4 冬から春―――生徒会やら卒業生を送るやら
夏休みが終わると、サエナは森や美術準備室で、別の話題を持ち出してくるようになった。
「生徒会?」
最初にその単語が彼女の口から出た時、ワタシは問い返した。うん、と彼女はうなづいた。
「ここんとこ妙なもの持ち込んでたと思ったら」
「妙なものってあなたねえ」
サエナはそう言って口を尖らせたが、それはワタシから見たら妙なものでしかない。
彼女が準備室の隅の机の上に乗せて、頬杖をつきながら読んでいたのは、古びた資料の数々だった。
青焼きコピーのものもあれば、もっと古いものはガリ版、手書きといったものも多い。それらがそれぞれ、黒い固い表紙と、黒い綴じ紐でくくられている。年季が入りまくったそれらは、ほこりやら、焼けた端の紙がぽろぽろと落ちてきそうな勢いである。
印刷されていても元原稿が手書きのものばかりだから、ワープロ文字に慣れた身にはひどくよみにくい。それに最近の高校生の字体とはあきらかに違う。
「いつ頃の奴なの?」
「アリガが貸してくれたのは、そーねえ、三十年くらい昔からのかなあ」
「げ。生まれてない頃じゃないか」
「そのあたりから、生徒会ができたっていうから」
「生徒会の資料?」
そう、と彼女はうなづく。
「三十年くらい前、っていうと、何があったんだろ」
「私もよくは知らないけど、結構その頃の言葉って過激よね。ほら」
サエナはガリ版の一枚を広げて指す。確かに。「…せよ!」とか、「…なのだ!」という口調が文のあちこちに見られる。太い、漢字が多い書き文字は、ひどく勢いがある。
「そんな頃もあったんだね」
「うん。何か『長老』にも聞いたんだけど、当時は回りの余波が露骨にやってきたみたいね」
「長老」というのは、この学校の生き字引と言われている定年越えて非常勤講師で来ているササキ先生のことだった。ワタシも彼女も、ササキ先生をアリガのように呼び捨てにすることはない。彼に対してはそれなりの敬意を皆払っている。
「立て看板を夜中まで書こうとしていたから学校中の電源を切ったとか、窓を割って中に夜中入り込もうとする生徒を待ちかまえたとか、結構話してくれるものよね」
「へえ。長老がそういうこと話すんだ」
「あまり聞かれることないみたいだけどね」
そりゃそうだ、とワタシは思う。かなりそれは物好きの部類だ。ササキ先生は、昔はともかく、今は穏やかな無関心を決め込んでいるかのようだ。
「で、長老からは、あんたが聞きたいことは聞けたの?」
「まあね」
サエナはにっ、と口元を上げる。
「何?」
「聞きたい?」
うん、とワタシはうなづく。何やらサエナがひどく楽しそうだったからだ。
「秋が来れば、生徒会の選挙があるのよ」
「あるね」
「立候補しようと思うの。生徒会長」
ほ、とワタシは目を広げた。
「誰が」
「私が」
まじ? と思わずワタシは問い返していた。
「何よ、そんなに意外?」
「…いや…」
言われてみれば、おかしくはない。サエナはとりあえず、今の一年生の中では、才色兼備、という言葉が一番合う。
「でも女子…」
「だからそれはまずいのかしら、と思って、調べていたんじゃないの」
ああ全く、という顔をして机の上の資料を彼女は見る。
「全く。確かに一度も女子が会長だったことはないのよ。だけど別に会長になっちゃいけないってことはないわ」
「それでなろうっていうの?」
「似合わないかしら?」
ワタシは首を横に振る。
*
「楽しみなのよ」
と実に嬉しそうに、サエナは言った。
冬休みも過ぎ、生徒会も軌道に乗り、女子ではこの学校初の生徒会長の彼女は、あまり美術準備室には来なくなった。
時間が無いのだ。前も忙しそうだったが、今はそれに輪を掛けて忙しそうだ。
だから、だろうか。今までよりも来る時には疲れているようにも見えた。
いつものように起こしてね、と言われても、声をかけるのをためらいたくなる程、彼女の眠りは心地よさそうだった。
冬のこの美術準備室なんて、大して暖かくはない。昼間の日射しの温もりの残りだけが降り積もっただけの場所が決して眠るには心地よいとは思えないのに。
何故そこまでして忙しくするのか、ワタシには未だに理解できない。
もちろんワタシだって、本気で絵の仕上げにかかった時には、それこそ寝食忘れて取り組むこともある訳だから、忙しくすること自体には決して文句はつけない。
ただ、サエナのそれはいつも、何かに追われているかのように見えるのだ。
さりげなく指摘すると、そんなことないわよ、と彼女は言う。
だが、見えるのだ。ここからは。
彼女はそれに気付いているのかどうか知らないが、この美術準備室からは、生徒会室が。
ワタシはその姿を、父親譲りの良い目で眺めながら、鉛筆を走らす。
南向きの窓のカーテンは時々閉められるが、ワタシの居る窓に面した北向きはそのようなことはない。いつでも全開で、ワタシは忙しく立ち働く彼女の姿を見ることができる。
今の時期は、卒業生の送別会の関係だろう。入れ替わり立ち替わり、様々な部の代表や、有志が、当日の講堂の出演許可を取りに、生徒会室にやって来る。
元々この学校は、こういうお祭りに関しては、無茶苦茶積極的という訳でもないが、「恒例」のものとして、それなりに参加者は居る。
劇的な盛り上がりは無いにせよ、おおむね危なげなく仕切れば成功する、と美術部の先輩達も言っていた。
美術部が卒業生に送るのは、講堂から正門まで続く、「不可解なリボン」だった。
まあ基本的には花道の類であるのだが、その時に、全校生徒が卒業生を送り出す時に、そのリボンを持つのだ。
ただ、そのリボンに花でもついていれば実に古典的な花道になるのだが、―――そこは美術部。毎年毎年、卒業生をどう驚かせるか、が伝統的テーマなのである。
ワタシ個人としては、芸大や美大に受かった先輩達には、それなりに敬意を表したい気分ではあるので、いつもより真面目にその作業に取り組んでいた。
ただ、皆一緒にやる、というのはこの部の気質とは違うので、皆それぞれ与えられたノルマの長さで、好きな飾り付けをする。
そこに空き缶をつけようが、もっとゴージャスなリボンを花のようにつけようが、小さな金属片を並べて音を立てるようにするのも、全くの自由なのである。
なので、ワタシもここ数日というもの、その作業にかかりきっていた。
ノルマの長さは、3メートルを2本。普段人がいないように見える美術部も、一年二年足すと、三十人を少し越すくらい居るので、一人あたり3メートルでも、全員のぶんを足すと、100メートルくらいになるのだ。それが道の両側、ということで2本。
まあそう口にすれば結構簡単に思えるかもしれないが、結構ワタシは苦労していた。構想ではない。単純に手作業として、である。
「リボン」の土台は、本物のリボンだった。それも光を受けると柔らかく光る、薔薇色のサテン。
ワタシはゼムクリップをひたすらそこにつけていた。
全部で十箱くらいだろうか、ゼムクリップを買ってきて、その一つ一つを、ペンチで色々な形に曲げる。
初等部の時には、色のついたクリップをハート型に曲げたりすることもしたが、とりあえずそれだけではすまないだろう。
それでいて一つづつそのリボンの土台につけていくんだが、リボンを裂いてしまうようなことがあっては仕方ない…… できればそれを何連かにして、下の方でつなげれば、それこそ美術館に入っている宝石の首飾りのような感じに見え――― ないかなあ、と思っていたりする訳だ。
ゼムクリップは、つなげただけで、遠目で見れば銀の鎖のように見えなくもない。
―――と構想だけはあるのだが、その手作業自体が思った以上に手間取るものだったのが、誤算だったのだ……
そして気がつくと、外は真っ暗になっていたりする。
冬至や立春も過ぎて、確かに陽もこれからだんだん長くなるのだろうが、それでもまだ暗くなるのは早い。
じゃら、と音を立てるワタシのリボンを机の上に置くと、さすがに帰ろうか、とワタシは窓際から立ち上がり、制服のほこりを払った。
と、その時扉が開く音がした。愛しの生徒会長どのは、カバンと手提げとコートを持っている。なるほど仕事は終わったのか。
「何あんた、さすがに今日はもう来ないと思ってたけど」
「やっと空いたの。でもヤナセ、もう帰るの?」
「まあね。さすがにちとばかり疲れた」
そう言って、ワタシはややわざとらしく伸びなどしてみせる。するとサエナは机に置かれたリボンをつまみ上げて、実に適切な批評をする。
「あなた向きじゃあないわよ、そんな細かい仕事」
「うるさいね」
ふふん、と笑ってサエナはしゃらん、と音をさせてそれを再び机の上に下ろした。
「帰りましょ。それにちょっと今日は寄って行きたいとこがあるの。だからそこに寄って、その後クレープでも食べましょ」
妙に上機嫌だ。そうだね、と言ってワタシもまた、椅子に掛けたコートを取った。