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皇帝との対話


立派な菩提樹の並木道の先にあるベルリン王宮。その中でもひときわ大きな空間を有する「白の間」。

プロイセン王家が主催する舞踏会が開催されている。


男女の比率に大きな差がなかった千年ほど前には、この場に集った未婚の男女が音楽に合わせ踊ることもあったそうだ。だが、参加者の9割以上を女性が占めるようになったこの世界の舞踏会で踊りを見ることはない。王侯貴族の子女が定期的に集い情報を交換する場、それがこの世界における舞踏会というものらしい。交換する情報の内容について取り決めはなく、政治・経済・軍事など何でも構わないらしい。しかし、この場で交わされる情報で最も重要視されるのは、子孫繁栄を目的に交わされる男子に関する情報のようだ。


参加者の女性達は、公職にある者の多くは制服を、家業を営む者は立派なスーツを纏っている。ときどき以前の僕の世界でいうところのドレスを纏った女性を見るが彼女たちは親の下で暮らす被扶養者らしい。


ところどころ人の輪があり、その中心には女性より一回り体格の小さい男性がいる。男性がこの場に出るということは、結婚相手、もしくは既婚者であっても別の女性との間で子供をもうける意思がある者らしい。それに応えようとする女性が周囲を取り囲んでいるようだ。だとすると、僕は此処にいるべきでないような気もするけど仕事だから仕方がない。


僕ら日本大使館駐在武官一行は、会場の端で人の眼につかぬよう、輪になって静かに語り合っている。松川大佐、海部少佐、東條少佐はそれぞれの軍の礼服を、僕は今回の為にあつらえたスーツを着ている。大佐の指示で、僕は宿舎を出る前に風呂に入り剃刀で丁寧にひげをそってきた。髪も伸ばしており、一見してすぐに男性とは気づかれないようにしている。


アジア人がここまで堅く集まると、現地の人間からは声をかけずらいようだ。今のところ誰からも声をかけられていない。これで最後まで乗り切れば、参謀総長の指示は達成したことになるのだろうか?


「参謀総長の指示は、とにかく明石君が舞踏会という場を経験することでした。その意味ではこのまま終わっても私たちは最低限の勝利条件の達成です。背伸びする必要はありません。」


松川大佐はあえて日本語で会話をする。海外で日本語を解する欧米人は皆無だ。従って日本人同士であれば日本語で会話をするのが周囲にその内容を悟られない無難な意思伝達手段となる。

背の高い海軍士官が応える。


「でもそれで経験を積んだことになるんすかねえ。まあ、舞踏会なる物の雰囲気は知ることはできますよね。」


その通りだよね。これで経験と言えるのかな?

僕の横には気合十分の東條さんが控える。君が一番、緊張してるよ。今日はこのまま終わりそうだし、肩の力を抜いたら?東條さん。


「まだ舞踏会は始まったばかりです。なにがあるか分かりませんので油断するべきではないです。」


彼女がそう話した直後、僕たち日本人の集団に割り込むドイツ人女性が現れる。


『日本大使館の駐在武官の方々ですね。失礼ですが、そちらは男性の方ですか?』


ドイツ語で声をかけてきたのは50歳ぐらいの女性で立派な執事風のスーツを着ている。身長は松川大佐と同じ180cmぐらい。積極的に男性にアプローチしている女性達とは雰囲気が異なる。少なくとも、彼女自身が男性を求めているようには見えない。


すぐに東條さんが落ち着いて応対する。やっぱり気合が入っているね。


『はい、そうです。こちらは日本大使館駐在武官の責任者で松川陸軍大佐、こちらが同じく海部海軍少佐。私は現在、この国に留学中の東條陸軍少佐で、こちらが私の婚約者で同じく留学中の文官である明石研究員です。』


彼女は最初の会話で必要な情報をすべて相手に伝えることで、暗に相手に要件の確認を促す。その女性は僕たちを一瞥すると、あからさまに僕だけに対して問いかける。


『アカシサン、よろしければ貴方の研究の専門分野を教えて頂けますか?』


『僕の専門は国際的な軍事情勢です。現在は欧州の軍事情勢について研究しています。』


『成程。本日は当会へのご出席、ありがとうございます。他の国の駐在武官の方もいらっしゃいますので、お仲間で固まれるのではなく、ぜひ交流を楽しまれてください。失礼。』


その女性は一礼するとその場を離れた。周囲に別の国の軍服を着た女性がいるのは確かだ。東條さんが再び日本語で松川大佐に確認する。


「今の口ぶりからすると、彼女は主催者側の立場のようですね。明石君のことを確認しに来たのでしょうか?」


松川大佐はうなずきながら、海部少佐と物騒な会話を始める。


「そうですね。誰か、高位な人物から明石君のことを確認するよう指示されたのでしょう。海部少佐、一応、帰り道は警戒してください。ここに居る者は、全員武器は携帯していないはずです。いざというときはベルリン宮の外に待機させている大使館の馬車まで、彼を守りながらの移動が必要となりますよ。」


「任せてくださいっす。どうせ彼に何かあったら切腹っすから、そうなるぐらいなら死に物狂いで暴れてやりますよ。」


いやいや、そんなこと必要ないでしょう!これは王家主催の公的な会合ですよ!さすがに大丈夫じゃないですか?

僕たちはそれ以降、あまり会話を交わすことなく周囲を警戒しながら時間が経つのを待った。30分ほどたった時、再び先ほどの女性が僕たちのところに現れる。東條さんが応じる。


『何か御用ですか?』


『アカシサン、わが皇帝陛下があなたのご研究に関して、お話を伺いたいそうです。失礼ですがこちらにご足労願えますか?婚約者の方もご一緒で構いません。』


僕たちはそれぞれ驚きの表情で顔を見合わせる。高位どころか、この国の最高位に位置する人物から声をかけられてしまった。これは、断ることはできないんだろうな・・・・



*****



『誇り高き我がゲルマン民族の将来について、君が考えるところを話すことを許します。』


フリードリヒ・ヴィルヘルム・フォン・プロイセン、現在のプロイセン王国の女皇帝。金髪に碧眼、年齢は30代ぐらいだろうか?見事なプロポーションの体躯を白い軍服に包み、玉座に肘を付いたままこちらを眺めている。身長は2m程はあるだろうか。座った姿勢でもよく通る声。この女帝、自ら黄禍論を唱え、黄色人種に対する差別的な発言を繰り返している。


残念ながら、いくら彼女が声高にアジア人による危機を叫ぼうとも、王国の世論には受け入れられてはいない。政府機関も軍も、日本との表立った関係を控えるだけで、本気で対決しようとの雰囲気は見られない。彼女としては周りのラテン人フランス・スペインなどスラブ人ロシアなどの注意をなんとか極東に向けることで、大陸に残ったゲルマン人国家であるプロイセン王国の安泰を図りたいのだろう。だがその思惑は見当違いだ。目の前の敵の眼を躱すには、アジアは遠すぎるのだ。この国でそのことに気づかないのは王室関係者ぐらいだろう。


東條さんは僕から数歩下がったところで控えている。会場で会話を楽しんでいた参加者たちは、遠巻きに僕たちを囲み、珍しい東洋人の男子が何を語るのか、興味深そうに注目している。中には蔑むような好奇の視線も混ざっている。


この人は、僕の名前を問うことすらしない。先ほどの執事風の女性から聞いたのか、それとも僕個人には興味もないのか。この状況で、僕は何を言うのが正解なのだろう?まじめに応えるべきか?それとも無能を演じるべきか?彼女の唱える黄禍論を助長することは避けたい。僕は彼女の表情を見ながら何を応えるべきか考える。


『どうしました?遠慮はいりませんよ。答えたことで君に不利益がないことは保証します。もしかして言葉が分かりませんか?あるいは語るべき知恵がありませんか?研究者として留学までする者がそれでは、君の国は大した知恵のない野蛮な国と言われても仕方がありませんね。にもかかわらず、近年、軍備を整え戦うことだけには旺盛に見えますね。』


・・・この人、なんて単純な人だ。自分の黄禍論を広げる材料として僕の無能を利用したいのだ。その思惑が見え見えだ。参謀総長とは全く逆のタイプだ。あの人は話していて何を考えているか全くわからなかった。だから聞かれたことに応えるしかなかった。でも、この人は・・・


『これが最後です。安心なさい。何を応えようとも君の安全は保障します。プロイセン王国とわがゲルマン民族の将来について、君の考えるところを語りなさい。もし、語る知恵があるならですが。』


僕個人なら無能を演じてもよかった。でも、この人も周りの人も、僕を通じて日本を見ている。ここで知恵がないと思われることは、東洋人を野蛮と見なす彼女の黄禍論を助長する。なら、応えるべきは否定のしようがない真実だ。付け入る隙を与えぬためにも、出来るだけ短く単純な真実を。


僕にできることなど知れている。でも、せめて、みすぼらしくなく、背筋を伸ばして胸を張り、下腹から声を出そう。それは最低限、僕にできることだ。


『陛下、失礼ながらプロイセン王家とドイツ語を話す大陸のゲルマン人の方々の将来は異なります。それらを区別して、私の思うところを語らせていただいてもよろしいでしょうか?』


第一声、周囲の態度が一変したのを感じる。


『・・・・・・よろしい。好きなだけ語りなさい。』


『いえ、それほど時間は取りません。いずれもとても単純な話です。まずはプロイセン王家について。残念ながら、このヨーロッパで君主制は続きません。いずれ、国の意思決定から王家は遠ざけられるでしょう。』


周りを囲む舞踏会の参加者が息をのむのが聞こえる。あまり時間をかけないほうがよさそうだ。


『次にドイツ語を話すゲルマン人の方々の将来について。ゲルマン人、ラテン人、スラブ人のうち、最も勤勉なゲルマン人は、ヨーロッパ大陸で最も強い国家を建国する資質がある民族です。従って、ラテン人もスラブ人も大陸のゲルマン人を常に恐れます。残念ながら、この大陸で大きな戦がなくなるような時代になるまで、この国は、常に周囲の他民族からの攻撃の対象になるでしょう。大陸を離れ島に渡ったゲルマン人イギリスやスカンジナビアに逃れたゲルマン人からも救いの手はないでしょう。』


周囲を静寂が包む。出来るだけ単純に真実を語ったつもりだ。それは誰もが分かる事実であり否定しにくいものだ。これによって僕や日本を卑下するのは難しいだろう。女帝の表情は変わらない。でも、その沈黙から彼女の心の内が手に取るようにわかる。自分の思惑通りにいかないことについて、彼女にはどうすることもできないのだ。


僕は語るべきを語った。周囲からは僅かだが忌々しげな視線も感じる。早くここを離れた方が良さそうだ。


『以上で私の話は終わりです。退席をお許しいただけますか、陛下?』


『・・・・・・・・退席を許します。』


僕は一礼しその場を去ろうとする。直ぐに東條さんが傍に来て日本語で囁いてくれる。眼鏡の奥の瞳は潤み、頬は真っ赤だ。大丈夫、心配しないで。

その手のつなぎ方、”恋人つなぎ”ってやつだよ?


(明石君、お見事です。急ぎ、大使館に戻りましょう。)


(そうだね。王家の権力を利用する勢力に恨まれたかもしれない。彼女は僕の名前すら問わなかったけど、それは幸いだったよ。長居は無用だね。)


僕たちは急ぎ松川大佐と海部少佐に合流し、舞踏会を後にする。退席しようとする僕に、何人かの女性が興味本位で声をかけてきたけど、先頭に立つ松川大佐は話を取り合わず適当に頭を下げ歩き続ける。周囲を警戒しつつ海部少佐が殿しんがりを務める。二人に挟まれた僕と東條さんは手を携えながら急ぎ足で日本大使館が手配した馬車が控える場所に向かう。10分ほどで立派な馬車に乗り込むと同時に、御者は大使館に向け馬車を走らせる。


疾走する馬車の中、興奮気味の笑顔で海部少佐が話す。


「明石君!素晴らしいっす!自分、惚れちゃいました!あれこそ、”高位な人物の前での立派な紳士の振る舞い” ってやつじゃないっすか?私の周りの女性は全員が明石君の凛とした声とその態度に目を奪われてたっす!誇らしかったっす!勝利条件、完璧な達成っすよ!」


一方、松川大佐の表情は優れない。東條さんは大佐の考えを察したかのように、今後の不安要素に関して大佐に確認する。その表情は真剣だけど、右手は相変わらず恋人つなぎで僕の手を握り締めている


「本日の対話は一部の者には好ましくなかったと思います。とは言え、たったこれだけの事で、彼の安全を損ねようとするものが現れると想定するのは考えすぎでしょうか?」


大佐は長い沈黙の後に応える。


「少し、やりすぎましたね・・・・。明石君は、しばらくは宿舎と大使館以外、外に出ないほうが良いですね。食事等も駐在武官室か宿舎で摂るようにした方が良いでしょう。」


・・・・でも、彼女は僕の返答次第では、日本を野蛮で好戦的な国家として黄禍論を正当化する根拠にしたと思います。あの場では真実を告げる必要があったと思います。


「それはそうですが・・・しかし、驚きました。誰もが薄々感じていたことではありますが、よくあそこまで自信をもって言い切ることができましたね?まるで未来を知っているかのようでした。貴方のことを誤解していました。」


この日以降、僕は日本大使館への出勤も馬車で送迎してもらうこととし、松川大佐の指示で査証発行所での案内係もしばらく控えることとした。舞踏会の出席は、僕に大きな経験を持たらしてくれたけど、ドイツ語の習得には有益には働かなかったようだ。





もうすぐ、お別れです。

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