肉食獣の晩ごはん
今日はキャベツが安い。
一玉58円! 素晴らしいじゃないか!
ガッシリとした大きな、黄色と黒の縞模様のある毛むくじゃらの手でキャベツを2個、3個と籠に詰め込む。
あと他にお買い得の商品は……と、キョロキョロと店内を物色する。
ワイン一本1980円。
ん? これはお買い得なのかな?
自分は酒は飲まない……が。
彼女からは時々アルコールの匂いがした。
自分と彼女が一緒に酒を飲むところを想像する。
酒を飲む仲……というのはなかなかに親密そうでいいじゃないか、と目を細めるとワインを一本籠に放り込んだ。
いいねえ、なんだか特別な夜になりそうな予感がする。
白鷺さんはほんのり頬を赤く染めながら歩いていた。
お酒は苦手だが付き合いというものもある。
友人の愚痴に付き合いながら軽く一杯ちびちびとビールを飲んだだけなのだが。
自宅のアパートにたどり着き、ふと足をとめる。
……今日も疲れた。
自分はダメな人間だと思う。
働きたくない、切実に。
生きるために仕方なく仕事をする、きっと皆そうなのだろうけど。
でも自分は生きる為といえど働きたくないのだ。
いっそ公園に段ボールで家を作って暮らしたいぐらいなのだ。
……が、そーいう生活をしている人達にも派閥があって…なんていうテレビの特集をみると、そんな生活にすら人付き合いの煩わしさがあるのかとげんなりとする。
自分は生きていくのに向いていないのかもしれない、と深くため息。
そして。
自分のアパートを通りすぎ、隣の小さな古い平屋のベルを鳴らした。
ガチャリ、と扉が開くと優しい声で出迎えてくれる虎獣人の高遠さん。
「こんばんは白鷺さん、おかえりなさい」
2メートル程もある大きな高遠さんは、見たままに虎。
大きいので威圧感もあるし、表情からは感情が読みとりづらい。
だけど、最近の私はこの大きく恐ろし気な外見の彼に癒されているのだ。
「こんばんは~……ただいまです」
大きく扉を開き、どうぞ、という仕草をした高遠さんの横を通りすぎ、お邪魔しますと靴を脱ぎあがる。
当たり前のようにダイニングに向かうとそこには高遠さんのお料理の数々。
ミネストローネ・コールスローサラダ……山盛りキャベツの千切り?
「……ぶっ……、高遠さん、今日もお野菜中心ですねえ」
高遠さんは紳士。私の為に椅子をひいてくれたので座る。
「白鷺さんには鳥の香草焼きの準備もしてますよ?焼きましょうか?」
あ~……と口ごもる私。
「いえ…私、ちょっと友人と軽く食事してきたので…。」
「ああ、そうなんですね~。」と特に気にしてない高遠さん。
でも、ごめんなさい。そんな風に冷静を装ってくださってるのに、私割と高遠さんとお話しするようになってすぐに気づいたんです。
……気持ち、落ち込むと耳がペタッと倒れますよね……。
「ではお茶をどうぞ」と目を細める高遠さん。
これも割とすぐに気づいた事だけど、目を細めるのは高遠さんの笑顔。
獣人の感情は読みにくいって事で人間からは敬遠されがちだけど……意外とわかりやすいんだよねえ。
笑うし落ち込むし。
「……あの、美味しそうなのでミネストローネも少し頂けますか?」
「ああ、もちろん。よろこんで」と普段通りの高遠さんのお耳はピーンと伸びた。
……ほらね? わかりやすい。喜ぶし。
「どうぞ」と勧められたミネストローネは温かくて優しい味。
「うう……ッ、高遠さんのお料理いつも美味しすぎますよ~」と心も体も疲れている私は涙がでそうになるのをこらえながら訴える。
「ハハハ……そんな事言ってくれるのは白鷺さんだけですよ」と目を細める高遠さん。
こんなやり取りがここ最近の私の癒しとなっている。
2週間ほど前、お財布を落としてアパート周辺を徘徊し探す私を高遠さんに見られた。
「どうしました?何か落とされたんですか?」高遠さんの優しい声。
獣人さんには縁がなかったし特に偏見もなかったが「お財布落としたので探してます」なんてちょっと言えない、言い出しにくい。いい歳して目に涙ためた顔なんて見られたくもなかったので俯いて涙を堪えながら「なんでもないです……」と言うのがやっとだった。
突然、高遠さんは私の首筋に鼻を押し付けてきた。
「な……なにを……!?」
驚いて振り払う私。
高遠さんは「……すみません」といって走り去ってしまった。
こわい! なにあれ!
私はというとお財布の事よりも恐怖で頭がいっぱいになり急いでアパートに戻ると鍵をかけて部屋に閉じこもった。高遠さんが近所に住んでいたのはわかっていたので、引っ越すことを本気で考え始めたその時、私の部屋のベルがなる。
私の部屋を訪ねるような親しい人は、いない。
のぞき穴から確認するとそこには高遠さんらしき人物がいた。
叫び声をあげそうになって口を押えた。
なに? なんなの? もう嫌……。怖くて涙が溢れる。
「……あの、お財布見つけました」
その後、高遠さんが私の匂いからお財布を探してくれた事を知る。
と、同時にお財布を受け取るために開かれたドアの隙間から私の汚部屋をみられる事になる。
もちろん紳士の高遠さんはその件については何も言わなかったが。
ただ……。
「よかったら一緒にお食事いかがですか?作りすぎてしまったので」とお食事にお誘い頂き、ずうずうしくも私は彼の手料理をご馳走になったわけだ。
そして翌日改めてお礼の品をもってご挨拶に伺った私はまたもや高遠さんのところでご馳走になり。
「美味しいじゃがいもを頂いたので明日はじゃがいもで~……」「ほうれん草が安かったので明日はほうれん草でスープを……」「明日は炊き込みご飯なぞどうでしょう~?」なんて誘ってくれる高遠さんの言葉に私本当にずうずうしくお邪魔しまくったのだ。
結果。私と高遠さんの間には「晩御飯を一緒に食べる」という暗黙のルールが出来上がってしまったのだった。
「ごちそうさまでした」と私はスプーンをおく。
作ってくれた方に対する礼儀は忘れないのだ。
「ねえ、白鷺さん。ワインが安かったので買ってみたんだけど飲みます?」
ワイン……そういえば高遠さんがお酒を飲んでるの見た事がない。
疑問を率直にぶつけてみる。
「高遠さんってお酒好きなんですか?」
「あ……いや……自分は酒はあまり好きではありませんが……白鷺さんはたまに飲んでるみたいなので買ってみたんですよ。よろしかったら一緒に飲みたいな、と」
あらまあ、私の為に買ってくれたらしい。
しかし私はお酒は好きじゃないし、特にワインはちょっと苦手だったりするのだけど……。
「ごめんなさい……私お酒はあまり好きじゃないんです。お付き合いで飲む事はあるんですが……」
誠意には正直な気持ちで返す。ただ、私の為に買ってきてくれたのはとても嬉しかったので、ちゃんとそれも伝える。
「ですが、折角なので一緒に飲みましょう」と。
虎耳はしょんぼり。
「いえいえ、無理しないでください。大丈夫ですよ、ワインはお料理にも使えますから」
高遠さんってば。平然と言ってますがガッカリしてますよね。
「いえ、無理してませんよ。高遠さんと飲んでみたいんです。酔った高遠さんにも興味ありますしね」
って……あれ。
高遠さん肉食獣だし、酔っぱらってしまったらどうなるんだろう。
理性ふっとんで私を襲って食べるとか……いやいやいや、高遠さんはお野菜大好きみたいだし。
ちょっとグロい想像をしてしまったけど、高遠さんなら大丈夫……よね?
「そうですか~、なんだかすみませんね」としょんぼりしたままのお耳でワインをグラスに注ぐ高遠さんに申し訳ない気持ちになる。
折角私の為に買ってきてくれたのにヒドイ事を言ってしまった。
でも。
無理はしたくないし、高遠さんにも無理はしてほしくない。
嫌いな物は嫌い、好きなものは好き、そんな事を言い合えるような関係でいたいのだ。
「では乾杯しますか。高遠さんの美味しいお料理に。」
いえいえいえ……と照れながらも「乾杯」とグラスを合わせる。
そして一口。
うぇぇぇというような顔をした高遠さんの顔を見た私はワイン吹き出しそうになった。
「……ワ、ワイン……苦手な味ですか……?」笑いを堪えながら聞いてみる。
「皆さん、よくこんなもの飲めますね……ワインってもっと美味しいものかと思っていたので残念です」
フフフと笑う私。
「ほんとですよね~」
「でも、白鷺さん結構飲んでますね……」
私のグラスを見て驚く高遠さん。グラスにはもうほとんど空っぽ。
「苦手なんだけど……まあ……飲めちゃうんですよね、これが。自分から進んで飲もうとは思わないんですが。」
「はぁ……なんだか大変ですね……。」
また一口チビリとワインを飲んだ高遠さん。またしてもウェェェという顔をする。
「……フ……でもなんだか今日はちょっと美味しく感じます。高遠さんと飲むの楽しいです」
と、思った言葉が口をついた。
目を大きく見開く高遠さんが視界に入る。
尻尾が…なんだかいつもより太いような……。
「あの? どうかしましたか?」
「いえ! あ…自分も、白鷺さんと飲むの楽しいです。」
二人視線を合わせて私はニッコリと、高遠さんは目を細めて微笑む。
「さて……残りのワインは……そうですね、明日はこのワインを使ってビーフシチューでもつくりましょうかねえ。」
明日はビーフシチュー。高遠さんの作ったものならきっととても美味しいだろう。
「ああ……ワインはダメだったけど次は日本酒でも試して見ましょうか。色々なお酒を試して見るのも悪くないですよね?ん?でもビーフシチューと日本酒は合わないのかな?どう思います白鷺さ……」
遠くで高遠さんの優しい声が聞こえる。
ああやっぱり、高遠さんには癒されるなあ。
「ちょ……! 白鷺さん、起きてください!」
全く困った。彼女と来たら全く起きる素振りも見せない。
このままここで眠らせてあげるのは全く構わない、むしろ嬉しい。が。自分の理性に自信が持てない。
彼女はこんなにも可愛くていい香りがする。
少し匂いを嗅ぐぐらいならいいだろうか?
彼女の体に舌を這わせ…ちょっとだけ味わってみてもいいだろうか?
彼女の唇に俺の唇を合わせ、舌を……
いやいやいや、それはダメだ。何を考えてるんだ!
「……白鷺さん、起きてください~!」