。その努力は徐々に実を結び、彼は少しづつ二人と会話を交わし始める。


彼が二人と会話を始めたころから、私の中で彼に対して複雑な思いが募り始める。

体力的な劣勢を跳ね除け努力する彼の姿勢を、私はとても好ましく感じた。その凛とした態度に今まで感じたことのない特別な感覚を覚える。軍人となった以降、異性を近くで見ることがなかった私には、その感覚が何なのか、自分でも判断できなかった。


しかし、彼の立場を客観的に考えれば、その行動に賛同はできない。この世に男性として生を受けたからには、子孫繁栄に貢献することこそ、貴重な男性に求められる義務のはずだ。何故、陸軍大学に入学したのか?厳しい戦場で、彼は自分がどれだけの役割がこなせると思っているのか?私には理解できなかった。



*****



1年後、進級試験の結果、数名の同期生が大学を去った。体力的な劣勢の中、努力により実技教科の単位を取得した彼は、無事、二学年に進級した。周囲はそんな彼の努力を祝福した。私も、彼の努力が報われたことは喜ばしいと感じた。だが、このまま進級し卒業した暁、彼はどうするつもりなのか?


士官学校卒業後は陸大という進学の道があった。だが、大学を卒業した後には従軍しか道は残されていない。なぜ周囲は彼が前線に出る可能性を危惧しないのか?ある日の終業後、私は意を決して彼に初めて声をかけた。


「明石君、話があります。」


彼は警戒した面持ちで私を見つめながら返答する。


「何かな?東條さん。」


初めて彼と直接言葉を交わした私は、彼の真っ直ぐな視線に戸惑う。なぜこんなに心臓の鼓動が速まるのか。彼を直視することができない。私は視線をずらした上で考えていた疑問を告げる。


「明石君。不断の努力により無事進級を果たしたことは立派です。でも、このまま進級し卒業したら、次には従軍という選択肢しかありません。貴方は貴重な男性です。戦場に出ること以上に、男性として果たすべき社会的役割があるのではないですか?」


私の疑問を聞いた彼は、まるで私との議論を拒絶するかのような冷たい表情で応える。


「僕には僕の考えがある。僕は僕の人生を僕の考えに従って生きる。君は他人の人生のことなど気にせず、自分の人生について気にすべきだ。」


彼の主張はもっともだ。だが同時に、彼には男性としてこの世に生を受けた義務もあるはずだ。


「貴方はご自分が戦場で役に立てるとお考えですか?そうであるならば、残念ながらそれは難しいと言わざる負えないでしょう。体力的に無理です。男性としての義務を放棄してまで、陸軍大学を卒業し何をなさるおつもりですか?」


ここで初めて彼は私から視線をそらす。私の主張を否定することが難しいと感じたのかもしれない。その表情に私は何か儚いものを感じた。


「戦場に出ろと命令されれば出るよ。とは言え僕は、自分が戦場で役に立つとは思ってはいないよ。卒業出来たら僕は情報部への所属を希望する。来るべきロシアとの戦争では諜報戦で戦果を挙げなければ勝利は望めない。男性諜報員には女性には成しえない特別な戦果を望めると思う。僕がその役割を担う。」


初めて彼の主張を聞いたとき、私には彼の真意が理解できなかった。彼の意図を正確に理解できたのは、その後しばらくして、戦術の授業で諜報戦について学んでからだった。



*****



陸軍大学の教官は、皆、学生思いの立派な方ばかりだ。だが、唯一、銃剣術を指導するフランス人教官は違って見えた。


普仏戦争でのプロイセンの勝利を受け、陸軍はその軍制式をフランス式からドイツ式に変更していた。これを受け陸大はフランスから招へいした銃剣術の教官を半年後に罷免することを決定した。遠く祖国を離れこの国の将来を思い来日したフランス人教官の胸の内は理解できなくもない。しかし彼女はそのやるせない思いのはけ口として、私たち学生を選んだようだ。正確に言えば、私たちではなく、彼を。


もともと体力に劣る男性が授業に加わることに否定的だった彼女は、半年後の罷免が決定した以降、授業で露骨に彼に厳しい指導を始めた。明らかに男性には困難と思える課題を彼に押し付け始めたのだ。


そんな彼女のやり方に同期生は納得せず、単位を放棄し授業への参加を拒む学生が現れ始めた。しかし、周囲の説得にも応じず彼本人はどれだけ厳しく指導されようとも銃剣術の授業を受け続けた。結局、フランス人教官の最後の授業に出席したのは、まじめな私と強い意志で彼女の指導に耐え抜いてきた彼の二人だけだった。


彼女の最後の授業、教官は私たちに単位認定試験として試合を申し付けた。


「時間は無制限。互いに1本でも有効打を打ち込めば、単位を認める。何本でも構わない。やめたくなったらいつやめてもいい。手を抜いて打ち込んだ場合は二人とも単位は無しだ。」


木製の模擬銃剣による打ち込みは重い。私が本気で彼に打ち込めば、怪我をさせる恐れがある。試合が始まっても、私は彼に本気で打ち込む決心がつかず彼の打ち込みを払い続けた。


ひたすら打ち込みを払い続けること10分、彼は見るからに疲弊していた。立っているのがやっとの状態だ。そんな彼の様子を無言で教官は見守っている。周りでは授業をボイコットした同期生が不安なまなざしで試合を見守っている。何かあったらすぐにでも飛び出して彼を救うか、教官にとびかかりそうな勢いだ。やがて、息も絶え絶えに彼が私に告げる。


「東條さん・・・・僕を馬鹿にするのもいい加減にしろ・・・・本気で打込みたまえ。」


返す言葉がない。彼は試合をあきらめるつもりはないようだ。だからと言って、手を抜けばここまで教官の授業を耐え抜いてきた彼の単位まで消し去りかねない。仮に怪我をしても生活に支障が出ないよう、左上腕を狙い本気で打ち込む。


「一本」


静かな教官の一言。左腕を押さえ銃剣を落とした彼はうずくまる。もはや疲労で立ち上がることも無理だろう。打ち込んだのは私だ。それなのに、心がひどく痛む。何が私をこれほどつらい思いにさせるのだろう。私はうずくまる彼を見るに忍びなく、振り返って武道場を後にしようとする。


「まだだ。まだ終わらない。」


振り返ると、彼が右腕一本で銃剣を構えふらふらと私に向かってくる。彼の姿に驚いた私は防御を取ることも忘れ彼の打ち込みを直接肩で受け止める。勢いのない打ち込みにさほど痛みは感じない。その打ち込みを最後に彼はその場に崩れ落ちる。近くで見ていた山縣さんが彼を抱え武道場を後にする。同期生たちは怒りに震えて教官を取り囲む。彼女たちを前に、フランス人教官は最後に言葉をかけた。


「彼の一本は有効だ。君たち、よく覚えておくがいい。今日の試合で彼のおかれた立場は、将来、ロシアと相対したときの君たちの国そのものだ。ロシアと敵対して勝利を収めることがいかに難しいか、彼の姿を見ればわかるだろう。」


最初こそ怒りの表情で彼女を取り囲んだ同期生たちも、彼女の真意を理解できずに立ち尽くす。


「私の最後の授業はこれで終わりだ。悔いがあるとすれば、貴重な男性を戦場に送り込む事態を止めることができなかったことだ。彼のような立派な男性を無駄に死なすのは愚かなことだ。何とか止めたかったが叶わなかった。」


そう言い残して教官は私たちの前を去った。

その年、教官は全員の銃剣術の単位を認定し、私と彼の二人に ”優” を与えたことを後日知った。



*****



その日以来、私は自分が彼に感じている感情が、異性に対する特別なものであることを自覚し始める。

大学では、気づくと彼の姿を追い、その横顔をそっと眺めた。実技科目で必死に授業についてくる彼を心の中で応援した。同時に、彼が将来、諜報員となることに強い不安を感じた。それはあまりに危険な任務だ。私はたびたび彼に話し合いを申し入れ、退学するよう彼を説得し続けた。そのたびに彼は私の主張を退けた。


三学年になったある日、彼は大学で体調を崩す。

数日で健康を取り戻した彼は、その日以降、少しづつ態度が変化していった。他人を寄せ付けないような態度が薄れ、素直で優しい一面や、弱い一面が見え始める。そんな一面を目にすることで、余計に私は彼に惹かれた。彼が危険な任務に赴こうとすることが、切なくてならなかった。


私だって人の気持ちを察することはできる。

山縣さんも私と同じように彼に惹かれていることは気づいていた。私と違うのは、彼も山縣さんに惹かれているということだ。彼と彼女は互いに思いが通じている。それを思うと胸が痛む。でも彼は諜報員として任官するという彼の意思を曲げようとしない。彼らは互いに思いが通じ合っているにもかかわらず、卒業したらやがて離れ離れになることを受け入れようとしている。私にはそんなことはできないだろう。もしかしたら山縣さんのほうが、私よりもずっとつらいのかもしれない。



*****



三ヵ月後に卒業を控えた12月の寒い日、私が憧れ、着ることが叶わなかった陸軍幼年学校の外套を着た彼が登校した。その姿に衝撃を受ける。彼は私の憧れだった幼年学校の生徒のようにも見える。彼の姿は、私の中の異性に対する憧れと、自分が経験できなかった夢を重ね合わせた存在のように思えた。その姿が愛しくてならない。その日に撮った彼の写真は大切な宝物だ。


卒業したら私は現場に戻る。いつか、ロシアと相対するときが来るかもしれない。そんな時は、ボロボロになりながら私に立ち向かった彼の姿を思い出すことにしよう。そして、かならずロシアに勝利するのだ。その時、同期は皆、無事だろうか?


もし、彼が無事に諜報員としての役目を終え、この国に戻ったら、彼の子供を産みたいとお願いしようと思う。男性は出来るだけ多くの女性に妊娠の機会を与える事が望まれている。もしかしたら、私の願いを聞き入れてくれるかも知れない。


誰にもあり得ないとは言い切れないはずだ。












私は個人的には一番好きなキャラです。

むっつりスケベ系のメガネっ娘に目がないもので。


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