わたしが半年前覗き見をした理由。
……にしても、母は本当に性格が悪いな。近くに姉達が居なくて良かった。倍どころじゃなくメタメタに言われただろう。姉達は華やかだから接待に忙しい。わたしは席について目立たぬよう、暴食していたら良いだけの食事会なのに、どうしてこうなる。
「……彼女は、なんというか、浮世離れしているというか。こういっては失礼だけれど、あの目に見つめられると時々ゾッとする。なんだか、……命の危険にさらされたような…い、いや、それよりも!僕は君に惹かれている、と思う。兄には相談した。君の気持ちを確認してからだと止められたけれど、僕は婚約を破棄したいと考えている」
フィアンセ殿の後ろ姿が見える。わたしがいる場所は二人の真後ろで会話もよく聞こえる。しかし、立派な紅葉で死角になっているので振り向いても気づかれないだろう。ライトアップされた庭園は幻想的なくらい美しいらしい。海外からのお客様は皆一様に感動で一瞬言葉を失うのだ。
わたしも失っているがな。
いや、軽く貶められたことは別にいい。あんなの可愛いものだ。フィアンセ殿は本当に育ちがいい。人を罵倒することを知らないのだろう。それより婚約破棄?また思いきったことを。これは家の問題が絡むから厄介だし、なによりまたわたしに新たなフィアンセが出来るなんて面倒くさいことこの上ないじゃないか。そう悪態をつきながらチクチクとした胸の痛みは丸っと無視した。
「誠二郎さん!そんなこと言ってはダメよ!紅子さんにもきっと良いところがあるわ!……それに、婚約破棄だなんて……」
「彼女に良いところなんてないよ。あっても見つけられる程一緒にいたいと思わない。婚約破棄はずっと昔から願っていたんだ。勿論、君のそばにいたいと思う気持ちは本心だけど」
「誠二郎さん……」
「君の……君の気持ちを聞かせてくれないか?」
「わたし、わたしは……」
盛りあがる二人に悪いがもう足が疲れた。引き上げて良いかな?フィアンセ殿の意思も聞いたから母に伝えれば良いだろう。くるりと後ろを振り返ると、黒い影が目の前にあって、ひっ、と声が出そうになる。しかし、それは寸前のところで、止められた。
結構な力で口元を抑えられたからだ。
それをした人物は月明かりでうっすらとシルエットを覗かせた。目に飛び込んできたその人にまた驚いた。
緩やかにウエーブのかかったブロンドの長髪、小さな顔には陶器のように白い肌、長い睫毛に囲まれたブルーグレーの瞳が妖しく光る。通った鼻筋の下の唇を弓なりに曲げて人差し指でシィとジェスチャーする。気怠い色気を振り撒くとんでもない美人だ。
が、女性らしいエックスラインはない。
残念ながら男だから。
なぜ、おまえがここにいる。
モガモガと口を動かす。鼻息が荒くなった。
「紅子さんが、可哀想」
耳に入った鈴のなる声にビクっとした。
気付かれた⁉︎
思わずギギギと首を曲げると、相変わらず二人は二人の世界を作っていた。ああ、気付かれたわけじゃないらしい。今わたしは間違いなく可哀想な状況なのだ。美貌の変態、いや美貌の外人にすごい力で口元を抑えられ、逃げないようにか、もう片方の手で腹の肉を掴まれている。もうヤダ。だから、そこ痛いって。
「彼女のことは考えなくていいよ。答えは急がないから」
フィアンセ殿がそう言うと、二人に沈黙が流れて、「そろそろ行こうか」と去る気配がした。
全く、さっさと行けよ!大体人んちの庭園をどこぞの公園と勘違いしていないか、と胸の内で舌打ちをした。
「……行ったわね」
フゥと漏らす吐息が扇情的で、なにを煽っているのか聞きたくなる。
声を出したのはわたしじゃない。目の前にいる、オカ…いや、美貌の外人だ。
わたしは口元の手を振りほどくと、存分に息を吸った。
「マクシム!苦しいじゃないか!」
「はは、紅子は元気ね」
何を言ってやがる。
「良いところだったでしょう?何故帰ろうとしたの?あ、もしかして傷ついた?」
さも気の毒そうに眉を下げる、目の前の男(男だ!!)の名は九条マクシム。ロシア人の母親と日本人の父親を持つハーフである。歳は28歳。だけどわたしが知る限りもう何年も容姿に変化がない。常に気持ち悪い程美しいのだ。
うちの母とマクシムの母が親友である為、付き合いはそれなりに長い。友達ではないがな。
なんというか、マクシムは妙な性癖がある。女装しているわけじゃないし、姿形、完璧なモデル体型で割と鍛えてある。
だがいかんせん、言葉遣いが妙なのだ。
「フィアンセ君、全力で口説いていたわね。絶妙に口説き方が下手くそだわ。それに、あの女の子、紅子さんが可哀想、ですって。紅子の外見のことかしら?」
ふふ、と愉しそうに笑うマクシム。初めの方から居たんだな。だとすると覗き見しているわたしを覗き見していたのか。やっぱりHENTA…、
「いっ!!」
グイッと顎を掴まれて無理やり視線を上げさせられる。いい感じに思考と発した言葉が繋がった。
「ねぇ、紅子。悔しくないの?」
マクシムが顔を近づけて耳元で囁く。吐息がくすぐったくて体が揺れた。
「君、こんなに醜くて、ズボラで、根性捻くれてて、つまり性格が悪くて、ただ頭が良いだけの女だけど、私は良いと思うわよ?その瞳も死んだ魚みたいだけど、悪くはないわ」
「ソレイイスギデスヨネ」
色々酷い。が、この口調に慣れてしまった自分が悲しい。
「ねぇ、第二候補の婚約者誰か知ってて?」
マクシムがニィと口元を上げる。嫌な予感しかしない。プルプルと首を振るとマクシムは笑みを深めた。
「藤堂コーポレーションの息子よ。嬉しいでしょ?」
と、藤堂コーポレーション……⁉︎息子といえば確か藤堂コーポレーションの幹部で38、バツなし。紳士的な外見をしていて、わたしにも優しく、時々お菓子をくれる。だが、結婚となると別だ。
なぜなら、……ドエスと評判だから。縄に首輪は標準装備。何に使うのか浣腸や、洗濯バサミ。鞭やロウソクは使い方が分かる。他にも口に出せないアレコレを駆使すると社交界では有名である。
ああ、「このリアル雌ブタめ!」と痛めつけられる自分が容易に想像出来る。これは辛い。選ぶ権利はないといえ、痛いのは大嫌いだ。
「次は、遠藤さん。この方とっても不憫でね。妻を五人も連続して亡くしているの。まあ保険金で懐は潤っているそうだけど。次は、宝生院さんね、究極のマザコンよ。次は……」
な、なんてことだ。遠藤氏と結婚したら確実にコロ…、いや死ぬ。究極のマザコンなんて想像もできない。まともなのが全くいない。フィアンセ殿がどれだけ優良物件だったか今更身に染みた。が、しかし元フィアンセ殿の私への好感度は最低でしかも本命がいる。こりゃあハードモードだ。
ガクン、と項垂れていると、マクシムがふふと軽やかに笑った。
「私よ」
「は?」
「だから、私よ」
マクシムが出来の悪い子を見るような生温かい目でわたしを眺める。
私ってなに?
「私にしとく?」