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周瑜の午後


突然現れた東條さんは、部屋に入ると自ら(ねや)に飛び込み布団に顔をうずめて号泣し始める。中佐といい東條さんといい何故そこまで泣けるのか。此処で働かなかったとしても、目的を達するために僕がやるべきことは変わらないんだけど。


暫く泣き止みそうもない彼女はそのまま、漢服に着替えた僕は、教わった方法で丁寧にお茶を煎れる。香ばしいお茶の匂いが部屋に立ち込めた頃、泣き止んだ東條さんは僕を見て頬を染めながら呟く。


「明石君、その恰好、とてもよく似合います・・・素敵です」


涙が乾かないうちに表情が明るく変わる彼女。思い切り泣いたことで、すっきりしたのかもしれない。女性の羨ましいところだ。


「ありがとう。はい、お茶をどうぞ。まだ勉強中だから美味しいかどうかわからないけど」


温かいお茶を飲んだ彼女は素直に褒めてくれる。マダムの煎れたお茶はもっと美味しいけどね。


「落ち着いた?最初に言っておくけど、互いの近況や任務については聞かないことにしよう。その代わり、この娼館のルールや、”周瑜(ぼく)” の事についてなら聞いてもらっても構わないよ」


僕の忠告を聞いた東條さんは眼鏡を外して涙を拭い、彼女が気になる事を尋ねてくる。この世界の女性にしては体格に恵まれない彼女が涙を拭う姿は以前の世界の女性を思い出させる。


「あか・・・周瑜さんはもう何人も此処でお客さんを相手にしているのですか?」


「一度もないよ。この店は、事情を抱えた健康な男性を富裕層の女性に傾斜する商売をしてるんだ。男性の初仕事は病気の心配がないので高い値段が付くんだよ。今の僕は絶賛売り出し中で、より高く買ってくれるお客をマダムが探してる最中だよ。安心した?」


「もしかして綺麗な格好で市場をこれ見よがしに歩いていたのは」


「あはは、これ見よがしって、君にはそう見えたんだ。 でも、ご明察。確かにあれは一種のパフォーマンスだよ。見物人も皆そのことを承知で僕を物色していたんだ。スーツもコートもマダムが用意したものだよ。笑顔を振りまくのが今の仕事なんだ」


「高い値段が付いたらその客を取るのですか?」


「僕は目的の客から指名が来るのを待ち構えているんだ。誰彼構わず客を取るつもりは無いよ。いつも店に着いたら、午後はお店を掃除したり日向ぼっこをしたり、時々お使いで市場に出かけるぐらいだよ。今のところ此処での ”周瑜” としての仕事は気楽なものだよ」


「・・・」


「ということで、残念だけど今の僕は、君をお客様として迎えるわけにはいかないんだ」


「私は・・・貴方を買いに来たわけでは・・・」


バツが悪そうに俯いて肩を竦める彼女。落ち込んだ彼女を見ると胸に鈍い痛みが走る。あとひと月もすれば開戦する。互いに危険に身を置く僕らが再び会える保証はどこにもない。それでも彼女は自分から言い出すことはないだろう。


僕は彼女の為に一計を案じる。


「初仕事の前には、いろいろ教わった技術がちゃんと身についているか、試験が必要だってマダムから言われているんだ」


「え?・・・試験?」


彼女の上着を脱がしてあげながら、僕から優しくお願いする。


「本当は今日、マダムを相手に試験するはずだったんだけど、病気の心配がない別の女性を連れてきても良いって言われてたんだ。もし君が良ければ、僕を試してもらえると助かるんだけど」


「あか・・・周瑜さん。私で良いのですか?」


明るさを取り戻した彼女の表情を見ると此方まで自然と笑顔になる。こんな時でも僕の呼び名を間違えないようにする彼女の努力がいじらしく感じる。僕は優しく彼女に問いかける。


「良いも何も、僕がお願いしてるんだよ? 僕を試してもらえる?」


せっかく収まった涙が再び彼女の瞳を満たす。ゆっくりと僕の両肩に手を載せた彼女は、口づけの後に返事をくれた。


「はい・・・貴方を試させて下さい。周瑜さん」




*****




すっきりとした笑顔で別れの言葉を述べる東條さん。


「周瑜さん、今日はお騒がせして申し訳ありませんでした。数か月もすれば旅順は戦場になります。それまでにはこの地を離れて下さい」


「分かったよ、君も気を付けて。ではまたね。武運を祈ってるよ」


玄関口でマダムと二人、笑顔で彼女を見送る。

彼女の姿が見えなくなると、マダムが綺麗な英語で尋ねてくる。


『周瑜殿、彼女、私に対して貴方のことを一生懸命、褒めていましたよ。何か彼女に言ったのですね?』


『はい。彼女は覚悟の上で戦いに臨もうとしていました。”周瑜”としてではなく、”明石”として、彼女との時間を過ごさせて頂きました。申し訳ありません、マダム』


マダムは微笑んで許してくれる。


『構いませんよ、周瑜殿。ところで、彼女は貴方の恋人ですか?』


僕にとって、東條さんはどんな存在なのだろう。

僕は彼女とのことを思い起こす。


大学で僕に退役を進めてくれた時の真剣な顔。

僕の世話を焼いてくれる時の優しい顔。

舞踏会で僕を守ろうとした時の必死な顔。

ポツダムに行く約束が破られた時の切ない顔。


ドイツで過ごした際の彼女との ”関係” を思い出した僕は、マダムに応える。


『彼女は僕の ”婚約者” でした』


その言葉を口に出した途端、一晩だけ本当の婚約者になりたいと願った彼女の泣き顔を思い出す。


眼鏡がよく似合う真面目な彼女は、小さな体に似合わずどんな事も諦めずにやり遂げようとする。そんな彼女の事が心配でたまらない。


「・・・あれ?」


突然、ぼやけた視界と流れ落ちる涙に戸惑う僕を、マダムは優しく抱きしめてくれる。


『冷えてきましたね、周瑜殿。こうすると暖かいですよ』


『ありがとうございます、マダム』


『いいですよ。貴方に体を壊されるわけにはいきませんから』


マダムの腕の中、僕は彼女の無事を祈った。











読んで頂きありがとうございます。

前回および今回は、箸休め的なお話でした。

次回から、事態が動き出します。

来週中ごろ、更新を目指します。

また読んで頂ければ嬉しいです。


ミルズ

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