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11 窓の向こうを目撃、そしてコノエ君と向かい合う

「それじゃ、行ってくるね」


とサエナは手を振った。

 二月。三年生は半分が既に受験から解放され、あと半分が、まだ本番待ちの状態で、学校には来なくなっていた。

 学校は既に二年生の天下だった。そして生徒会は、一年生のものだった。

 サエナは「生徒会長」から「元生徒会長」になり、ワタシは美術部の副部長になっていた。部長は隣のクラスの男子なのだが、またこれが嫌になる程上手い。ただ、専攻する科が違うだろうことが、ワタシを無意味な嫉妬からは解放していた。

 サエナが出ていったのを見計らい、ワタシは例の墜ちた天使の絵を開く。

 スケッチブックの中のそれは、もう殆ど完成していた。

 端から見れば、完成していると言ってもいい程だ。ただワタシが納得しないので、それをただの鉛筆画で終わらせるのか、それを下絵として、何か大きい紙の上に再構成するのかは、まだ考え中だった。

 墜ちた天使が眠る上に、花びらがはらはらと降っている。

 今のところ色は無いが、もしも色をつけるなら、全体的に淡い色合いにしたい。

 彼女が背にかけるアイボリーや、春に咲く花の、淡い柔らかな色合いで、この絵を形作りたい。

 サエナが泣くのを初めて見てから、数ヶ月が経っていた。

 その間に、一つ下の目立つ学年トップの「コノエ君」は、実に鮮やかに、自分の役目をこなしていた。

 秋の一時期、ちょっと体調を崩して、一ヶ月ほど休んだことはあったが、二学期の途中から、彼はいきなり表舞台に出てきた。

 つまりは、生徒会への立候補だった。

 もともとこの学校に長く居る生徒は、本当の意味で「立候補」はしないのが普通だ。

 だいたい「立候補」するのは、外部から入ってきた生徒であり… どうやら彼もご多分にもれなかったらしい。

 だが、選挙活動をする彼の姿を何となく目の端に入れていくうちに、ワタシは何となく奇妙なものを感じ始めた。

 積極性は、…公約とか、そういうものは、サエナとよく似たものを上げているとは思った。

 すなわち、この学校の活性化。眠った子を起こす方法。

 似ている、と当初は思ったのだ。

 だが、それは違った。ただ、それが「どう」違うのか、ワタシはぼんやりした感触しか掴めなかったので、とにかく、一歩引いてみることにした。

 一歩引く。そう、何か、危険信号に近いものが、彼からは感じられたのだ。

 そして、それは全校生徒総出の選挙演説会で明らかになった。

 無論、それが、他の生徒が気付いたかどうかは判らない。ただ、ワタシはそう感じたのだ。

 彼は演壇で、実に穏やかに話し出した。

 正直言って、それは、例えば一対一で話していたとしたら、確実に相手を安心させるような雰囲気なのだ。

 声は全般的に低めに、早くもなく、下手な高揚もしない。ただ、それなのに、次第に周囲は彼の言葉に聞き入っていくのだ。

 どういうことだろう、とワタシはそれを見、聞きながら考えていた。

 違和感。

 その違和感が、形を持ち出したような感覚があった。

 ワタシはこの学校がどう変わろうが大して関心はない。したいことが穏やかにできればいいだけで、その環境が平和な限り、そうそう自分から動くということはしない。

 だがそういうスタンスであるからこそ、彼が実にさりげなく、醸し出している、何か、奇妙なものが、感じられたのだ。

 それは何と言うのだろう。

 この、歳不相応にしか感じられない彼の姿が、その時いきなり、何か、一つのイメージを持ち出したのだ。

 そして、そのイメージは、「危険」という文字を背負っていた。


 サエナの好きなカナイ君は、マキノ君とバンドを組んだらしい。

 どうも最近彼女はマキノ君と仲良くなって、情報収集しているらしい。仲良くなって、と言っても、それが何か後輩の女子に対するもののようだ、というのが何だが。

 あのマキノ君という子は、確かにそこいらの男子のような、あの生々しい生気を感じないのだ。どちらかというと、植物的な印象がある。

 彼は彼で、コノエ君とは違った意味で、他の男子生徒とは違った骨格やら筋肉の付き方をしているとしか思えない。色も白いし、何か全体のバランスが、変なのだ。

 男子にしては肩幅が無さ過ぎたり、首が細かったり。でも女子とは違って、腰の丸みは無いから、明らかに男子なんだけど――― 結構頭をひねる存在だ。

 サエナが「後輩の女子」のように接してしまう理由が判らなくもない。


 そうこう考えているうちに、ふと視界に何かが動いたので、ワタシは目をそちらへ移した。


 何だ。


 てっきりサエナが生徒会室に着いたのだ、と思ったのだが、どうやら違うらしい。

 窓の枠に腰をかけて、ガラスごしに生徒会室に視線を投げる。

 どうやら中に居たのは会長であるコノエ君だけだったらしい。時計を見て、立ち上がり、本棚から何やらファイルを抜いて、眺めて、また戻したりしている。

 中に誰かが入ってきた。男子だ。制服がそれを物語っている。何か見覚えがある。

 カナイ君だ。何しに来たのだろう。

 そう言えば、バンドの方も最近はがんばっているらしいから、送別会のステージにも出るというのだろうか。

 そう思いながら、ワタシはしばらく二人の様子をぼんやりと眺めていた。

 コノエ君は一度何処かに引っ込むと、何やらカップのようなものをカナイ君に渡している。それを受け取ると、カナイ君は、会長の机の上に腰を下ろすと、カップに口をつけていた。

 ずいぶんと楽しそうに二人は話している。コノエ君は自分の机の方に向かうと、座っているカナイ君の側に寄った。


 …え?


 ワタシはふと、目を凝らした。


 ちょっと待て。


 コノエ君は机の上にカップを置くと、座っているカナイ君の前に寄った。

 そして、顎を持ち上げると、そのまま。


 はあ?

 ちょっと待て。


 慣れている仕草だった。

 決して、昨日今日のものではない、と今のワタシなら、判る。

 遠目でも、コノエ君の手つきはそれが慣れたものだということが判るし、カナイ君がそんなことをする相手のことを、決して嫌がっていないということも判る。


 とすると。


 ワタシは窓枠から飛び降りた。


 これはまずい。

 サエナを今行かせてはならない。


 おそらくかなり動転していたに違いない。後で考えてみれば、カナイ君が入ったのを、彼女が入ったのと勘違いしたくらいなのである。今から飛んで行っても止められる訳がないのだ。

 緩んだ靴紐を、慌てて締め直そうと手をかけた時だった。

 二人の視線が、入り口に集中した。

 ワタシの視線は、その光景に集中した。

 扉を開けたのは、誰なのか、そこまでは見えない。だが、それまで接近していた二人が、少しの間をおいて、肩をすくめるのがワタシの目には映った。

 ちっ、とワタシは舌打ちをする。

 ぴしゃ、と右手で、右の頬を大きく叩いた。

 慌ててカーテンを閉めた。

 案の定、数分後、勢いよくこの準備室の扉は、開けられ、閉められた。

 サエナは窓際のワタシに飛びついて、声を殺して泣いた。

 どうしたの、と声を一応かけた。

 理由なんて、判っているくせに。

 サエナは大きく頭を横に振る。何でもない、何でもないの、とひっくり返った声で、それでも何とか答えようとしていた。ワタシはそれ以上聞かなかった。

 理由は判っているのだ。



 翌日、ワタシは準備室の窓から半分に折ったチョークを投げた。

 折ってしまってから、果たして届くだろうか、という気分と、チョークくらいなら窓に当たっても大丈夫だろう、という気分が半分づつあった。

 生徒会室の窓に当てるためのチョーク。悪いね、とつぶやきながら、ワタシは現会長が一人で居る時を見計らって、それを投げた。当たるかどうか、という気分は揺れたが、彼を呼び出すことに関しては、ためらいはなかった。

 お節介だとは思う。サエナのああいう姿を見てしまった以上、理由を問いただしたい気持ちはあった。もっともそれ以上に、ワタシの好奇心も大きかったことは事実だが。

 正直言って、ワタシもなかなかのショックだったのだ。

 まあ学年に一人や二人、そういう噂はある。無い年のほうが変だというくらいだ。だがそれが、身近な…しかもサエナの思い人がそうだ、というのだと話は別だ。

 しかも、それはまるで両思いのように、さりげなく、当たり前のようだった。そうなると今度は、自分のために、それは気になる。どうして、そうなれたのだろうか。

 ワタシは自分が逃げていることは知っている。サエナにはいつも安全な張り紙をした上で接している。それは逃げだ。絶対にそれを明かさない、それ以上の展開を望まないという姿勢なのだ。

 だが逃げる以外他の方法が見つからない相手だということも、ワタシは知っていた。

 もしもワタシが本当に気持ちを彼女にうち明けたら。

 彼女はきっと懸命の理性で、その事実は受け止めるだろう。それは個人の自由よね、とかありがとうそんなに思ってくれて、という言葉とともに。

 だけど、それだからと言って、応えられるという訳ではない。少なくとも、今のように、気を許して、すがりついて泣くなんてことは無くなるだろう。それは、とても悲しい。

 その特権を無くすくらいだったら、ワタシは逃げていた方がマシなのだ。

 だがあの二人は、そうならなかったのだろうか。

 聞きたかった。

 よっ、と狙いをつけて、ワタシはチョークの半欠けを放った。

 気が付いたようだったので、もう半欠けをまた投げる。今度はそれが何処から投げられたのか、気付いたようだった。ワタシは窓を開けて、とジェスチャーを送った。

 生徒会室の窓が上げられた。現会長のコノエ君は、ひらひらと手を振るワタシに向かって、何ですか、と声を投げた。

 ワタシは辺りをざっと見る。思った通り、人はいない。無言のまま、階下に見える「森」を指さし、お願いポーズを取った。察しが良ければ、そのまま身を翻し、階段を降りるワタシの後をやってきてくれるだろう。良くなかったら…その時はその時だ。

 夕暮れの階段室は、高い窓からねっとりとした日射しが入り込み、そこにじっとして、天井の模様を眺めていたりすると、時間の感覚が何処か行きそうな錯覚を起こす。

 だが今日はそれどころではないのだ。ワタシはばたばたと階段を降りる。

 サエナは今日学校を休んでいた。病欠と言ってはいたが、そうではないだろうことは容易く想像がつく。

 昨日だって、声は立てなかったにせよ、かなり長く彼女は泣いていた。そして準備室で落ち着かせた上に、目の腫れを少しでも引かせようと、途中のあの紅茶の美味しい店で、結構な時間を過ごしたのである。

 店に入っても彼女は、何から話していいのか判らない様子だった。あの理路整然とした彼女が、話をあっちへ飛ばし、こっちへ飛ばしと何度も同じことをぐるぐると行き来した。それで何があったの、と聞かない限り、核心にはたどり着かない。そんな印象さえ受けた。

 結局彼女の口からは、そこであったこと、は聞き出せなかった。知ってはいる。だが。


 「森」へ入っていくと、夕暮れの光が斜めに木々の間を通り抜ける中、既に先客は居た。ベンチから現生徒会長のコノエ君は、ポケットに手を突っ込んだままゆらりと立ち上がる。


「こんにちはヤナセ先輩。ワタシに何の用ですか?」


 低い声が、ゆっくりと問いかける。


「知ってるの? ワタシの名前」

「ええまあ。一応この役目やってる以上は、全校生徒の名と顔は暗記しましたからね」


 整った顔が、笑みを浮かべる。ワタシは自分と似た口調で一人称の代名詞を使うこの下級生に、一瞬震えがきた。


「もっとも」


 ワタシは目を細めて、位置を変えた逆光の彼を見た。


「元会長どのはそうでもなかったようだけど」

「…何を」

「アナタが元会長のサエナ先輩の一番の友達だってことはワタシも知ってますよ」

「一番かどうかなんて知らないよ」


 彼はそれには笑って答えない。


「それよりも。何の用ですか? わざわざワタシを呼びだすというのは。アナタ、ワタシと話すの初めてでしょう。そんな、わざわざ」

「…昨日…」

「ああ、見えましたか」

「気付いていたの?」

「ワタシはワタシで、アナタと元会長が、仲良く話している図が見えましたからね。だったらきっとそっちからも見えてるでしょうと」

「…」


 ワタシは息を呑んだ。そんなあっさりと。


「まあでもそんなことはどうでもいいんですよ。ワタシはアナタがサエナ先輩をどう思ってようが知ったことではない。つまりヤナセ先輩、アナタの大好きな、アナタの一番の友達が、ひどく傷ついたので、その理由を聞きに来た。そんなところでしょう?」

「そうだよ」

「彼とワタシがどんな関係か、ということ」

「…」


 あきれる程、堂々としている。いや、関心が無いのかもしれない。そんなことに。それが大きな価値を持っている訳ではないのかもしれない。


「まあ、そういう仲ですよ」

「そういう仲って」

「何度も寝てますがね。でも安心して下さいな先輩。別にワタシはカナイの本命って訳じゃあないですから」


 そうそんなにあっさりと言われると。後頭部を、思い切り殴られた様な感覚。血の気が一気に下に下がる感覚。眩暈がする。だけどここで倒れる訳にはいかない。


「…そ …れじゃ、遊びってこと?」

「別に遊びじゃないですがね。と言ってもワタシにも本命は別にいるのですが。でも、無いですかね?先輩。そういうのが、本命でなくても、欲しいということが」

「…」


 判る。それはとてもよく判る。判りすぎるくらいに、ワタシは判る。


「それは… つまりコノエ君、カナイ君もそうだっていうの?」

「さあ。そこまではワタシも知りませんよ」

「だって、そんな仲だったら」

「それを聞くのが、そんなに大切なことですかね?」


 ふらり、と彼は一歩、こちらへと踏み出した。ワタシは思わず後ずさりする。一年前のことがオーバーラップする。先輩はここでワタシに張り紙をした。


「アナタはそれをよく知ってるんじゃないですか? ヤナセ先輩」

 また一歩彼は近づく。ワタシはまた一歩後ずさる。


「だから… カナイ君は、それで君とそうできる、訳?」

「そうですよ」

「それは、彼が、どちらでも構わない、という訳?」

「どうなんでしょうね。そこまではワタシは知らない」


 一歩、二歩。ワタシもまた一歩、二歩…

 背中が、木にぶつかる。

 彼は腕を伸ばして、ワタシの肩越しに、木に手をついた。


「ヤナセ先輩」


 低い声が、耳に響く。


「それは、アナタが聞くべきことじゃあない。いくらアナタがサエナ先輩を好きでも、それは、アナタの問題じゃあない。サエナ先輩と、カナイの問題ですよ。奴が何考えてワタシと寝てるのかなんて、ワタシは知らないし、そんなことはどうでもいい。ワタシ達はそれで心地よいし、それがいつまでも続くなんて考えていない」

「じゃどうして君は、自分の本命にそうしないの? ワタシは、…言えないから…」


 ぽろ、と本音がこぼれた。それはナオキ先輩以外に口に出したことが無いことだ。

 負ける。どうしても、この後輩には負けるのだ。

 それは迫力とか男女の力の差とかそういうことではない。向こうには、知られて惜しいことが無いのだ。


「君は言えなくて苦しいなんてことがないんだ!」

「でもヤナセ先輩。そんなのは言い訳に過ぎませんよ。少なくともアナタは、アナタの大事な人に、会えるんだから」


 え、と問い返す。


「アナタは大事な人を目の前にして、ただ何もできずに手をこまねいてるだけじゃないですか。本当に欲しいものだったら、手段なんか選びませんよ、ワタシなら」


 迷わない、その言葉。反射的に、肩が竦む。


「それは何も、アナタにそうしろということではないですがね、先輩」


 それができたら、こんなに悩まないのだ。

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