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6 レッテル貼り―――二年生の春、その効果

 リボンが張られ、送別会の後、卒業生が正門へと送り出されていく。

 張るまでは美術部の仕事だが、その後のリボンの運命は、神のみぞ知る、である。

 ワタシはぼんやりと卒業生が講堂から出てくる様子を見ていた。

 頭がまだ、ぼんやりしている。上手く外の情景と今の感覚がつながらない。

 周囲には美術部の同級生達。ワタシがナオキ先輩に連れ出されたことを知っている彼等彼女等は、今のワタシの様子には不審を抱いていると思う。だがさすがに今のワタシにはそれをどうこう言うだけの気力はなかった。


 何をするんですか、とワタシは彼を思い切りもがいて引き離した。縁が無いから、そんな力が自分の身体に突きつけられたことは無かった。だからまあ、ただただワタシは驚いていた。


「な」


 にするんですか、という言葉が出て来なかった。

 情けない程、突発事項に弱い自分に気付いた。考えてもみなかった。この先輩がそういうことをするなんて。それに、それまで話していたことからは、この行動は全く結びつかない。

 だって、この先輩は、前の前の生徒会長を、ずっと。


「悪い」

「悪いって…」


 悪いと思っていて、どうして好きでも何でもないワタシにそういうことをするのか。ワタシは混乱していた。


「だけど、もしもお前が気付いて、それで隠し通したいなら、俺を隠れみのにすればいい」

「だから何に気付いて…」

「さっきから言ってるだろ? お前が今の生徒会長を」


 ワタシは大きく頭を振っていた。混乱が渦を巻いていた。巻いて巻いて、言葉も何もかも、その中に飲み込まれてしまったかのようだった。


「まあいいさ」


 そう言うと先輩は、ワタシの手をもう一度ぐっと引っ張った。


 ワタシは手首の袖をまくって、彼が書いた文字を見直す。向こうの海の側の、あの小京都とも言われている地方都市の、住所。そしてケイタイの番号。

 もしも必要になったら呼べ、と彼は言った。

 一体何が必要になるというのだろう? 書かれた時のポールペンの感触が浮き上がってくる。優しいのかそうでないのか、さっぱり判らない。

 この電話番号が必要になる時が来ると、彼はそういうのだろうか。そして必要になったら、彼は一体ワタシに何をしてくれるというのだろう?


「ヤナセ!」


 呼ぶ声に、はっとして手首の袖を下ろし、顔を上げた。


「あれ見なよ! ナオキ先輩!」


 美術部の同級生は、切り取ったリボンを首に巻き、きらきらと銀色に光る、クリップのネックレスを誇らしげにつけて歩くナオキ先輩を指さした。


「…見たよ…」


 そして背後から彼女達は囁く。ああそうだ。準備室から見えるのは、生徒会室だけではない。下に視線をやれば、「森」も一望できるのだ。四階だけど、何をしているかくらいは、きっと判ってしまう。

 レッテルを貼って行ったのだ、とその時ワタシは気付いた。

 先輩は、ワタシに決まった相手が居る、という張り紙をしていったのだ。それでもし別の男を好きになればそれはそれで構わない、だけどもしワタシがサエナのことを―――

 その時に、それを気付かせないために。

 そうよねヤナセには、先輩がいるもんね、とサエナに気を許させるように。

 それを喜んで受け止めていいものか、ワタシには判らない。

 だが自分の中の渦が止まったことだけは、ワタシにも判った。

 先輩は明るいオレンジ色の髪を、まだやや冷たい風に煩そうにかき上げながらも、こちらを見て笑顔を作る。ワタシはうなづいた。全ての面ではないにせよ、あなたの気持ちは判った。

 元気で、とワタシは口の中でつぶやく。



「どうしようヤナセ。やっぱり私嫌われてる」


 重い足取りで準備室に入ってきたサエナは、吐き出すように、ワタシに言った。

 五月も終わりに近づく、そろそろ一番陽が長くなる頃だ。

 二年になったワタシは、それでも最近は、近い将来のことを考えつつある。いや考えなくてはならないのだ。美大芸大という類を受験しようというなら。

 デッサンは、何処も共通だ。

 どんな学科に入ろうと、それは必要だから、ワタシは暇さえあれば何かしら描いていた。

 目に映るものをそのまま、正確に、光と影だけ追っておく。光しか見えないようなものにも、必ず影がある。そしてその影を追うことによって、その光の存在もまた大きくなっていくのだ。

 とりあえず、ワタシはうちの学校の光に顔を向けた。

 親愛な生徒会長どのは、いつになく沈んでいた。何かあったの、とワタシはつとめていつものように声を掛ける。最近彼女はひどく不安定に見えた。

 新学期に入って、最初は楽しそうだったのに、ひと月ふた月と過ぎるうちに、ひどく明るい日とひどく沈んだ日が目立つようになってきたのだ。

 ―――原因は、判っていたけど。


「さっき、図書室に彼が居たから、最近帰り遅いんじゃないかってこと、つい言ってしまって…」

「それで?」


 彼、とサエナが言うたび、自分の表情が、ひどく凍り付くのにワタシは気付いている。

 ちら、と壁の鏡に視線をやると、一見笑顔を作っている自分の姿が見える。平然として、彼女の話を聞いている、ふりをしている。


「怒らせてしまったみたい。最初から先輩呼ばわりだし、その話切り出したら、他に用が無いなら帰るって…」


 ま、彼の気持ちも判らなくはない。幼なじみの年上の少女が、いきなり編入してきて生徒会長になんてなっていて、それでいて昔のように――― あくまでサエナの話を聞く限りだが――― 世話やき姉さんのような顔されたら、たまらないものはあるだろう。

 いっそこの、今のこの姿を見せればいいのに、とワタシは思う。


「それで、帰ってしまったって訳?」

「友達が居たみたいだから。ヤナセ知ってるかしら? 今度の編入生なんだけど、コノエ君って」

「ああ」


 さすがにその名前には覚えがあった。いや名前に覚えがあった訳ではない。入学式の次の週にあった、新入生歓迎会。その時に、彼はひどくワタシの目を引いたのだ。

 整った顔つきとか高い背とか、そういうことではない。確かにそれも一つだったが、それより何より、コノエ君というこの新入生が、ワタシの目にはどう見ても、自分より年上にしか見えなかったのだ。

 バランス。そう、バランスだ。

 他の新入生とは、何か身体つきのバランスが違っていた。成長半ばの他の新入生と違って、そこにするりと立っていた姿は、既にその時期の不安定さを抜けだした、大人の男の持つラインを持っていた。

 絵をやっていると、時々人の身体をそういう目で見てしまう時がある。物体としての、肉体。そのバランスのちょっとした差異が、毎日絵を描くという日々の訓練のために、「何となく」見えてしまうのだ。

 だからさすがに、その時には興味をそそられ、わざわざ近くまで寄って、名札をのぞき込んだりもした。

 そんなことをすれば、気があるのか、とクラスや美術部の同級生は言いそうなものだが、ナオキ先輩の張り紙は、まだずいぶんと効果を持っていた。口さのない彼女達は、ワタシの知らない所で、それを広めていたらしい。何せ、サエナすらがある日それを口にしたのだから。

 そして彼女曰く。


「良かった」


 何で、とワタシが訊ねると、彼女は極上の笑顔でこう言った。


「だって、私ばかりそういうことで浮かれていて、あなた何もそういうこと無いのって、何か、悲しいじゃない」


 ワタシはその時は何と言っていいか判らずに、ただ苦笑した。そしてかろうじて口から出た言葉は、こんなものだった。


「それじゃサエナは、ワタシに彼氏が居た方がいい?」


 彼女は実に素直にうなづいた。

 こういう所が、ワタシが決して彼女を理解できない所であり、彼女がワタシの中身を絶対突き止めない理由なのだ。

 彼女にとっては、男女がカップルになるのは、当たり前のことであり、それ以外のことは考えつかない。それはそれでいい。そういう彼女が、ワタシにはある意味、ひどく光輝いて見える。

 それは、自分には掴めないものだから、余計に輝いているのだ。

 最初からそうなのだ。

 サエナは、まるで努力目標のようなことばかりを口にする。

 端から聞けば、それはきれい事に過ぎないと言いたくなるような事も多い。

 ただ彼女はそれが、本気なのだ。冗談でなく本気なのだ。

 誰もやったことがないから女子の生徒会長になろう。学校を活性化させよう。人には疲れた顔を見せないようにしよう。好きな人が居るからその人のために努力しなくちゃ。

 胸が痛くなる。


「で、そのコノエ君、あんたはあまり好きじゃあないんだ」


 すると彼女は首をかしげる。そうじゃなくてね、と付け加える。


「好きじゃないって訳じゃないわ。私には別に好きでも嫌いでもないもの」

「ふうん?」

「ただうらやましかったのよ。だって、図書室から出て、二人して結構じゃれあいながら学校出てくじゃない」

「あんた、見ていたの?」

「別に見ようとして見ていた訳じゃないわよ。目が追っちゃったのよ」


 ああ全く。



 「じゃれあう二人」に関してはワタシも時々目撃している。

 別段強制ではない部活動をしていない者は、授業が終わればさっさと帰る。もしくは学校以外の活動に走る。

 美術室に行くには、ワタシの教室からはやや距離がある。その間、一年生が脇を走り抜けていくことだって珍しくはない。

 ちなみに彼女が好きなカナイ君という下級生については、コノエ君以上にワタシは知らなかった。幼稚園からずっと同じ学校の中に居たというのにこうだ。

 としたら、大して目立つ奴ではないだろう。少なくとも、ワタシの興味を引く外見ではないはずだ。

 ナオキ先輩のような、派手な色の髪や、コノエ君のような、他と違う印象を持つ身体つきでもないだろう。

 そしてサエナのように飛び抜けた成績でもないだろう。

 うちの学校は、中等部からずっと、成績は校内に張り出される。だいたい一年二年三年、全部並べられるから、その中で上位に居れば、嫌でも目につく。

 コノエ君に目が行ったのは、もう一つ、彼が外部生だからだった。外部生というのは、程度の差はあれど、何かと新しい風を運んでくる存在だ。

 今年もまた、ある程度の外部生が入ってきていた。

 サエナの言うカナイ君と同じクラスにも数名。

 どちらかというと、ワタシはもう一人、目につく子が居ることは気付いていた。目敏く耳聡い美術部の同級生が言うには、その子はマキノ君というのだという。

 その「子」とワタシが称したくなるくらい、彼は「可愛い」感じがした。単純に外見の話である。

 美術部の同級生からも、サエナからも、ワタシは「面食い」だと言われている。

 まあ仕方ないだろう。一応噂にされているナオキ先輩は飛び抜けてはいないが、整った方だし、「あれはいいね」と口にするのはだいたい造形的に整った男だった。

 結局、綺麗なものが好きなのだ。それが男でも女でも。

 コノエ君にはその制服の中の体つきの、バランスや線そのものに、マキノ君にはぱっと見の印象としての可愛らしさを。それを目で見たまま、紙の上に写し取りたい、という衝動。そういう意味の「好き」「気に入っている」。

 だがそういう見方をしているということは、そう人には言わない。

 ただ、例外は居る。遠距離の電話線の向こうに。


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