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僕の名は


そこそこの収入にそこそこ美人な妻と可愛い二人の娘。

中年と呼ばれる年齢になった僕は、寝る前に読む携帯小説を楽しみに、誰に迷惑をかけるわけでもなく、まじめに平凡な日々を過ごしていた。

自分の為というより、家族の為に頑張って仕事を続けていた。そのことに不満はなかった。


今から思えば、それは、間違いなく幸せな日々だった。



*****



暗闇の中、誰かが僕を呼ぶ声が聞こえる。


「君!大丈夫かい?どこか具合でも悪いのかい?」


気が付くと僕は、古い机に突っ伏して寝ているようだった。とても体調がすぐれない。目の前には背の高いロングヘアのたれ目の美女が心配そうに僕を見つめている。


「どうしたんだい?ずいぶん具合が悪そうだね。医務室に行ったほうが良いだろう。立てるかい?」


誰だろう。この女性は。軍服のようなものを着ている。そういえば此処はどこだろうか?古い学校のような感じだ。よく分からないことだらけだ。目の前の子は何か知っているだろうか?問いかけようとした瞬間、強烈な吐き気に襲われて、周囲のことはどうでもよくなる。


「気持ち悪い。吐きそうだ。」


すると目の前の女性はいきなり僕を抱えて恐ろしいほどの速さで駆け出す。僕は突然の事態に驚くが、吐き気を我慢するのに精いっぱい。気づくとそこは手洗いのような場所。僕は我慢できずに嘔吐する。彼女はそんな僕の背中をさすりながら、優しく語り掛けてくれる。


「大丈夫かい?男でありながら陸軍大学の学生を続けるのは負担だったんだろうね。かわいそうに。無理がたたったんじゃないかい?吐いてしまったほうが楽になるよ。」


嘔吐したことで吐き気は落ち着いた。だが、めまいがひどい。立っていられずその場でしゃがんでしまう。すると再び彼女は軽々と僕を抱えて歩き出す。この子は何者だろう。なぜこんなに力があるんだ?


「医務室に行こう。君は少し休んだほうがいいよ。」


彼女に抱えられたまま強い眠気に襲われた僕は、やっとの思いで口にする。


「ごめん」


最後に聞いた彼女の優しい声は、まるで子守歌のように、僕を眠らせてくれた。


「気にしないでいいよ。私はいつだって君の味方だったじゃないか。さあ。もういいから、そのまま眠るといい。少し休めば良くなるよ。」



*****



再び気が付くと、僕はベッドの上で横になっていた。古い学校の保健室のような場所だ。


「目が覚めたようだね。大丈夫かい?半時ほど寝たから、少しは落ち着いたかい?」


横にいる軍服美女が優しい声で僕に語り掛ける。先ほど具合が悪かった僕を介抱してくれた人だ。

ずっと見ていてくれてたのだろうか?まだ完全に意識が覚醒していない僕は、なんのためらいなく聞いてしまう。


「君はだれ?ここは?」


彼女は一瞬、目を丸くしたかと思うと、すぐに優しい顔に戻り、ゆっくりと応えてくれる。


「まだ体調が悪いようだね。意識があやふやなのかな?よかろう。君と私の仲だ。今更とは思うが、何でも聞くがいいよ。ここは陸軍大学校の医務室。私の名前は山縣有朋やまがたありとも、君の同窓だよ。」


・・・・知ってる名だ。確か昔の総理大臣だった人だ。でも、君は女性に見えるけど、随分と男らしい名前だね。


「そんなこともないと思うけど。こういう名前の者はいくらでもいると思うよ。他の同窓生だって、皆同じような感じだしね。」


他の同窓生?


「私たちには同窓生がいたろ?東條英教とうじょうひでのりとか、秋山好古あきやまよしふるとか。彼女たちは全員女性だよ。確か好古の海軍士官学校にいる妹だって真之さねゆきって名前だし。普通じゃないかな。」


その子たち、全員女性なの?なんだか皆、ひとかどの人物のような立派な名前だけど。


「当り前じゃないか。“ひとかど”かどうかは分からないけどね。ここにいるものは東條を除いて全員陸軍士官学校を優秀な成績で卒業した者たちだよ。将来、国に貢献できるような人物だ。というか、こんな場所(陸軍大学校)に君のような男性がいるほうが珍しいよ。でも、君は今日までよく頑張っていたと思うよ。」


・・・どうやら僕は大変なことに巻き込まれたようだ。徐々に意識が覚醒するとともに、事態の深刻さを認識し始める。どうしよう。何から確認すべきか。・・・・とりあえず、今は何年かな?


「1896年だよ。」


・・・・それっていつ頃?ずいぶん昔のような・・・・・


「何を言っているんだい?昔も何も、これが今だよ。今この瞬間が、君と僕の生きる時じゃないか。」


・・・・そうか。そうだね。ごめん、変なこと言って。

ところで、このことは僕と君の内緒にしておいてほしいんだけど、もう一つ聞きたいことがあるんだ。


「二人だけの秘密かい?とてもいい響きだね。承知したよ。他言はしない。何でも聞いてくれたまえ。」


そう言って彼女は優しい表情を向けてくれる。よく見るとこの人、本当に美人だ。僕が今まで見た中で一番かもしれない。僕は思い切って一番知りたかったことを聞く。

僕の名前を教えてもらってもいいかな?


「・・・やはり具合が悪いようだね。記憶が混乱しているのかな?いいよ。このことは誰にも言わない。君の名前だね?」


そう。僕の名前。教えてくれる?


「君の名は。」


僕の名は?


明石元二郎あかしもとじろう。われらが陸軍大学校1期生で唯一の男性軍人だよ。」


・・・・・

・・・・・

誰だっけ?それ。



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