長岡外史
この時代、軍馬を乗りこなすのは将校の嗜みの一つらしい。でも近くで見ると、大きくて正直怖い。
今日は午後、射撃訓練を行う。射撃場は大学から距離があるため、軍馬で移動するそうだ。ちょっと待ってほしい。いきなりこれに乗って移動って、無理でしょう。・・・・どうしよう。
「明石君、どうしたんだい?もしかして馬が怖いのかい?」
馬を前に僕が恐怖に足がすくんでいると、山縣さんが声をかけてくれる。ごめん。ちょっと、いきなり乗るのは無理かもしれない。今日は射撃訓練やめようかな。
「先に馬術の講義があったらよかったのだけどね。でも、射撃の講義は限られているから、今日、講義に参加しないと、いきなり射撃試験に臨むことになってしまうよ?」
それはそうだけど・・・仕方ない。僕は徒歩で移動するよ。馬は校内の厩舎にいていつでも練習できそうだから、今度、馬術の得意な秋山さんにでも教えてもらうことにする。山縣さん、僕の事はいいから君は移動してくれてかまわないよ。
僕が馬での移動をあきらめたとき、山縣さんは無言で僕の手を取って自分の馬のところに移動をした。そこで、僕が肩から掛けている小銃を自分の肩にかけ、しなやかな動きで馬に乗る。そして馬上から下にいる僕に笑顔で手を差し伸べてくれる。
「さあ、明石君、一緒に乗ろうか。」
僕は山縣さんと一緒に馬に乗せてもらい、射撃場まで移動させてもらうことにした。
って、ちょっと待った。この足を揃えた横乗りは勘弁してほしい!
「前向きが良いのかい?じゃあ前に座る君が先に乗らないと。ちょっと待って。」
山縣さんは一度、降りてくれて、もう一度僕から先に乗る。彼女の助けを借りてようやく馬を跨いで僕が彼女の前に乗ることが出来た。山縣さんはこのやり取りが楽しかったようでずっと笑顔。恥ずかしいけど、おかげで馬に少し慣れることができた。
*****
秋山さんは、馬に乗るなり掛け声を上げ、走り去ってしまう。楽しそうだね。まるで水を得た魚だ。
山縣さんと二人で馬に乗り常歩で移動をしていると、東條さんが僕たちの近くに馬を寄せて話しかけてくる。馬上の女性軍人って、背筋が伸びててみんな凛々しく見えるね。
「明石君、どうしました?馬に乗れなくて困っていたようですが?大丈夫ですか?」
僕は痛い所を突かれて、思わず素直に応えてしまう。うん、ちょっと馬が怖くて・・・・・
言ってから失敗したと気づく。東條さんに弱みを見せると、まずいかもしれない。
「・・・・そうですか。秋山さんほどではないですが、私も馬術はできますので、今度、授業終わりにでも、一緒に乗り方を見てあげましょうか?」
東條さんの意外な申し出に驚く。そうか、この娘は人の弱みに付け込むようなことはしない、優しい娘なんだ。僕はうれしくて素直にお願いする。
よろしくお願いするよ。山縣さんにも手伝ってもらおうと思ってたんだ。
「承知しました。そうですね。馬の世話もありますし、明日の終業後にでも、3人で厩舎に行きましょう。」
東條さんの笑顔がまぶしい。
秋色に染まる街路樹の下、僕は山縣さんと一緒の馬上の移動を楽しむ。この時間を忘れないようにしたい。
*****
使用する8mm口径の村田銃は、日本初の本格的な国産小銃だ。ボルトアクション方式のその銃は、性能や信頼性において、日本の銃製造技術を一気に国際レベルに押し上げた明治時代の名器であり、多くの猟師にも愛用されている。
日清戦争において、清は外国製の様々な小銃を輸入した。一度に手配できる量が限られるため、どうしても数種類の銃を部隊に配備することになる。当時、まだ小銃の弾丸に国際的なスタンダードはなく、部品も共用化していない。したがって部隊に複数の小銃が存在することは歩兵の運用面で負担になる。一方、日本は村田銃で統一しており、どの部隊も同じ信頼性・精度・火力の下、指揮官は常に一定の歩兵部隊の運用性を確保できた。村田銃の量産化も、日清戦争の勝利の要因の一つに数えられる。
とはいえ、この時代の小銃は製造公差が大きく、銃の個性による命中精度のぶれはそれなりに大きい。僕はどうしても射撃でよい成績をとれないで苦しんでいた。自分で撃つ銃を自分で整備するんだけど、それがうまくないような気もする。実は山縣さんも苦手らしく、二人で苦戦していたところ、彼女が打開策を思いつく。
「長岡さんが射撃が上手だから、彼女に助言を求めてみようか?」
成程。たしかに、あの娘の射撃は天下一品に見える。よし、思い立ったら即行動だ。
*****
僕は山縣さんとともに、射撃訓練中の<長岡外史>さんのもとに向かう。彼女は射撃を終え、単眼鏡で自分の成績を確認中だ。
「長岡さん、もしよかったら、僕たちに射撃を教えてもらえないだろうか?」
彼女は振り返って僕たちを一瞥し、短く返答する。
「いいわよ。」
身長は180cm程度、山縣さんと同じくらいだろう。特徴は襟足から跳ね上がった長く真っ直ぐな毛先。左右の真横にまっすぐ伸びている。表情は常に冷静で、割と無口だ。長い手足とその風情はクールビューティという表現が当てはまる。助言をお願いするとすぐに了承してくれたことからも、実は優しい心持ちかもしれない。彼女は、自分が撃っていた小銃を指し、僕に指示する。
「明石君。まずはこれで撃ってみて。しっかり狙って。」
僕は地面に伏せた伏射で的を狙う。射撃の基本だ。距離は30メートル。我流で必死に狙い一発撃つ。結果は、中心から左上に15cmほどずれたところ。中心10cmの円に収まっていない。それを見た長岡さんがもう一度、指示する。
「もう一度。狙いを変えないで、同じ的を同じように狙って撃って。」
僕はもう一度狙う。先ほど左上にずれた手前、次は少し右下を狙って一発。結果は右下、やはり中心円を外れて、的中しない。それを見た長岡さんが言う。
「あなた、私の言いつけを守らなかったわね。二発目は一発目を鑑みて的の中心ではなく、右下を狙ったでしょう?」
え?うん。だって、最初の一発で中心を狙ったら、左上に外れたから。
「明石君、貴方の銃を貸して。」
彼女は僕の銃を手に取ると一瞥し、一言、感想を述べてから射撃姿勢に入る。
「あまり綺麗ではないわね。」
う・・・・すいません・・・・
彼女は最初の一発を撃つ。単眼鏡でみると、的に対して10cmぐらい右横、中心円の外に外れる。
「もう一発。」
二発目を撃つ。一発目と同じ呼吸だ。あ!!・・・・
当たった場所は中心円には入ってはいない。
でも、先ほど外れた場所と数cmしかずれてないとても近い場所だ。
これは・・・
「次は当てる。」
一言残して彼女は3発目の射撃に入る。呼吸はまったく同じ。自然な流れで撃つ。
結果は見事中心付近だ。
「私が言いたいことは分かる?」
うん。つまり、同じように狙った時に、同じ場所を撃てるからこそ、銃の個性も吸収できるんだね?
「そう。銃の狙いが外れる原因は、銃自身の公差によるずれと射手のずれ。前者は狙いに対して同じようにずれることが多い。はずれた位置に対するばらつきは小さい。一方、射手のずれは毎回違う。そこには大きなばらつきが付きまとう。」
確かに、人間の方がばらつくだろうね。
「ただし、このばらつきは、訓練で小さくすることができる。あなたはまず、あなた自身のばらつきを小さくするべき。銃の個性に合わせて狙いを調整するのはその後。撃つたびに狙いを変えていては、狙いのばらつきと射手のばらつきが重なり、結果が一定しない。」
うん。そうだね。君の説明、すごくよく分かったよ。山縣さんも彼女の説明に納得したようで、長岡さんの技術に感心している。
「射手のばらつきを減らすには、まずは当たろうと当たらまいと、常に同じ姿勢、呼吸、視点で狙うことが重要。とにかく、的の中心をよく狙う。後は訓練と集中力。出来るだけそれに時間を費やし、的の位置を意識して調整するのは、最後の1発で十分。」
分かったよ。長岡さん!ありがとう。
僕が笑顔で礼を言うと、彼女は頬を染め俯き加減でつぶやいた。
「かまわない。がんばって。」
その後、僕と山縣さんは場所を変えそれぞれ射撃を繰り返した。<同じ姿勢、呼吸、視点で狙う>これを守ることで、だいぶ射撃が安定した気がする。
そして最後の一発、見事、中心円ぎりぎりに収まる。
「やった!当たった!」
嬉しくて山縣さんを見ると、彼女も中心円をとらえることに成功したらしい。笑顔で見返してくれる。これなら射撃の試験も何とかなりそうだ。
*****
夕暮れ時。
空に浮かぶ秋の雲は、綺麗な茜色に染まっている。
射撃場からの帰りの馬上、山縣さんとの会話を楽しむ。
長岡さんのおかげで、射撃の試験は通りそうだよ。彼女には感謝しないとね。
「彼女、座学は得意ではなさそうで困っていたよ。特に砲術の弾道計算については、私も含め何名かの同期生はとても苦労しているので、明石君が分かりやすくコツを教えてあげたら、彼女も含めみんな助かると思うよ。」
そうだね。あれは解き方にルールがあるから、僕でよければ教えてあげられるよ。
「じゃあ、そのとき私も教えてもらおうかな。」
山縣さんには、とても世話になっているから、宿舎でいくらでも教えてあげるよ。
彼女は嬉しそうに応える。
「私は宿で、一人だけの時によろしく頼むよ。」
そうだね。あとで、一緒に勉強しよう。
僕らが乗る馬は、僕たちが会話を楽しんでいることに気づいているのかもしれない。
他の馬よりゆっくりと進んでくれていた。
前回がちょっとシリアスすぎたので、これで雰囲気を戻します。
陸軍大学校編、長い。早く卒業して・・・