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落花流水 ~ あべこべ世界でスパイ大作戦 ~  作者: ジョン・ミルズ
在パリ日本大使館 駐在武官編
49/102

恋に落ちたスパイ

早朝にジュネーヴを出発したリヨン行きの一番列車。

リヨン経由でパリに帰任する僕と()()さん、さらにパリからルアーブル港に向かうシリヤクスさんの3人で同じ客室に乗車している。僕はシリヤクスさんの隣に座り彼女が纏めた長期活動計画と予算見積について説明を受けている。


『日本円にして約87万円・・・大きな額ですね』


『アカシ少佐、君が無理をする必要はないのよ。これはあくまでも理想とする計画。私もこれだけの金額を日本が工面できると期待しているわけではないわ。これより少なくても活動は可能よ』


確かに大金だ。日本の歳出規模が2億円程度であることを考えると、諜報戦に国家予算の0.5%弱も投入するなど普通では認められないだろう。だけど参謀総長には必要な予算は全て申請しろと命じられた。命令に従うなら僕の判断で額を変えるわけにはいかない。シリヤクスさんの立てた活動内容が妥当でその見積額が合理的である限り、そのまま申請書に記載するのが僕の仕事だ。


僕は横に座るシリヤクスさんの目を見つめてしっかりと返事をする。


『シリヤクスさん。僕は金額を約束できる立場にはありません。でも貴女の計画は妥当で見積も合理的と判断します。なので、これをそのまま申請額として参謀本部に申請するのが僕の仕事です。さすがにこれだけの金額が容易に認められるとは思いませんが、上司は最大限の努力をしてくれるはずです。結果が出るまでお待ち下さい』


シリヤクスさんは僕の肩に優しく手を添えて笑顔でお礼を述べてくれる。


『苦労を掛けるわね、アカシ中佐。いつか私たちが独立出来たら、君に助けてもらった恩は決して忘れないわ。本当にありがとう』


『独立はシリヤクスさんたちの活動の成果ですし、それはロシアと対決する日本の助けにもなります。それにお金は日本国民の税金で、僕はただ書類を書いただけですから』


僕も笑顔で返しシリヤクスさんと見つめあう。彼女はいつも僕に優しくしてくれるから僕にできることは精いっぱい頑張って返したい。


『あ!あの、二人とも!そんなに見つめあう必要はないのではないですか?支援の話はそろそろお終いでしょ?』


目の前に座る()()さんが、見つめあう僕とシリヤクスさんに茶々を入れようとする。シリヤクスさんはそれが気になるようだ。


『ねえ、アカシ中佐。ライリーが何やら騒いでいるけど、どうしたの?君達、朝から様子が変よ』


『ライリーさん?誰ですかそれは?そんな人、僕は知りません。さ、シリヤクスさん、そろそろリヨンに着きます。降りる準備をしましょう。お腹空きませんか?着いたら二人で何か食べませんか?』


『ちょっと、モトジロウ!それは無いです!私は貴方の指導教官ですよ!』


汽車はリヨン駅に滑り込む。この人は最近、調子に乗りすぎている。何がお仕置きだ!この人こそお灸を据える必要がある!ちょっとは反省すべきなんだ!

僕は目の前の()()さんのことなど無視して汽車を降りる準備を始めた。



*****



リヨン駅での乗り換え。僕は荷物を持ち三人の先頭を大股で急ぐ。後ろからは心配そうなシリヤクスさんと()()さんの会話が聞こえてくる。


『ねえライリー、貴女たち喧嘩でもしたの?私までやり辛いじゃない!』


『実はイワンとの面会での彼のミスについて昨夜お仕置きをしたのですが。ちょっと調子に乗りすぎてしまいまして、彼を怒らせてしまったようです』


『お仕置き?貴女、一体何したのよ?彼が怒るなんてよっぽどのことよ!』


『いや、それが思い起こすといろいろ心当たりがありまして・・・目隠ししたこととか、両手を縛ったこととか、イってもやめなかったこととか・・・』


『はああ?!あ、貴女、バカじゃないの!彼が怒るのも無理ないわよ!!全く同情できないわ!自業自得よ!!』


『シリヤクスさん!乗り継ぎの汽車が出るまでに食事しますよね?急いだほうが良いです!さ!早く行きましょう!』


僕はこれ以上余計な話が中佐の口に上らないように、二人の会話に強引に割り込む。そしてライリーさんを睨みつけた上でシリヤクスさんと手をつなぎ二人で駅構内のレストランに食事に向かう。僕に睨まれたライリー中佐は寂しげな顔で一人で僕達の後をついてくる。


彼女、十分反省しているようだな。落ち込んだ姿を見るとさすがに少し可哀想になる。仕方がない。レストランに着いたらそろそろ許してあげようかな。



*****



夕刻。リヨン発の汽車がパリの南フランス方面玄関口、パリ=リヨン駅に到着する。

ここで馬車に乗り換えノルマンディー地方への乗換駅、サンラザール駅に向かうシリヤクスさんと別れる。彼女が乗った馬車を見送った途端、ライリー中佐は後ろから僕を抱締め弱々しい声で訴えてくる。彼女のこんな声を聴くのは初めてだ。


『モトジロウ、今日の仕打ちはあんまりです。目の前でこれ見よがしに他の女性と仲良くするなんて、こんな酷いお仕置きはもう勘弁して下さい』


昨夜の彼女の”お仕置き”に対する僕の仕返しは、十分に彼女の反省を促したようだ。僕は後ろから抱締められたまま彼女の腕に手を置きできるだけ優しい声で彼女を諭す。


『そもそも貴女の”お仕置き”があまりに酷かったからなんですよ。反省してくれましたか?中佐。これからは、手を縛ったり、目隠ししたりするのは無しです。やられる方はとても怖いんですから。あと、僕が<止めて>と言ったら止めて下さい。もう”無理やり”は無しです。いいですか?』


『ごめんなさい、モトジロウ。もう強引なことはしません。自分勝手な欲望だけではなく、ちゃんと貴方のことを考えて優しくしますから』


『なら、この件はお終いです。僕もイワンとの面会では馬鹿な事をしてしまいました。せっかく貴女があそこまでして僕を変装させてくれたのに、その努力を水の泡にしてしまいました。ごめんなさい』


彼女は背中から僕を抱締めていた腕をほどくと僕の体をゆっくりと回して正面から向かい合い、優しく口づけをしてくれる。その泣きそうな表情を見て、彼女の可愛らしい一面を見た気がした僕は思わず笑顔になる。


『中佐は思った以上に嫉妬深い面があるんですね』


『勘弁して下さい、モトジロウ。自分でも驚きです。こんなに自分が異性のことで嫉妬するなんて思ってもみませんでした。私はどうにかなってしまったようです。全部、貴方のせいですよ』


僕の仕返しがよほど応えたのだろう。辛そうに僕を抱きしめる彼女の背中を僕は優しくさすってあげる。

今回の出張ではレニン君との面会が叶い、将来のロシア国内での工作活動の足掛かりを作ることができた。これもシリヤクスさんとライリー中佐のおかげだ。ロシア国外ではシリヤクスさんと連携する道が整いつつある。この辺りで一度、状況を報告すべきかもしれない。ふと日本の事が気になった僕はライリー中佐にお願いする。


『中佐、セーフハウスに帰る前に日本大使館に寄ってもよいですか?連絡が入っていないか確認したいので』


『構いませんよ。では馬車に乗って一緒に行きましょう。日英同盟により私たちは公式に互いの在外公館を尋ねることが許されましたからね。セーフハウスはその後向かいましょう』


仲直りした僕と中佐は手をつないで馬車に乗り込み日本大使館を経由してセーフハウスに戻ることにした。馬車に座る間、彼女は子供のように僕の手を強く握り離そうとしなかった。まるで、僕達が暫くの間、離れ離れになることを予期していたかのように。



*****



20時過ぎに到着した日本大使館では、緊急の国際電報を握った同僚の駐在武官が僕の帰りを待ち構えていた。彼女は僕を見つけるとすぐに電報を読み上げてくれる。


<明石君 至急の帰京を願う 山縣>


それは情報部長としての命令ではなく山縣さん個人のお願いだ。帝都で何かあったのだろう。僕は何度も彼女に助けられてきた。でも彼女が僕に助けを求めた事など今まで一度もなかった。きっとよほどの事があったのだ。僕は言いようのない強い不安に駆られる。


山縣さん、大丈夫?何があったの?








読んで頂きありがとうございます。

短め、更新しました。


明石君の工作活動の基盤は整いつつあるようです。もうすぐ本章は終了です。

次回は久々に帝都に戻るお話です。


ミルズ

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