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5 卒業式の日―――同類ナオキ先輩、ヤナセを暴く

 だが彼女の言う「寄りたい所」に着いた時、ワタシは思わずこめかみをひっかいていた。途中下車して、降りたのは、実に甘ったるい香りのする街だった。

 ―――いや、それは期間限定だ。

 縁が無いので、忘れていた。二月も真ん中の、あの行事。

 あふれかえる女子中高生大学生OLその他もろもろが、チョコレートを手にするあの日。

 ワタシは今まで縁が無かった。

 いや別に「縁があってはいけない」と思っていた訳ではない。幸か不幸か、それはワタシの興味の輪の外にあったのだ。

 それが良いのか悪いのかは判らない。ただ、絵を描くことにとりつかれてからというもの、その方面に目が向かなくなってしまったのは事実だ。

 そしてしまった、と思った。

 確かにばりばりと自分の仕事をこなすひとではあるが、サエナが同類とは決まっていないのに。 

 だが内心の動揺はとりあえず横に置いて、ワタシは彼女に当たりさわりの無い言葉を投げる。そうだあくまでそれはお父さんとかにあげるものかもしれないじゃないか。


「何あんた、プレゼント?」


 缶入りの輸入品のチョコを一つと、それにもう一つ、と彼女は雑貨の棚に目を走らす。


「うん。今度四月に、中等部から上がる子が居るんだけど」

「中三? 今」


 彼女に弟は、いなかったはずだが。


「うん、幼なじみなんだけど。ヤナセ知ってるかもね。カナイフミオって言うんだけど」


 弟じゃない。ワタシは首を横に振った。


「あ、そう。じゃ下の学年までやっぱりいちいち記憶したりはしない? まあ、あなただしね」

「幼なじみ――― って、そいつは内部組だろ?」

「うん、幼稚園からね。んー、でもだったら知っていてもおかしくないと思ったんだけど」

「弟分みたいなもん?」

「そういう感じだったけど」


 サエナは語尾をにごす。あ、これいいかも、とつぶやきながら、ごくごく小さな目覚まし時計を手にした。黒い、シンプルな形のものだ。


「えらく地味だね」

「だって、私が上げたものなんて、きっとあの子絶対に外でなんか使わないわ。だったらいっそ家の中で使ってくれるもののほうがいいもの」


 ワタシは思わず左手で顔の左半分を覆う。

 何ってまあ。

 レジへといそいそとそれを持っていく。

 そんな後ろ姿を見ながら、ワタシは何やらひどく自分の頭から血が引いていく感触を覚えていた。

 明らかに、自分はショックを受けているのだ。だが、何でショックを受けているのか、いまいちよく判らない。

 お待たせ、とサエナはそんな内心には全く気付かない様子で、このラッピングいまいち、とか言っている。


「ありがと」


 そしてにっこり笑って言うのだ。


「今日はつき合ってくれて。お茶してこ。クレープがいいかなあ。ああでも混んでいそう。あ、そうそう、常磐屋のスコーンが美味しいって、こないだミサエちゃんが言っていたわ」


 ミサエちゃん、は会計の子だ。そうだね、とワタシは答える。ずいぶんと平板な声だ。だがきっと今の何か浮かれている彼女には気付かれないだろう。


 「常磐屋」は、この街に結構前からある紅茶が多い喫茶店だ。見かけたことはあるが、入ったことはない。さすがに一人ではやや入りにくい雰囲気があるのだ。

 焼き板に曲線形の色ガラスをはめ込んだ扉を開けると、ちょうど境の時間なのか、店内はわりあい空いていた。

 それでも隅の席は埋まっていたので、ワタシ達は幾つか置かれた円形テーブルの一つについた。

 紅茶にカレンズのスコーンのセットを二つ頼むと、ワタシは頬杖をつきながら辺りをざっと見渡した。いい趣味だ。高い天井といい、全体に使われている木の色といい、吊り下がっているランプ型の灯りといい、所々に置かれている観葉植物といい、ワタシの趣味には合っている。


「ありがとヤナセ」


 再びサエナは言う。


「何あらたまって」

「だってサエナは、あまりこういう所へ来るの好きじゃないでしょう?」

「ここ? や、ワタシの趣味だよ。ここは充分」

「そうじゃなくて、さっきの」

「ああ…」


 ワタシは言葉に詰まる。確かにそう好きではない。用事が無いのだ。

 飾り物は嫌いじゃない。だが飾ることはそう好きではない。

 飾ったところでワタシはきっと普段使うものでない限り忘れる。

 例えば筆記用具にしたところで、どれだけ綺麗な細工がしてあろうが、使わないものだったら、それはいつかワタシの中では忘れられるのだ。


「いいよサエナ。別につき合うのは嫌いじゃない」

「本当?」

「本当。ワタシにそういうものを好きになれって言わなければ」

「あなたに何言ったって、それは無駄でしょう?」


 くすくす、と彼女は笑う。店の人が紅茶とスコーンを運んでくる。サエナは二人分入っているだろうポットから、ワタシのほうへも紅茶を注ぎ分ける。スコーンはまだ充分に暖かい。


「そう見える?」

「うん。サエナはそういうひとじゃない?だ から私はそういう所が好きだけど」


 好き。はあ。彼女はワタシの方へティーカップを寄せる。


「私には絶対できない所だわ」

「何で?」

「何でって言われたって困るわよ。何か、できないの。私は好きなものを好きと言えても、嫌いなものに嫌いとは言えないわ」

「サエナはじゃあ、カナイ君は、好き? どういう意味でもいいけど」

「あらヤナセにしちゃ、言葉に気をつかうのね。好きよ」


 そうやって、あっさりと好きなものに関しては。


「あの子は、どっか、そう、あなたとそういうとこは似てると思うな。結構好き嫌いがはっきりしているから」

「嫌いがはっきりしている、と違う?」

「まあね」


 彼女は苦笑した。


「私のことを結構鬱陶しいと思ってるんじゃないかしら。判ってはいるのよ。だけど」


 首の後ろが、何か寒い。

 お茶は、こんなに暖かいというのに。



 卒業式のあった日の午後、送別会が講堂で行われた。

 午前中は卒業式。父兄もやってくるし、静かでおごそかに行われる。

 無論会場である講堂も、椅子がずらりと並べられ、壇上には一面びろうどの幕が張られ、演壇にはごっそりとした花。

 だが十時半くらいでその式が終わったが早いが、生徒会指揮のもと、厳粛な会場は、送別会仕様のステージに着せ変わる。

 張られたびろうどの幕は、その裏手に置かれたアンプやコードを隠すにはちょうどいい。

 前日までに、動かす場所を全ての機材について指示した紙を貼ってあるので、それらは会長どのの一言であるべき位置に置かれ、午後の仕事を待ち受ける。

 ワタシはワタシで、完成したリボンをつなぐべく、美術室に向かった。

 既にすこには相当な数の部員が居た。もうそれは前から決まっていたことだが、来た順にそれはつなげられる。誰のものとも、何処とも無関係に。それが「不可解なリボン」なのだ。


「へえ、なかなか手が込んでるじゃない」


 こんなところに居る筈のない人が、ワタシの作った分を指でつまみ上げる。


「これ、ヤナセのやったの?」

「確か卒業生は、教室で待機じゃなかったんですか? ナオキ先輩」

「忘れ物があったから先に、と思ってさ。後だと何かそんなヒマなさそうだし」


 オレンジに近い、明るい長い髪を後ろで束ねて、ナオキ先輩はポケットに手を突っ込んだまま、ワタシの方に近づいてきた。

 ワタシは正面に来た彼にやや顔を上向ける。先輩は背が高い。ワタシは決して低い方ではないが、彼と話す時には、ついついそんな体勢になってしまう。


「何ですか忘れ物って」

「んー? ヤナセの携帯の番号」


 ひゅーひゅー、と背後から同級生の声が飛ぶ。そんな後輩の態度など意ともせずに、この先輩はふふん、と笑ってみせる。ワタシはやや聞き慣れない問いに、一瞬どう答えていいか迷った。そういう意味ではないのだ。無いのだろう。無いはずだ。


「ワタシそんなもの持ってませんよ」

「あああああ、そういえばヤナセなんだから、そういうこともあるよねえ。だけどちょっと聞いてみたかったの」

「先輩そのクセ、大学では止した方がいいですよ…」

「んー? 何で?」

「誰彼構わずそういうの聞くのは良くないって言うんです」

「誰彼構わずって訳じゃあないけどねえ。俺ちょっと遠くまで行くから、聞くべき人には聞いておきたいだけなんだけど」


 そういえば。ワタシはふとこの先輩の進学先を思い出す。美大は美大だが、この人は、向こう側の海に面した所へ行ってしまうのだ。

 都内の私立の美大も幾つか受けて受かっているというのに、わざわざ遠くに。


「携帯はでも、持ってないですよ。家電だったら、別にいいですけど」

「さんきゅ、ヤナセ。じゃここに書いて」


 ナオキ先輩はポケットから手帳を出した。薄くて軽い、月間スケジュールしか無いようなものだ。何処もかしこも、びっしりと予定や情報やら電話番号やらでひしめきあっている。


「はい、これでいいですか?」

「うん、さんきゅ。それでもってちょっとヤナセ、こっちおいで」


 彼は手帳を差し出したワタシの手をそのまま引っ張った。

 はい?

 ワタシはそのまま、ずるずると引きずられるようにして歩かされる自分に驚いていた。背後の同級生達もそうだった。確かにこの先輩はよく突飛な行動で、我々下級生を驚かしてはきたけど。

 ナオキ先輩はそのままワタシを「森」まで連れて行った。そして辺りを見回すと、手を離した。


「さてヤナセ。真面目な話、してもいいかな?」


 ワタシは言葉に詰まった。


「ああそんな警戒せんでいいよ。そういう話じゃない」

「そういう話ってどういう話ですか」

「そういきり立たないでもいいよ… んー… 何って言えばいいんだろうな」


 先輩は長い前髪をかき上げる。


「忠告… そう、忠告が近いかな。ヤナセお前、あの生徒会長に惚れてるだろ」

「は?」


 ワタシは思わず問い返していた。


「何を言い出すんですか先輩?」

「別に隠さなくてもいーよ。別段、どうってことじゃないから。それとも、お前気付いていない?」

「だから、何の」

「お前いつも、準備室で作業してたろ?」

「それは、そうですけど」

「あの窓からは、生徒会室が、よく見えるだろ」

「偶然ですよ!」

「で、絵を描いてるだろ。その遠くの窓の向こうの相手を」

「描いていちゃ、いけませんか?」

「だからそういうことを言ってるんじゃないってば… 何って言えばいいんだろうなあ…」


 先輩は露骨に顔をしかめる。

 このひとにしては珍しく、ひどく言葉を探しあぐねているかのようだった。

 最初に部に入った時から、この先輩は、派手な外見と、それでいて飛び抜けた才能を感じさせる絵や製作で、ワタシ達後輩を驚かせていた。

 行動も、そうだった。別段校則に触れるとかそういうことではないのだが、端から見るとひどく馬鹿馬鹿しいことを大まじめにやるような人だった。例えばある朝やってきたら、校舎がデコレーションケーキ化されていた、とか……

 ここ二年間、この人が作ってきたリボンは、卒業生によって必ず引きちぎられ、持ち去られている。美術部員としては名誉なことだ。

 そして、ワタシが準備室を根城にするのを黙認されたのも、この人のおかげでもあった。何せそれまでは、この先輩の指定席だったのだ。

 皆それを知っていたから、わざわざそこへ入り込もうとしなかった。ワタシは知らなかったから、あっさり入り込み、自分の指定席にしてしまった。

 後になって知ったことだ。

 そこが完全にワタシの指定席になってしまった頃に、この先輩に憧れていることが丸判りな同級生が、やや腹立ち紛れにワタシに言ったものだ。


「あの頃、お前があの部屋をぶんどってくれて、俺は結構嬉しかったんだ」

「何で…」

「俺が、あの窓から向こうを見なくても済むから」


 先輩は視線を足下に落とした。ワタシはその言葉の意味を数秒考え―――


「先輩――― は」

「お前があそこに居る頃にはもう代替わりしていたからね。だけど時々やって来るじゃない。先の生徒会長ってのはさ」

「先輩」


 目を伏せる。ちょっと待て。それは。


「やっと俺の言いたいこと、判った?」


 目を薄く開いて、やや複雑に先輩は笑みを浮かべる。

 ワタシは無言で何度もうなづいていた。サエナの前の前の生徒会長――― と言えば、確かこの都内にあまたある大学ではなく、故郷で一番いい大学に進学を決めたという――― 同じ場所、だ。


「それは――― その――― イクノ先輩は…」

「知る訳ないでしょ」


 くっ、と彼は喉の奥で音を立てた。


「言える筈がないよ。奴は、そういうのとは、無縁だからね。聞かされるんだ。彼女がどうだこうだ。俺は一番気楽な友達だからってね。いつも張りつめてるような奴だから、俺と居ると気楽なんだって。でも残酷」

「あきらめようとは――― 思わなかったんですか?」

「それじゃヤナセ、お前は?」


 ワタシは返答に困る。


「それとも、お前は気付いていない?」


 眩暈がする。先輩の声が、うずを巻く。

 先輩の言いたいことは判る。彼が言う「惚れてる」は、「そういう意味」だ。

 ワタシは、彼女をそういう目で、見ているのだろうか?

 確かに、あの時、年下の、幼なじみのことを楽しそうに話す彼女の姿に、何か、ひどく自分がショックを受けたことは気付いていた。

 だが、それは、そういうことなのだろうか?

 何を基準に、それは、そういうことなんだろうか?


「ヤナセ」


 先輩はややさっきよりワタシに接近していた。何ですか、とその真剣な視線に肩が後ろにひく。


「今の生徒会長とは長い友達で居たい?」

「そりゃあまあ… そうですよ」

「では忠告。ああいうタイプと長く続かせたいなら、お前は自分の正体を、決して喋るな」

「先輩何を」


 そして、次の言葉は言えなかった。抱き込まれて、言葉は。

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